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断罪者 ③

 異形の腕を持つ人間。その言葉にアインとサレナが反応する。


 スピースで約束を交わした少女、ティオが話した内容がチラリと脳裏を過る。彼女の家族を惨殺し、母親にと言うべき禍々しい生命体を埋め込んだ存在が姿無き影を見せる。


 「我が復讐に大義は無し。いや、復讐に大義や意義は存在しない。我はただ己の妻子の無念を晴らしたいだけなのだ。いたぶられ、無用の屈辱を与えられ、陵辱された後に命を奪われた。故に、我は罰を与えねばならん。それだけが、我の生きる意味である」


 断罪者の表情が初めて動く。能面のような無表情を貫いていた男が、般若の如き形相で怒りを露わにして血涙を流し始める。


 「人類は人類を殺せぬ。魔族は魔族を殺せぬ。同族殺しの制約という殺しと虐に快楽を得る者を守る法則など唾棄すべき秩序。法の皮を被った無法。何故この世界に誓約が敷かれ、抹殺……罰すべき屑と塵を生かさねばならぬのか甚だ理解出来ぬ。いや、制約という縛りなどそもそも理解したくも無い」


 手に持っていたマグカップを握り潰し、流れる血と手の平の痛みなどお構いなしといった様子で激怒する断罪者は鋭く尖った犬歯を剥き出しにして憤怒の業火を燃やす。


 「人類を殺せぬなら自由を奪い、己が犯した罪相応の苦痛を与えよう。弱者や罪無き無辜なる民へ苦痛と苦難を強いる魔族が居るならば、命を奪い終わらぬ苦痛を与えよう。我が名は断罪者、罪を憎むなと言われようと罪人を憎み、罰は罪への報復であると示す者也」


 常に怒りと殺意を垂れ流していては見定めるべき罪を見失う。常に憎しみと悲しみに暮れていては過去に縛られ前に進めない。否、前に進めないと言った表現は正しくない。断罪者は己の激情と復讐の念だけを糧にで前に歩み続けているのだ。


 彼が裁いてきた罪人の数はいざ知らず。躊躇も迷いも存在しない天平の刃は罪人に家族が居ようと、友や仲間が居ようとお構いなしに罪を断ち、罰を与える。


 時には悪鬼と蔑まれ、またある時には罪人の子にナイフを向けられた。だが、断罪者が見定めるのは罪と種族のみ。罪を犯していない者は彼の目に映ることも無く、ただただ悲嘆に涙する。


 涙や慟哭が美しいと思ったことは一度も無い。不幸や嘆きが尊いと思ったことも一度も無い。物事には必ずそれ相応の理由が存在し、因果関係が成立していることも知っている。罪人が何故罪を犯し、罰を受けるのかも断罪者は秘儀と天平を以て知る。


 荒れ果てた荒野を往き、駄獣と狂獣の狭間で激情を燃やす男。草の根一本も生えない復讐の荒野を一人往き、制約と法に縛られながらも狂う事も叶わず己の激情を燃料に焚べながら進む男の胸には殺意と憤怒、憎悪以外の感情は存在せず。全ては己の復讐の為、家族の無念を晴らす為に。


 「……貴様、本当に人間か?」


 「貴様に言われたくはないな、アイン」


 「一介の人間が全てを捨ててまで歩み続けるなど、それは悪鬼修羅の道だ。貴様の目を見るに二年や三年程度の道のりでは無かったのだろう。貴様はどれほどの月日を己の復讐に捧げた」


 「十年だ。十年間我は世界各地を放浪し、大聖堂の指示に従いながら怨敵を探し続けてきた。だが、奴は影のように人の闇に潜り込み、罪と悪をばら撒きながら己の尻尾を隠し続けている。罰するのだ、奴を。異形の腕を持つ人間に最大の苦痛と永遠の罰を刻まねばならんのだ」


 「……俺はサレナのような気高い意思とクオンのような自分自身に捧げる意思と誓約は美しいと思った。だが、貴様の意思と誓約は人の身では耐え切れない程の強度に達している。錆びつき、割れながらも芯は鋼鉄の如き強固さを誇る意思。難攻不落の城塞のような堅牢さを兼ね揃えた誓約。恐ろしいな、断罪者よ」


 「それだけだ、我にはそれ以外に何も無い。我の人生に幸福は必要無し、不幸も必要無し。だが、抜け殻には決してならん。この身が燃え尽き灰になろうと、煤けた絶望がこの身を蝕もうと、我が意思と誓約は復讐の為にある。罪を憎み、罪人を罰し、唾棄すべき制約の中で足掻き、藻掻き続けながらも我は断罪と裁定に殉ずる。それが我が意思と制約―――也」


 断罪者は血涙を古傷だらけの指で拭い、能面のような無表情に戻す。


 何を考えているのかも、どういった思いを抱いているのかも、全てを無表情の仮面で覆い隠す断罪者は内に激情を燃やす。その意思と誓約が歩む道のりがどれだけ過酷で苦難に満ちていようとも、誰一人味方が居なかろうとも、彼は止まらない。亡くした者に誓った意思と誓約が断罪者を突き動かす。歩んだ先に地獄が待っていようが彼は罪を裁き、断ち切るのだ。


 「……強いな、貴様は」


 「強さだけでは生きられぬ。心身が如何に強靭であろうと、屈強な意思の持ち主であろうと強さだけでは生きられぬのだ。若さは無謀と蛮勇を兼ね、老いは慎重さと叡智を持つ。罪は悪、悪は罪。それは変わらん。いや、決して変えてはならぬ人に刻まれた根源たる思想だ。悪を成す者、善を成す者、両者が人である以上善悪の彼岸を揺蕩う一隻の小舟である」


 「……」


 「強くなければ生きられぬ。強くあろうとも生きられぬ。善悪の境界線上に浮かぶ小舟は常に強くなろうと必死に足掻き、藻掻いては沈む。沈み、辿り着いた岸辺が善であれば人道と正道を往く偉大な人物となろう。

 だが、悪の岸辺に流れ着いた者は罪人となり悪を以て悲劇と不幸をばら撒く者となる。強くあろうと藻掻くほどに、強くなろうと足掻く程に、人は他者を巻き込みながら生きるのだ」


 故に―――と、断罪者は一呼吸置き言葉を吐く。


 「矛盾するのが人だ。強き者ほど矛盾と破綻を繰り返し、その度に新たな思想を得て己を再構成するのだろう。一貫して思想を貫くのは難しい、始まりの意思から一歩も逸れぬなど人には不可能。もし己の抱いた意思と誓い、願望、祈り、思想を最後まで貫ける者が居たならばその者は真なる強者であろう。

 アイン、貴様は我を強いと言ったな? 否、我は真に我にしか従わぬ弱者である。血反吐を吐きながら我自身が選んだ道を歩いているだけに過ぎんのだ」


 店の扉が開かれ、丸眼鏡を掛けた女性が店に入って来る。女性は断罪者を見つけると静かに彼の近くに移動し、耳元で何か囁いた。


 「……名残惜しいが我は行く。金は置いて行く故、好きな物を食うといい」


 「……断罪者よ」


 「何だ?」


 「また何時か、お前と会えるだろうか」


 「生きていればまた相見えよう。それと、アイン」


 「何だ?」


 「お前は常に迷い、目には見えぬ鎖で縛られている。その鎖を断ち斬るのは他の誰でもない、お前だ。望むだけならば愚者にも出来るが、掴み取るのは自分自身と覚えておくといい」


 「何故俺に助言を与える」


 「若者に言を話すのが、老いを迎える者の定め故に」


 最後にそう言い残した断罪者はテーブルに背を向け、金を置いて行くと女性の後について往く。


 「……」


 断罪者の言葉に深い思索を巡らせたアインは、店を出て宿に着くまで一言も口を話さなかった。

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