「……言うではないか、魔王」
「こうでも言わないと納得しないだろう、貴様という人間は」
姿形も何もかもが魔王と酷似した剣士は厭な笑みを浮かべた聖王を真っ直ぐに見つめ、真紅の眼光で射抜く。
「……」
「何を黙っている」
「……行くがいい、サレナとその仲間達よ。此処を去り、答えを見つけた時にもう一度戻って来い。その時に、我の知る全てを話そう。キリル、姿を見せよ」
「我が王、キリルは此処に」
「客人を送っていけ。聖都一番の宿へ案内せよ」
「ハッ」
意識の外から突然現れたキリルにサレナは心臓を飛び上がらせ、アインとクオンは戦意を向ける。
「サレナ様、宿へご案内します。此方へ」
「は、はい」
手を玉座の間の出入り口へ向け、先を歩くキリルに付いて歩く形でサレナとアイン、クオンが続く。
「……」
聖王は去り行く三人の後ろ姿を眺め、含んだような笑い声をあげる。
運命がその時を見定めたならば、運命に従うのも良し。己が存在する理由がサレナという少女の才を開花させる為にあるならば、喜んでこの身を希望へと焚べよう。
愚かで忌まわしく、憎々しい怒りで穢れた魂と精神は既に絶望に染まった。希望の一片をも見出だせず、光であった勇者の影を追い、影であろうとした生は無価値。真の生を失った己に救いは必要無し。
何時か、私と同じ奇跡を纏う者が現れる。だから―――。
勇者の言葉の真意は生涯を通しても分からないだろう。
何故自らと同じ希望を背負う者が現れると信じていたのかも分からないし、何故最後の最後でそんな事を言ったのかも分からない。いや、その言葉を理解したく無かっただけなのかもしれない。
超人が弱音とも思える言葉を吐いたのを認めたく無かった。勇者が己の最期を覚悟したのが信じられなかった。人類の希望と光が消え行く瞬間を見たくなかった。故に、聖王エルドゥラーは魔王城にて変わってしまった。
神と呼ばれる存在が実在する。神は
全てが三流作家が書き起こす茶番劇。
無知は幸福であり、不幸だ。生きる事は常に不幸の連続であり、些細な幸福など涙と慟哭の底へ沈んでしまう。神が用意した舞台とは不幸と涙、悲しみと嘆きに満ち満ちた地獄であろう。神が綴る
「……エリン、我はお前が言った言葉の意味が分からぬ愚王だ。愚王故に、人に苦難と苦痛を強いてしまうのだろう。だが、それでいい。それでいいのだ。我は愚かで阿呆な王であればいい」
故に見ているがいい、この世界の何処かに存在する神よ。貴様の脚本を台無しにする瞬間まで我は狂王として与えられた役割を演じよう。
そう呟いたエルドゥラーは玉座の上で腕を組み、口元に笑みを浮かべたのだった。
……
………
…………
……………
……………
…………
………
……
王城の廊を歩く。
黄金の鎧を纏った青年は窓を拭いていた使用人の少女が足元に転がっていたバケツに躓き、態勢を崩したとみるや否や咄嗟に駆け出しその逞しい腕で抱き止める。
「大丈夫かい?」
「も、申し訳ありません、アクィナス様」
「これくらいの事で礼は言うな。私はただ君を抱き止めただけ、礼を言われることなどしていない」
「で、ですがお召し物が」
「鎧のことか? 気にするな、人の身より鎧を気にする者などいない。……少し目に隈が出来ているな。休息は取れているかい?」
「あ、その、はい……」
「何か私に出来ることがあるなら話して欲しい。我が王は多忙故、臣民の体調や疲労まで対応出来ないことを許して欲しい。君の名は……そうだ、リンだったね? 悩みがあるなら話を聞こう」
「あ……」
優しさだけを宿した黄金の瞳に微笑みを湛え、真っ白い歯を見せたアクィナスに思わず頬を紅潮させたリンは心の音を高鳴らせる。
「そんな、アクィナス様にお話しなんて……。貴方様も御多忙でしょうに」
「次の王命までは多少時間があるだろう。話を聞いて、君の心労を少しでも軽く出来るなら労とも思わない。民と生命の為に動くのが王族としての責務であり、義務だ」
「アクィナス様……」
王族として戦場に赴いては戦線を押し上げ、必ず勝利を以て帰還する金糸の獅子アクィナス。聖王エルドゥラーの第一子にして次期聖王として多大な関心を寄せられている青年は少女の身体をそっと床の上に立たせた。
「王族としての義務……その、アクィナス様が私の相談に乗ると話しているのは、特別な感情も無い言葉なのですか?」
「勿論だ。人類と生命は皆平等であり、魔族という敵を討つ倒す為の友だ。私は王ほどの意思や誓約を抱いていないが、人類軍として共に戦った者の名は決して忘れない。私と出会った者も例外では無い」
人類は皆一つと成り魔族と戦わなければならない。
みんなは一人の為に、一人はみんなの為に。勇者が居ないのならば、英雄が必要とされているならば己がみんなを守る英雄と成ろう。人類の剣と成り、聖王が振るう黄金槍として武を示そう。
アクィナスにはみんなが特別であり、守る価値がある宝石なのだ。人類という存在は、彼の秘儀を発現させる力の源。輝きを放つ生命を守らんとする誓約は黄金の意思の表れである。
みんなが特別であるからこそ平等を示せる。平等であるからこそ人類は一つに成れる。戦場で背を預けた友を信頼し、戦線を維持するために日々奮闘する将が居るからこそ人類は生きていける。彼の黄金の瞳は一切の陰りが存在しない希望の光を宿していた。
「リン、君が居るから王城は美しさを保ち、私の家族も快適に暮らせている。自分だけ倒れてしまっても他の使用人が居るから変わらないと思っているだろうが、一人が欠けてしまう事で穴が空いてしまう場所は必ずある」
アクィナスは優しくリンの両肩を掴み、瞳を合わせる。
「いいかい? 君は人一倍頑張り屋で努力家なのは知っている。他の使用人が気に掛けない場所まで丁寧に掃除をしているし、常に気配りを忘れない女性がリンだ。だが、頑張りすぎるのは身体と精神の毒と言える。少しは周りを頼ってもいいんだ。そうだな……誰かを頼る勇気を持つ。それを覚えよう」
リンの服に付いた埃を払い、少しだけ曲がったリボンを直したアクィナスは眩い笑顔を浮かべ、少女へ背を向ける。
「アクィナス様!」
「何だい?」
「その、ありがとうございます! 私のような平民にまで」
「リン」
「は、はい!」
「平民や貴族、王族といった呼称は戦場の中では意味を成さない。生きている時にどんな肩書を背負っていようと、死して仕舞えば意味を失ってしまうんだ。私は確かに王族アクィナスだ。だが、私が戦場で死ねばその名は歴史の塵に埋もれ、何時しか喪失してしまう。人は、生命は、誰もが特別で平等でなければならない。身分を気にする必要は無いよ」
そう言い放ったアクィナスへ一人の兵が駆けよって来る。手に持った書は黒塗りの封が押されており、封の意味は拒否権が無い王令の意。
「アクィナス様、王より令が下りました」
「ああ、分かった」
金糸の獅子は書を兵から受け取った。