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無窮の肖像 ④

 白銀と黄金の大聖堂。其処は人類領の幾つかの法的組織が居を構える法と秩序の聖域である。


 罪人に罰と裁きを与える断罪者、法の下に罪を犯した人類を裁く審問官、魔族との戦闘によって敵性魔力に精神や肉体を侵された戦士を治療する癒しの手。他にも細かな組織が大聖堂内で働いているが、大きく分ければ上記の三つの組織が大聖堂を存在させている。


 剣と天平は断罪者に、槌と法典は審問官へ、杖と薬草は癒し手を示す。大聖堂と聖都は今でこそ名を与えられているが、元々この地には赤茶けた過去の都市の残骸がそびえ立ち、大聖堂と呼ばれるにまで至った建物は苔と蔦の下に黄金と白銀を眠らせていた。


 黄金と白銀の廃墟の奥には真っ白い花畑が咲き乱れており、その花畑の中心には一本の強大な力を持つ剣が地に突き刺さっていた。崩れた天井から差し込まれる陽光に神威を纏わせた刃が煌めく剣―――神剣を抜いた者は勇者となる。剣の先に在る壁に掛けられた少女の肖像は幾人もの勇者を見送り続けてきた。


 肖像の少女の名は誰も知らない。顔と服装、髪の色、容姿……全てが詳細に描かれている筈なのに、少女の記録は一切存在しない。誰も真の名を知らず、何故少女の肖像の前に神剣が突き刺さっていたのか、何故少女の肖像を見た者誰もが別々の顔を見るのか、全てが謎に包まれていた。


 肖像の少女の名は無い。誰も知らないのだから、名を呼ぶ事も出来ない。名を呼ぶ事が出来ないとすれば、必然的に少女は渾名や名称で呼ばれる事となる。廃墟が発見され、都市の残骸から聖都が作られ長い年月が経った後、肖像の少女は何時からか聖女或いは白の君と呼ばれるようになった。 


 誰が少女を聖女と呼んだのか定かではない。何時の間にか皆が肖像の少女を聖女と呼び始め、それが当たり前となっていた。初めは疑問を抱いていた者達も、神話の中に在るような黄金と白銀の建物で活動する内に少女を聖女と認識し、美しい白銀の髪と整った容姿、透き通るような白い肌から白の君と呼ぶ者も現れる。


 白の君、それは御伽噺に登場する剣の英雄アインの想い人にして、その呼び名以外の記録が失われた千年以上前に存在した少女。彼女の最期はどの叙事詩や英雄譚にも記されておらず、歴史書にも一切記載されていない。だが、一つだけ分かる事は少女は確かに死に、この世に存在しないことだった。


 灰と静謐の時代と称される現代以前の記録は、燃え盛る暖炉の炎に焚べられた書き物の原稿のように灰と成り、燃え残った灰の中に紛れる断片的な記録から読み取る他術は無い。その断片も真実か虚構かなど当代の者に知る権利は非ず、本当の歴史を知る者は既に絶えた。


 白の君、聖女、肖像の少女。赤茶けた過去の都市、苔と蔦に巻かれた黄金と白銀の廃墟。聖都ウルサ・マヨルは過去の残骸の上に建てられた聖王が座す地である。だが、その地に眠る過去は千年以上一人の男を呼んでいた。そして、二十年前には失われた神剣を呼び続け、声にならない呼び声を発する。






 アイン―――と。






 ピクリ―――と、アインの手が震えた。


 不意に剣の柄に手を伸ばしたが、アインを見つめる通行人や兵は彼の真紅の眼光を投げ掛けられただけで目を逸らし、帰路を急ぐ。


 聖都に来てから何かがおかしかった。常に見られているような、それでいて話しかけられているような不可思議な感覚。気づいてはいけないような、気付かなければいけないような……耳元に誰かが寄り添っている気配。


 目の前には二人で手を繋いで歩くサレナとウィシャーリエが居た。サレナの白銀の髪が魔導ランプの灯りを反射し、淡く煌めき彼女の白銀が空気に映える。見知った後ろ姿であり、何度も見て来たその背姿と白銀に、他の誰かが重なる。


 「―――」


 一歩足を進めるだけで頭がぐらりと揺らいだ。


 「―――」


 視界が揺れ動き、堪らずバイザーを籠手の鋼で覆う。


 耳元の気配が強くなる。声にならない声が鼓膜を震わせ、脳に音が反響する。その音は己が発したものなのか、それとも聞こえない筈の声が聞こえた為なのか、判別がつかない。


 この声は何だ? この音は何だ? 何故こうも辛い、何故こうも歩き出す事が出来ない。何故こうも―――サレナが別の誰かに見える?


 「アイン?」


 サレナの声が聞こえ、吐き気を抑えながら呻くように返事を返す。


 「大丈夫ですか? 具合が悪いなら、休んでいても……」


 「大丈夫、だ。少し、視界が悪いだけだ」


 「けど」


 「俺のことは心配するな。俺は、俺の選択の、俺の」


 俺―――俺とは、何だ。


 何かがおかしい。これ以上進んではならないと意思が叫ぶ。進めば進む程鮮血のような赤が視界を染め、見えてはならない何かに気が付いてしまう。


 業火と死臭、真紅にそまった都市の亡骸。黒く焦げ付いた大地を歩み、疲労と痛みに喘ぐ脚を引き摺りながら都市と対照的な色に染まる空を見上げる誰かが居た。その誰かは黒い全身甲冑を纏った男であり、罅割れ砕けたフルフェイスの隙間から見える瞳は真紅の色を帯びる。


 男が向かう先は黄金と白銀の大きな建物だった。彼は荒い息を吐くと岩のように重い扉を開き、大きく吠え狂うと剣を担いで疾走する。その様は手負いの獣を越えた瀕死の狂獣。憎悪、憤怒、殺意を甲冑に喰わせた男は人と魔族の狭間と云える存在を斬り殺し、最後の扉を蹴り破ると白い花が咲き乱れる空間に立つ。


 男が叫ぶ、叫んで大きく手を振り翳し、肖像の前に立つ少女を恫喝する。


 剣が握られ、男は狂ったように少女へ突撃すると腹へ剣を突き立て返り血に染まる。バイザーの先から血の雫が滴り落ち、少女の血濡れた手がフルフェイスを撫でると事切れる。男は自分が最愛の少女を殺した事実を噛み締め、慟哭した。


 「―――」


 記憶、失われた記憶の再放送のような光景を目の当たりにし、アインは鋼の手指で胸の装甲を掻き毟る。


 「そうだ―――俺は、この場所で」


 「この場所で? アインはを見た事があるのですか?」


 「―――は?」


 サレナの言葉に素っ頓狂な返事を返したアインの視線の先には、白い花―――セラフィの花畑が存在し、その花畑の先には少女の肖像が壁に掛けられていた。


 「これ、は?」


 「えっと、白の君、聖女と呼ばれる少女の肖像だそうです。かなり昔からあるらしく、と呼ばれているそうです」


 「サレ、ナ。お前は、これを、何と見る」


 「そうですね……


 「違う、違うだろ!? これは、お前の」


 「私の?」


 「お前の肖像の筈だ!! 違うのか!? いや、俺は此処で!!」


 心臓が痛い。頭が痛い。何もかもが痛い。


 意識が遠のく。肖像を見て、サレナの顔を見て、頭が混乱する。


 暗闇へ落ちる。深い、奈落の底へ、落ちる。


 其処で、アインの意識はプッツリと途切れてしまった。

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