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我が手に在るのは ②

 我が手にあるのは血に濡れた両手と死の冷たさ。


 我が胸にあるのは穢れた破界儀と悪なる神が植え付けた絶望。


 我が目に映るは荒れた戦場の幻と追い求めた勇者の姿。


 我が足が残すは畏敬と崇敬を敷く覇道の歩み。


 我が肉身は傷と痛みに呻きながらも歩みを止めぬ鋼也。我が精神は絶望と希望を育む露草にして、戦士達が焦がれる王の威光。王であれば民を導けると慢心はせず、王であるからこそ民へ己を示し続ける労と草臥くたびに消える事無し。


 エルドゥラー、彼は聖王という座に位置する狂王と呼ばれる男。その黄金の瞳は悪と善が入り混じる静かなる炎を宿し、玉座に座しているだけなのに万物を破壊し尽くさんとする闘志と意思を溢れさせる剛の者。


 彼の手に在るものは微かに燃ゆる希望とも絶望とも言えぬ小さな火種。その火種は灰となったエルドゥラーの意思と誓約が生み出したものなのか、それとも彼に残った時間が火種となって表れたものなのか。


 黄金の火の粉を揺らし、淡く燻ぶる火種の幻を握ったエルドゥラーは何かを決心した様子で自分と同じ黄金の瞳を持つサレナへ予め用意していた書状を手渡す。


 「これは?」


 「……魔導国家ワグ・リゥスの女王への紹介状だ。彼女、エルファンの女王アニエスならばお前の力になってくれるだろう」


 「聖王様、何故私に。いえ、初めて会った私にこれ程良くしてくれるのですか? 私と聖王様は身分も違えば生まれも違う。王と民である筈なのに、何故私と会おうとしてくれたのですか?」


 「何故にと問う。故にと答える。その問答は生命が幾万回と繰り返してきた答え無き言葉の応酬だ。サレナよ、時が来たらお前は必ずや真実と問いの解を得るだろう。その時にもう一度我のところへ戻って来い。その時に我は……お前の問いに答えよう」


 白銀の少女。その姿は一夜の夢だと思い込んでいた女性との逢瀬を想起させる。


 その女性の名をエルドゥラーは知らなかった。ただ疲れ、傷つき、苦痛と苦難に挫けてしまいそうになった時、彼女は彼に一夜限りの安らぎを与えた。王としてではなく、英雄としてでもなく、ただ一人の男として小丘の小屋で夜を明かした。


 彼女の白銀の髪は月夜に濡れて美しい光沢を放ち、彼女の白銀の瞳は慈愛と情愛の心を反映させていた。ただ一人が愛しくて、ただ一人が己を誰でもない一人の男として見てくれた。それが堪らなく嬉しくて、溢れ出る涙を拭えなくて、一夜だけの夢と話した彼女に身と心を重ねた。


 サレナはその時の女性と似ていた。美しい白銀の髪から話し方、顔と雰囲気も何から何までそっくりだった。記憶の中から飛び出してきたのかと錯覚する程に。


 だが、こうして言葉を聞いて思いを聞くと中々どうして。彼女は確固たる己を持ち、自分の願望を何の迷いも無く口にするでないか。サレナという少女はその小さな身体に大きな希望を宿し、常に前に進もうとする気概の持ち主であることにエルドゥラーは少なからず感嘆の息を吐く。


 この娘を聖都に縛り付けることは不可能に近い。既に卵から孵化した雛鳥を鳥籠に閉じ込めることは容易いものだが、それは鳥籠の世界しか知らない雛鳥に通用する手法だ。


 サレナは既に外の世界を知っている。彼女の背から伸びる白銀の意思による翼は外界へ羽ばたく準備を整え、今更鳥籠に閉じ込めたところで翼は柵を破壊し、鎖を引き千切って彼女を外へ連れ出してしまうだろう。苦痛と苦難に満ち、嘆きと悲しみが溢れた世界へ少女を連れ出してしまう。


 サレナを守ることは出来ない。己は王として君臨し、最後には正しき者に討たれなければならない運命にある。故に、と。エルドゥラーは黒甲冑を纏う剣士アインへ視線を寄せる。


 魔王と同じ甲冑と真紅の瞳を持つ剣士。滲み出る殺意は万物事象を殺戮尽くさんとして黒甲冑の装甲より溢れ、瞳の奥で渦巻く憎悪と憤怒は言葉で言い表さずともサレナの敵と障害を排除する意思を感じ取れた。


 彼女の傍に置いておくには危険な存在であるのは分かる。彼の剣士の存在がサレナにどんな影響を与え、身に宿す激情がどんな未来へ進ませようとするのか未知数でもあった。だが、彼以上の戦士は世界各地を探しても存在しない。強大な力を宿す黒い剣を背負い、戦いだけに全てを特化させている雰囲気を醸し出す剣士はサレナと己に牙を剥く存在を殺し尽くす。それだけは分かる。


 「……魔王、貴様は何者だ」


 「アイン。サレナがくれた名を持つ一人の生命だ」


 「貴様はサレナを守れるのか?」


 「必ず守る」


 「簡単に言う。貴様は守るということの困難さが分かっていないのだ。プライドを守る、人を守る、未来を守る、約束を守る。守るという一つの言葉にはこれ程迄の意味があり、貴様が守ると言ったのは何だ?」


 「サレナと彼女が守りたいと思ったものを守る。守るために戦う。守るために生き抜く。聖王、俺は貴様が思っている以上に強い者ではない」


 強い者ではない? 何を言っているんだ、この剣士は。エルドゥラーの瞳に憤怒の炎が宿り、奥歯を強く噛み締める。


 「戯言を。貴様は強い筈だ。戦闘の中においては全てを殺し尽くさんとばかりに殺意を滾らせ、憤怒と憎悪を以て生命を殺せる存在が何を言う。正直に言え魔王。貴様は生命などどうでもいい。ただ一人、己という存在が居る世界を望んでいるのだろう? 強者である故に無限とも呼べる激情を孕み、消えぬ殺戮衝動を抱えているのだろう? 人の真似事をするのは止せ、魔王」


 「確かに貴様の言う通りだろうな。サレナと出会う前の俺は常に世界を憎み、生命へ怒りを燃やし、全てを殺し尽くさねばならんと思っていた。消えぬ殺戮衝動……この激情の正体が血と死を求める俺の本性なのであれば、俺は赦されざる罪を抱いた悪なのだろう」


 「罪悪か。魔王とは罪悪と死の象徴として描かれる存在であるが、貴様はやはり魔王であると」


 「だが、俺はサレナが居れば何処までも強くなれる」


 「……」


 「戦いにおいて力は絶対的な物差しだろう。生死を掛けた戦いならば尚更だ。だが、人として、生命としての強さを持たなければ生きている価値は無い。ただ殺しと戦いが人よりも上手いだけでは強いとは言えない。サレナは俺に何時も何かを教えてくれる。人との繋がりの大切さ、自分自身との向き合い方、言葉を交わす意味。こうして貴様と話を出来るのも、サレナのおかげだ」


 黒鉄の籠手を見つめ、その手の中に芽生え始めた希望と光を握り締める。


 「強くなろうとしているサレナに俺が付いて行かない訳が無い。彼女が指し示す未来が正しいと俺は信じている。クオンだってサレナを信じている筈だ。だから聖王よ、貴様が何と言おうと俺が持つサレナを守るという意思は変わらない。俺は生きて生きて生き抜いて彼女を守ってみせる。例え、世界自体がサレナを殺そうとしても、俺が世界を殺してみせる。……うだうだ言わずに黙って見ていろ、旧い英雄よ」


 アインの手に握られた希望と光は、サレナを守ろうとする意思。

 身に余る激情を宿した剣士は、真紅の瞳を輝かせると不可思議で意味不明な力の片鱗を感じたのだった。

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