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我が手に在るのは ①

 「……聖王様」


 「何だ」


 「私は、勇者ではありません」


 「……そうだな」


 「そして、アインも魔王ではありません」


 「……」


 「私は、勇者が抱いた理想を追求する者ではありません。勇者エリンが掲げたを実現する器ではありません。


 私が掲げ、願った世界は一つ。アインが幸せになり、安らぎを得られる世界。彼が戦いの他に生きる場所を得られ、剣を置く場所を創ること。その為に私の破界儀はあるのだと思います」


 サレナの黄金の瞳がアインを見つめ、そのフルフェイスのバイザーから覗く真紅の瞳へ柔らかな微笑みを向ける。


 「私は世界を知らず、ただの一片しか知り得ない小さき者。世界という大海の中を漂う小舟は何処へ向かうのでしょう? 何を求めて波をかき分け、嵐の中を往くのでしょう? 記された海図は先人が記した知恵でありますが、真に世界という海を知るには自分自身の目で見る必要があるのだと思います」


 聖王が語った過去は真に迫るもの。この世界を裏から操ろうとする神と呼ばれる存在や、勇者との旅路は彼が自分自身で書き記した大海の海図。


 人は自分の生を他者へ伝え、後世の標として書に残す。書は時に忠告を、時に助言を与え迷う者を導くのだ。だが、導かれた先に己が求める理想と願望の道があるとは限らない。己の願いと祈りは、他者から与えられるものではなく自分自身で探求し、掴み取らなければならない。


 だからこそサレナは思う。この胸に抱いた願いと祈り、希望と未来は自分だけのものであると。誰かに与えられたからと、誰かに託されたからではないものだと自覚する。この破界儀が宿す力は、サレナとアインだけのものだと、胸を張って示す事が出来るのだ。


 「神、役者、世界、舞台。そんなものは知りません。私は私の人生を歩み、自分自身の目で世界を見定めます。この歩みの先にどんな困難があろうと、耐え難い苦痛があろうと、目を覆いたくなる絶望があろうと私の歩みは止まらない。アインが傍に居てくれるなら、クオンさんが私に言を説いてくれるなら、全てを糧にして進みましょう」


 小さな少女はクオンへ微笑みを向け、一歩踏み出し聖王エルドゥラーへ自らの意思と誓いを示すように言葉を放つ。


 「感謝します聖王様。あなたのお話のおかげで私は自分が如何に世界を知らず、多くを学ぶべきであるのかを知りました。私は己の意思と誓約を抱き、希望と未来を信じましょう。未知を知り、既知を踏み越え歩みましょう。

 私の祈りと願いは身勝手な我が儘なのかもしれない。しかし、私の願望と渇望は間違ってはいなかったと証明しましょう。私は―――私の友と愛を信じましょう」


 小丘の小屋、カロンの書でしか知り得なかった世界を見ることが出来た。


 封魔の森でアインと出会わなければ世界を知らずに死していた。


 彼に助けを求め、差し伸べてくれた手を掴んだからこそ諦めていた未来を歩む事が出来た。


 クエースの町の悪を目にし、抗う強さと戦う意味を見出した事で、救わなければならない生命を救うことが出来た。


 これまで歩んで来た旅路に無駄は無い。無駄ではないからこそ意味があり、サレナという少女を強くする。願いを抱く意味も、祈りを捧げる意味も、全てが希望と未来に繋がっているのだ。


 戦わなければ生き残れない。歩み続けなければ明日へ進めない。希望を渇望し、愛を見出さなければ自分さえも変えられない。この連続した不変奈落の世界で、変化を求める意思は何よりも高尚な願い。


 サレナの黄金の瞳に強い意思の炎が揺らめき、エルドゥラーに今の自分が誇れる精一杯の強さを示す。


 「私は何時までも迷うのかもしれません。何度も挫け、何度も転んでしまうのかもしれません。堪え難い絶望に屈してしまうのかもしれません。けど、私はそれでも前に進みます。周りの人達に助けられながら希望と未来を望みます。愛を信じ、明日を生きること―それが今の私に誇れる意思と誓いです」


 自分に誇れるものは多くない。この世界に蔓延する制約が与える悲しみも、終わらぬ戦争がもたらす慟哭も、人類と魔族という違いだけで殺し合う生命の嘆きも。狭い世界しか知らない己に誇れるものは愛を信じ、明日を生きる意思と誓いだけ。


 小を知っただけでは大を救えない。大を知ったとしても、狭い知見と経験だけでは全てを救える英雄には成れないだろう。サレナという少女は全てを救える英雄に成ろうとは思わない。


 この手が救える数には限りがあり、この目で見渡せる世界にも限度がある。彼女が成りたい英雄像はただ一つ。アインというたった一人の愛する者を救える英雄に己は成りたい。


 過ぎた悲劇と繰り返される哀歌は歴史となり、人の都合と解釈で紡がれた想いは積み重なれば英雄を生み出す。個人の勝手な都合と想いを他人に重ね、呪いとも祝福とも解釈出来る願いを背負った者は英雄となる。


 だが、真の英雄とは、真の主役とは、自分だけの意思と誓約で己の願いと祈りを果たすのだ。人生を歩む中で、他者と出会い、理解し合い、共に生きる。英雄とは人身御供ではない。希望と未来を手にしたいという意志こそが、人を英雄たらしめる。


 「出来ないから人に希望を見出す。出来るから人を未来へ進ませようとする。結局人は、生命は、みんな自分勝手な生き物なのかもしれません。

 みんな自分の大切なを得たいが故に幸福を追求する。みんな自分だけのを探しているから他人を求める。時に攻撃的に、時に友好的に。

 でも、それは間違っていないのかもしれません。生命は繁栄と栄光を願うから生きるのです。希望と光を得たいから歩むのです。私だって、アインの幸福を望んでいるから願うのです」


 勇者のようにを幸せにするという大義も無ければ、英雄のようにの都合と想いを背負うつもりも無い。サレナが求めるはアインの幸福と安寧。


彼の剣士が剣を置き、安らげる世界が欲しいだけ。


 「聖王様、私はあなたが求めるような英雄にはなれません。勇者のような気高い理想を持つことは出来ません。私は……私の愛するアインの為に世界を変えたい。その想いと願いは間違っていないと信じたいから、私は旅を続けて多くを知りたいのです」


 あぁ……と。エルドゥラーはサレナへ対する見方を変えざるを得なかった。


 という不特定多数の概念に振り回される者はこの世界に少なくない。の為に、の為に。彼が崇拝し、信仰していた勇者でさえもの理念に追われていた。


 初めはその理念と言葉が美しいと思った。


 戦い続ける事によって、が煩わしく愚かしいと思ってしまった。


 の為に戦い続け、の為に傷付いた意思は、何故《みんな》の為にが倒れなければならないと憤怒と憎悪に染まった。


 「……サレナよ」


 「何でしょう、聖王様」


 「お前は世界を知らねばならぬ。世界を知り、意思と誓いを束ねて自らの願いを胸に抱き続けよ。祈りと希望を以て歩み続けよ。されば道は開けよう」


 聖王は、白銀の少女の瞳をジッと見つめ、そう語った。

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