目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
琥珀の君 ③

 ウィシャーリエには人の内なる声を聞く異能がある。


 その人が何を思い、何を考えているのか無意識に感じ取る。意識を向けなければ心の声は環境音として鼓膜を叩き、異能を発動する意思を持たなければ音を遮断できる為、日常生活に害を成さない彼女にしてみれば意味の無いつまらない異能。


 少女はこの異能を嫌っていた。聞きたくない声を聞き、聞きたくも無い他者の本音が耳に流れ込む。それは多感な少女には正に生き地獄そのものであり、彼女の性格を内向的に向かわせる要因でもあった。


 人は笑顔を顔に張り付けていても内では違った事を考えている。謀略、策略、政略……笑顔の裏には敵意と好意、悪意と善意が混同しており、ウィシャーリエは自ずと人は黄金律を欠いている生命だと認識していた。社交界で出会う貴族、頭を垂れて跪きながらも自身の利と地位を確保しようと目論む将校、無関心を貫く父。その全てが無意識に彼女の心を踏み躙り、蔑ろにする。


 何を信じればいいのか分からなかった。誰を信じ、誰の言葉に従えばいいのか分からない。母の思い出を語る兄は過去と死者だけを記憶し、未来と生者への関心は花弁の表皮のように薄く。母の記憶を忘却してしまったもう一人の兄は未来と生者だけを特別と称し、過去と死者は無意味と語る。


 ウィシャーリエにとって異能は取って外せない呪いである。常人とは異なる能力を持つ者は祝福された者であると書に記録されているが、自分自身が必要と感じない異能を得た者はそれを祝福ではなく呪いと断じるだろう。


 自分が生きている意味を知りたかった。自分が何故呪われた異能を持ち、孤独と涙で苦悩するのか、その理由が知りたかった。己の求める答えを知っているように感じられた白銀の少女、サレナの心の声を聞きたかったのだ。


 サレナ―――白銀の髪を風に靡かせた美しい少女は聖王と同じ黄金の瞳をしていた。髪色こそは違えど彼女の瞳に宿る黄金は、優し気な焔を揺らめかせる綺羅星を思わせる秀麗な輝きを放っていた。希望と光を抱き、未来へ向かう為に決して歩みを止めないと決意した強者の瞳を持つ少女。


 「シャーリエさん」


 「え?」


 「あの、シャーリエさんは聖都の何処にお住まいなのですか? 聖王様より言を言い付けられたからには、それ相応な立場に居ると心得ていますが……」


 シャーリエ。キリルが機転を回して与えてくれた偽名の事を即座に思い出したウィシャーリエは一瞬息を飲んだが、何とか冷静な風を装い「そんな! 私はただの小間使いみたいなものです!」と答え、胸を撫で下ろす。


 「えっと、私の家は聖都の大通りの近くにありまして……サレナさんの宿の近くですので何時でも呼んで下さいね!」


 「分かりました、ありがとうございます。シャーリエさん、私のことはさん付けではなくサレナと呼んで下さい。宜しければ私もあなたをシャーリエと呼びたいのですが……大丈夫でしょうか?」

 「え、ええ! 全然構いません! サ、サレナ!」


 「宜しくお願いしますね、シャーリエ」


 柔らかい微笑みを浮かべたサレナは口元に人差し指を当て、クスクスと笑う。その微笑みに釣られてウィシャーリエも笑う。


 不思議な少女だと思った。普段ならば異能を使う意思を持てば他者の心の声が聞こえるというのに、少女からは何も聞こえない。否、聞こえないというよりも、音があってもその音が何かに阻まれて捉える事が出来ないと言った方が正しいだろう。


 人が発する声と違って、心の声というものは脳に鼓膜という器官を通して直接響く振動とウィシャーリエは例えよう。どれだけ弱った者でも心の声はハッキリと聞くことが出来るし、意識さえ向ければどれだけ遠くに居ても声は聞こえる。だが、サレナから発せられる声とも音とも判別つかない何かは、幾つもの障壁に阻まれた弱々しい振動となってしまったものであり、聞こうにも聞こえないであった。


 初めてだった。心の声ではなく、真に口と口で対話をしなければならないという事態に、ウィシャーリエは少しの戸惑いと興奮が入り混じる。


 「サレナは何処の出身ですか?」


 「私の出身はえぇっと……小丘の家としか言えませんね。近くに村はあったのですが、その村の名前は分かりません」


 「なら田舎の方なんですね。都市に立ち寄った経験は?」


 「町でしたらクエースとスピースに立ち寄りました。どちらも長い時間滞在しませんでしたが、色々と経験を積む事が出来ましたね。シャーリエは聖都以外の都市に行った事はあるのですか?」


 「私は聖都以外知りませんね……周りの大人は皆外は危険だと話して、外に出してくれなかったので。あの、外は本当に危険なのですか?」


 「……危険とは人それぞれの感性に依るものだと思いますが、私は危険だと思います。私はアインが居てくれたので危険はあれど聖都に辿り着く事ができましたが、私一人ならば不可能だと思います」


 「アイン?」


 「はい、私の大切な人です。ほら、直ぐ後ろの」


 背後を振り向くと全身黒甲冑の剣士アインの巨躯がサレナとウィシャーリエを見下ろしていた。彼の横にはクオンが立ち、あれこれ話していたがアインは適当に相槌を返すばかりで話の一つも聞いていない様子だった。


 「アインってば、君は本当に人の話を聞いているのかい?」


 「ああ」


 「なら私が話した内容を言ってみせてよ」


 「ああ」


 「……だーめだこりゃ」


 溜息を吐き、頭を抱えたクオンはアインの黒甲冑の肩を叩く。


 「何をする」


 「あ、叩く方には反応するんだ」


 「何故叩いた」


 「そりゃあ君が全くの無反応だったからさ。なに? 悪い?」


 「返事をしていただろう」


 「君の返事は空返事っていうんだよ。会話にもなっていないじゃないか」


 「別に話す必要が無いと感じたからだ」


 「話す必要が無いって……なら私がサレナちゃんだったらどうするよ?」


 「お前はサレナではない」


 「もしもの話だって! あぁ……もういいや」


 「コロコロと五月蠅い女だな」


 「五月蠅い女って君ねえ!」


 再び一方的に捲し立てるクオンを他所に、アインは二人の少女だけを見つめ周囲を警戒する。


 「……」


 「すみません、少し賑やかでしたか?」


 「い、いいえ! このくらい賑やかな方が楽しいです!」


 「なら良かった」


 小さく笑い、アインへ視線を向けたサレナの瞳が優しく緩む。微笑みを向けられた剣士の表情はフルフェイスのせいで真面に判別がつかないが、真紅の瞳に蠢く激情が僅かに和らいだことが分かった。


 ウィシャーリエは剣士へ意識を向ける。彼の内側へ耳を傾け、己の異能を発動させる。


 「―――」


 先ず聞こえた声は悲嘆、次に懺悔。そして荒れ狂う程の殺意と憎悪の呪言と憤怒の怒声。脈絡の無い激情の声は口々に思うままの言を叫び、支離滅裂ながらも一貫して一つの存在へ牙を剥く。




 そう、己の罪と過ちの塊であるを殺せと牙を剥く。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?