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琥珀の君 ②

 鳥籠に囚われた駒鳥はいつ世界を知り、鉄柵で覆われた籠から飛び立つのだろう。いや、飛び立つことは出来るのだろうか。羽ばたいたことすら無い翼は飛び方を覚えているのか否か、遺伝子が記憶していたとしても経験を培わない翼は空を切る方法を知らず。


 駒鳥は親の顔を一方しか知らない。母は死に、父は己に無関心。己を気遣ってくれる肉親は二人の兄のみ。黄金の瞳を持つ気高い精神に溢れた兄は戦場へ向かい、常に死の臭いを纏い、恵まれた頭脳と高い政治的能力を持つ兄は己が内心を語らず、黄金の瞳を以て言葉と文字を操る。


 何故同じ血を引いているのにこうも違うのだろうと駒鳥は一人涙を流す。誰にも涙を見せず、一人泣く。溢れる涙は彼女のを濡らし、頬を伝って流れ落ちる。


 彼女の涙を知る者は鳥籠という一室の窓から見える純白の月と夜空に煌めく星々のみ。


 駒鳥は世界を知らぬ。


 駒鳥は己の役割を知らぬ。


 この世に生を受け、生まれ落ちた瞬間より己は何を成し遂げ、何を成すべきか知らぬ駒鳥は涙を流す。


 薄い、透明な窓ガラスの向こう側に映るは琥珀の瞳を持つ金髪の少女。ガラスの向こう側に居る己と手を合わせ、そっと指を這わせる。鏡の己はガラスの自分、虚像の己。その手指に温もりは非ず、瞳に光は宿らない。


 外の世界は恐ろしいと人は言う。外では常に死の危険が付き纏い、誰かが死ぬと人は言う。外の世界―――駒鳥の少女が知らぬ世界は死と危険が蔓延する屍で造られた大地だと、使用人と乳母は言う。


 外と隔絶された鳥籠は安全だ。温かい寝床、温かい食事、飢えと寒さに悩まされる事の無い毎日。籠の中は安全で、安楽で、安穏とした日々を駒鳥へ与えてくれる。変わらない日々の中で学術と音楽を学び、絵と御飯事おままごとのような剣を嗜み使用人の手を借りて湯を浴びる。


 鳥籠―――彼女の自由と成長を阻害する鉄柵は頑丈で冷たく、分厚く透明な壁が存在していた。翼を伸ばそうとすると「危険ですのでお止めください」と声が掛けられ、気晴らしに中庭へ足を向けると「ご一緒します」と数人の兵が己の後ろを往く。少女は日夜守られ、監視され、管理されていた。


 故に、少女は外の世界、即ち自由へ憧れる。己の足で世界に立ち、翼を広げて世界に生きる人々を見通したいと願う。無垢なる願望、稚拙なる祈り、白痴なる思考と揶揄されても構わない。少女、ウィシャーリエは己の中で深々と降り積もる白雪のような意思を幼い頃より抱き続けていた。


 白雪。それは一つ一つが小さく儚い欠片だが深く、長年降り積もり解けない粉雪であれば、荒れ果てた荒野や緑に覆われた森であろうとも何時しか純粋たる白に覆われる。純白は穢れなき無垢の象徴にして、何者にも染められていない真っ新なキャンパス。ウィシャーリエという少女は、美しい琥珀色の瞳をした見た目麗しい可憐な白である。


 白であるなら何色にも染められる。白であるから何色にも染められる。だが、ウィシャーリエは真に価値があるものにしか染まらない。どれだけ周りから外の危険性と残酷さを説かれようと、この世界が不条理と理不尽に覆われていると力説されようと、彼女の自由への渇望は止まらない。


 周囲の言葉を鵜呑みにする白痴には染まりたくない。周囲の感情に流される稚拙な感性は持ちたくない。周囲の評価で自らの意思を決定したくはない。それはな思いなのだろう。外を知らないくせに、自分より外の世界を知る者の言葉を受け入れない傲慢さとも言い難き強い意思。種の状態でありながらも、熱い意思を抱く少女は鳥籠の窓から運命とも思える光と闇を見た。


 光は白銀の髪が印象的な己と同い年程の少女だった。王城へ続く道を歩む少女の足取りは地に足付いているように感じられ、風に靡く白銀は陽光を反射し星々のような輝きを放ち、質素な衣服から察するに平民の出自なのだろう。しかし、迷い無く歩を進める少女からは不思議な高貴さと力強さが感じられ、目が離せなかった。


 光と呼ぶにはあまりにも強すぎる光。言い表すならば少女の身の内から溢れ出る光は極光と呼ぶべきか。世界さえ変革せしめる可能性を持つ少女は聖王の付き人であるキリルに続き、王城へ踏み入った。王城の一室の鳥籠から少女を見つめていたウィシャーリエは高鳴る鼓動の音に耳を傾けていたが、それと同時に少女の傍らに立つ漆黒の剣士の闇を思い出す。


 黒甲冑を纏った異形の剣士。彼の内にある感情は暴れ狂う殺意と憎悪、爆発と収縮を繰り返す暴圧的で破滅的な憤怒、一欠けら程の生まれたばかりなのか元からあったものなのか分からない微かな光。他者を圧倒できる力を持ちながら、常人なら耐えられない激情を身に宿した剣士からは何故か一種の哀愁を感じた。


 第一に恐ろしいと感じた。少しでも意識を向けられたら即刻首を落とされるような殺気にウィシャーリエは剣士に白銀の少女とは違った鼓動の高鳴りを感じ取る。恐怖と怯えが入り混じった鼓動の音に、玉のような汗を流し息を切らす。だが、彼女は同時に剣士から感じたを聞く。





 剣を取り、人を殺すのが日常だった。命を奪うことに躊躇いは無い。命を奪わねば奪われる。


 守りたかった。たった一人の愛する者を守りたかった。だが、彼女にこの手は届かない。


 枯れた花に価値は無し、己は既に枯れた花。あの白い花畑は既に灰となった。そう、己の手で焼き尽くした。


 もし、そう、もしもう一度やり直せるなら次こそは守りたい。自分が信じた剣と意思は正しかったと証明したい。


 愛を教えてくれた君に願う、その手をもう一度握らせてくれと切に願う。


 戦う意味を教えてくれた君に願う、剣を振るう意味をもう一度教えてくれと切に願う。


 生きる意味を教えてくれた君に願う、この世界は残酷で悲劇に満ちているけれど、幸福に満ち溢れた世界であってもいいと切に願う。


 そう、白の君よ。この世界は、安らぎを求めているのだから。





 決して一人ではない四人の男女が入り混じった不可思議な声。願いと祈りを口々に語った声は黒甲冑の剣士のよりウィシャーリエへ語り掛ける。


 剣士は己の内より溢れる声に気が付かない。恐らく、この世界で剣士の異質さに気が付ける存在はウィシャーリエしかいないだろう。白銀の少女でさえも、剣士の内なる声を聞く事が叶わない。


 会いに行かなければ、会って、話をしてみたい。白銀の少女と黒甲冑の剣士と話がしたい。そう思った矢先に、ウィシャーリエの足は自ずと鳥籠の外へ飛び出す決意を固めていた。

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