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影となりて ③

 何時か、私と同じ奇跡を纏う者が現れる。だから―――。


 その言葉の意味が分からない。


 何故エリンが最期にその言葉を残したのか分からない。


 あの勇者主役が死ぬなどありえない。全ての希望と光を背負った超人が死ぬなど認めたくない。己の愚行により死んだと知りたくない。人類の決戦兵器である神剣と共に消えてしまったと思いたくない。


 唖然とする仲間達に目を向け、勇者が瓦礫の向こう側に居ることを知らせなければならないだろう。直ぐにでも瓦礫をどかし、魔王と対峙するエリンを救わなければならないだろう。だが、何故だ。何故身体が動かない。何故口が動かない。


 何故―――友を救わなければならないのに、心が鋼のように冷えてしまっているのだろう。


 背に這い寄る白き悪がエルドゥラーの耳に囁く。


 今こそ勇者主役の代役を演じるのです。これからの世界舞台を動かすのはエルドゥラー貴男自身。さぁ、演じなさい。貴男はこれより凡人脇役から超人主役として返り咲くのです。

 白い少女の手がエルドゥラーの頬を撫でる。


 エルドゥラー、嗚呼黄金の瞳を持つ獅子よ。貴男は勇者主役になれなかった悲劇の語り手。語り手は舞台に上がらず言を述べ、姿を断片的にしか見せぬ者。だが、貴男はようやく舞台世界に存在を轟かせる資格を得た。


 白い少女の姿をした悪はそっと、彼の耳を撫でるように甘い言葉を囁く。奈落の底へ叩き落とすように、恥知らずという悪に染めるのだ。黄金という意思をメッキに変え、虚偽に塗れた意思絶望を植え付ける。


 恥知らずに、無慙を心に真の王と成りなさい。王への道は私が脚本整えてしてあげましょう。だから、貴男は貴男の理想を実現するのです。真っ新な地平を白に染め、全ての生命が貴男の望む幸福を享受する世界を創りなさい。そう、私の言葉に従えば全て上手くいく。何故なら私は―――なのですから。




 ―――。その言葉は黒塗りにされた文字のように曖昧であり。


 ―――。その単語は意味を失った古い言葉のように不明瞭で。


 ―――。その発音は擦り切れ、切り刻まれた無価値なる存在。





 悪の姿をした少女。少女の肉身を得た悪。その存在はエリンが話していた神という存在だとエルドゥラーは直感した。


 神は針の先にあり、その針は大気と大地の中、その大気と大地は世界の中、その世界は制約の中、その制約は意思と誓約の中、その意思と誓約は人の中に埋め込まれ、それは生命という広大な海に浮かぶ一粒の砂にある。神の魂が無事な限り死なず、人が意思と誓約を得れば生命は海流を巻き砂を隠し、針は大海を漂う。


 少女の姿をした悪意を孕む神は彼の背後で悍ましい笑みを浮かべ、黄金を堕落させようと言葉を並べる。流暢に、狡猾に、惨忍に、賢者の如く、次々と言葉を並べた悪は最後に凡人脇役勇者主役の間で立ち悩むエルドゥラーへ決定的な言葉を言い放つ。


 エルドゥラー……貴男はエリンの理想を叶えるべく、影となるのでしょう? 影は影らしくエリンの理想を追い求め、実現せねばなりません。そう、貴男がエリンの正当性を示すのです。影と成り、追い求めなさい。駆け抜け、理想を貫いた果てに貴男はエリンとなる。そう―――影となりて、世界に示しなさい。


 「……エリンは、


 そうだ、己はエリンの影となろうとした男。


 「今すぐ人類領に戻る。軍を再編し、魔族との戦いに備えるのだ」


 恥知らずであろうと構わない。


 「我はエルドゥラー、黄金の獅子にしてエリンの意思を継ぐ者也」


 邪魔する者が居るならば踏み潰し。


 「アニエス、ハル。エリンは消えたのだ。魔王と共に存在を消し、神剣も行方を眩ました」


 歯向かう者が居るならば全て破壊する。


 「我はエリンの意思を継ぎ、彼女の目指した理想を我が体現する」


 大きく目を見開いた二人の横を素通りし、大斧を背負ったエルドゥラーは悠然と歩みを進める。


 無慙で結構。恥知らずと罵られようと気にも留めない。己の道を阻むは誰であろうと容赦はしない。この舞台に上がった己を止められる存在はのみ。その存在が現れるまで舞台を回そう。己の役目を果たそうではないか。


 最低最悪な役者を登用した事を後悔するがいい。神の意思が己に道を示し、脚本と筋書きを用意したならば後戻り出来ない場所まで突き進もう。数多の死と戦場を踏み越え恥を忍んで栄光に至ろう。

 恥―――そう、悪に染まる己が内心と決意は恥である。


 慙愧を飲み下し、恥の泥を被り、恥知らずの無慙であろうと誓う。


 それこそが、勇者主役になりそこねた英雄凡人。狂王と呼ばれるまでに至るエルドゥラーの軌跡だった。





 ……

 ………

 ………… 

 ……………

 ……………

 …………

 ………

 ……





 息を吐き出し、勇者と英雄の旅路を語ったエルドゥラーは黄金の瞳でサレナを見据える。


 美しい白銀の髪はエリンの白銀の瞳を想起させ、一日一夜を共にした名も知らぬ女性を思わせる星々を思わせる白き銀。誰もが知る英雄であるエルドゥラーを知らぬと言った女性は、彼の傷つき罅割れそうになっていた心を癒し、淡く儚いを思い出させた。


 そのは本来エルドゥラーに存在する絶対的な力である筈だったが、彼はその力を不必要と断じ、手放してしまった。


 「以上が我と勇者との旅路である。サレナよ、お前には力がある。力がある者は舞台に上がり、名を知らしめねばならぬ。そう、勇者がそうしたようにお前も英雄の道を歩むのだ」


 この少女には力がある。何もかものを洗い流し、変えてくれるという期待が胸を駆ける。


 「サレナ、お前は勇者に似ている。姿形が違えど生命の幸福を願う破界儀は彼女の理想と同じもの。理想を信じ、絶えず進め。願望と渇望は破界儀の原動力であり、その者が抱いた最も強い祈りを力とする。……我は勇者が残した最後の言葉の意味が分からぬ。いや、今となっては何故こうも勇者の影を追い、戦い続けていたのかも分からぬ」


 この少女を引き留めていたい衝動に駆られる。可憐な花を守りたいという願いと直ぐにでも散らしてしまいたいという矛盾した思いの中で、エルドゥラーは二十年の間で変わり続けていた己の破界儀が支離滅裂で破綻しているものだと気づいていた。


 所詮は虚偽に塗れた屑の破界儀。死と破壊しか齎さない塵の力は正道や王道に非ず。いわば彼の破界儀は邪道と覇道の力。こんなもので世界を変えることは不可能に近く、何故エリンが己を止めたのか今となってよく分かる。


 「何時か、近い未来に我は全てを殺す。人類や魔族、ありとあらゆる生命を殺し尽くす血と虐に塗れた王になるだろう。それは変えられない未来であり、書き換えることが出来ぬ脚本。舞台の終幕といえる惨事。サレナよ、その時が来たらお前も気が付くだろう。この世界は茶番であると」


 だから、どうかその時は迷い無く決断してほしい。奪うか、奪われるかの選択を。


 そう呟いた聖王エルドゥラーは玉座に深く腰を落ち着けるとサレナを見つめ、黒甲冑の剣士アインを見据えた。


 「黒甲冑の剣士よ、もし貴様が本当に魔王では無いのならサレナを守り通してみよ。そう、それが騎士の誓約を結んだ者の責任だろう」


 と、憤怒と憎悪を宿した口調で殺意を以て話した。

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