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黄金槍 ②

 金糸の獅子アクィナス。彼の武勇は古今東西に名を轟かせ、どんな絶望的な戦況であろうとも一本の大槍を振るって戦況をひっくり返す金色の英雄である。


 流れるような金髪は若き日の父、聖王エルドゥラーを思わせる煌めきを放ち、両の目に宿る黄金の瞳は戦闘であれば轟々とした闘志の焔を揺らめかせる風光明媚な優しき瞳。


 アクィナス。黄金の英雄の第一子にして秘儀を宿す気高き御身はみんなに望まれる英雄像を体現する希望の光。彼の前に絶望は無し、その手に握る黄金槍が絶望を焚べ、希望の狼煙をあげる唯一無二の剣である。


 勇者と英雄を人類が欲するならば我が武を示し、絶望と暗雲を払おう。みんなは一人の為に、一人はみんなの為に。目の前に存在する敵を叩き潰し、人類の生存圏を奪おうとする魔族に容赦はしない。我が黄金槍は王の意思、人類の怒りと知るがいい。我が意思は友と王、人類の為にあり。我が誓約はみんなの希望の為にあると知れ。


 戦場で雄々しく吠え猛るアクィナスに戦士は勇気と希望を感じ、彼に続く。己が背を守ってくれる戦士達の願いを槍に乗せ、数々の戦場を駆けて来たアクィナスは戦友達の顔と名前を決して忘れない。生きている限り彼と共に戦場を駆けた戦士は友であり、特別な存在であるのだ。


 人類の希望にして黄金の意思を継ぐ獅子。平等を謳い、みんなが特別であると豪語する優しき英雄。彼に関する情報は常に人類統合軍の内外を駆け巡り、彼の名を知らぬ戦士は存在しない。


 だが、時折アクィナスは不思議に思う時がある。それは、記憶に無い戦士の名が耳に入り、その者が戦死したという情報を聞いた時である。


 己と共に戦場を駆けた戦士の名は全て記憶している。誰一人として忘れたことも無いし、久方ぶりの再会であろうとも直ぐに名を思い出せる事が出来る。しかし、名も顔も思い出せない戦士の名を聞いた瞬間彼は頭の中が滅茶苦茶にこんがらがってしまう感覚に陥る。


 何故記憶に無い戦士の話をするのだろう? 


 何故不思議そうな顔で己の顔を見るのだろう? 


 何故死した者の名を出して、感傷に浸るのだろう?


 何故―――生者は死者を思い出しては悲しむのだろう?


 死した者に意味は無い筈なのに、何故人は悲しむ。今を生きている生命こそが未来を作る筈なのに、何故意味を喪失した存在に執着する。死は無意味である筈なのに、死者は無価値である筈なのに、何故思い出しては悲しみ嘆こうとする。


 死は誰にでも訪れる。生もまた生命が生まれた瞬間より生まれ出流いずるものだ。誰もが特別であり、平等でなければならないし、幸福にならなければならない。自ら進んで幸福から目を逸らし、他者の死に目を向けて不幸に涙するなど意味が分からない。死んだ者に価値など無いのに。


 彼が名と顔を思い出せなない存在は戦士だけではない。魔族に殺された民、自死による死を選んだ者、病や不幸な事故により命を失った者、況してや妹を産んで直ぐに命を落としたの名や顔もアクィナスは覚えていなかった。


 今を生きる人間はみんな特別だ、彼が掲げる特別には不平等や不公平といった意味は無し。生者は明日へ進む希望を求め、光を手にしようと日々戦っている。涙を流すのだって今を生きる者であり、死した者に出来ることなど何も無い。


 母について話す弟のエルクゥスと妹のウィシャーリエを見た事がある。弟は常にアクィナスを避けるように母の思い出を語り、どんな人間であったのかを妹に聞かせていた。


 己の母は聖王エルドゥラーに身も心も捧げた優しき人だったらしい。身重な時も彼が帰るまで食事に手を付けず、誰よりも早く王の帰りを待っていた。我が子にも常に笑顔を絶やさずに接し、何時も頭を撫でて愛を語ってくれていたようだ。


 アクィナスは己の母親のことを覚えていなかった。母がどんな手をしていたか、どんな顔をしていたか、どんな名前だったのか……母に関する記憶が全て消え去っていた。何が原因で産みの親の記憶を失ったのか彼自身にも分からなかったが、それでもいいと思った。


 今を生きる己が成すべきことは人類と生命を守り、生存圏を奪おうと戦線を押し上げようとする魔族を殺すこと。戦場で戦い、戦線を押し上げれば人類は生きていくことが出来る。人類の英雄像を体現すれば新たな英雄が生まれるかもしれない。生きる為に、死を振り返らずに戦うだけ。それがアクィナスという青年の在り方だ。


 無くなってしまったものは元に戻らない。死者は絶対に生き返らない。失ったものを取り戻そうと思わない。常に前進し、背後に積み重なる屍の数をも数えぬ心は修羅の道。英雄とは戦い続け、守りたいという願いを抱く豪傑でなければならない。故に、アクィナスはみんなが求める英雄としてある為に、死者の全てを忘れてしまっても戦うのだ。


 王命が記された書の封を切り、文面に目を通したアクィナスは今度ばかりは己の死を覚悟する。


 「アクィナス様、如何なされましたか?」


 「……君、戦線を後退させている魔族の名は知っているね?」


 「……はい、上級魔族ドゥルイダー。暴虐と殺戮を好む魔族ですね」


 「ドゥルイダー討伐の任が下った。二日後、準備を整え次第奴が存在する戦場へ向かう。君は腕利きの戦士を集めてくれ、いいな?」


 「……了解しました。人類に栄光があらんことを」


 「人類に栄光があらんことを」


 急ぎ足で廊を駆けて行った戦士を見送り、妹であるウィシャーリエが待つ部屋へ向かったアクィナスは死を覚悟しながらも業火のような戦意を滾らせる。


 聖王が上級魔族を討つ命を下した。勝算があっての事なのか、それとも己の力を試したいだけなのか。理由は王にしか分からない。だが、王の黄金槍である己が臆し、戦いから逃げることは在り得ない。


 彼が宿す戦意と闘志は金色を纏い、黄金の瞳の中で震え猛っていた。

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