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影となりて ①

 凡人が超人を知り得ることは決して無い。


 超人が凡人を知り得ることも決して無い。


 どれだけ英雄と称えられようと、どれだけ勇者と比肩する存在と謳われようと、エルドゥラーは決して自分をエリンと同等に扱う事は無かった

 世界の何処かに存在する神を感知し、神に剣を向ける勇者とただ破界儀を得ただけの凡人をどうして同等に扱えようか。魔王と対等に渡り合い、絶望的な力の差を前にして余裕の表情を崩さなかった超人に凡人が張り合える筈が無い。


 エリンと旅を続け、魔王の一件から旅の友に加わったアニエスと旅の途中で出会った英雄ハルと共に戦場を駆け巡る日々に変わりは無い。


 斧を振るい敵陣を突破しては魔法の雨を掻い潜り、的確に敵の将を討ち取り上級魔族を殺す。その戦闘方法は機械のように正確無比な迷いを感じぬ動き。


 エルドゥラーの黄金の瞳は常にエリンの動きを捉え、口の動きから小指の先までの一挙一動を見逃さない。彼は戦場で敵を殺している間でさえも勇者の行動をジッと観察し、剣の振り方から戦士への檄の飛ばし方をする。己を凡人と卑下する英雄は、人類最高の勇者を模倣するために視線を向ける。


 凡人、空虚な器、英雄の成り損ない、ただの人類の一人……。エルドゥラーが発する言葉に以前のような希望を求める姿は無い。世界の真実の一端に触れた彼は、この世界で起きている人魔闘争の全てが茶番劇にしか見えなくなっていた。ただ種族が違うという理由だけで際限なく殺し合いに興じる双方が疎ましく、勇者に縋る人類が滑稽に思え馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。


 だが、それと同時に戦争という現実の中で戦い続ける己も馬鹿で阿呆な屑であり、唾棄すべき人類の一人であるとも感じてしまう。エリンという存在を崇拝する気持ちと、何故彼女ほどの英傑が人類の為に勇者でいようとするのか理解出来なかった。エリンが本気で行動する意思を持っていたら魔王との戦いは直ぐに始められるのに、何故毎日のように戦場で戦い続けるのか分からない。


 己の思考が支離滅裂で破綻しているとエルドゥラーは自分自身で理解していた。理解しているからこそ、気持ちの悪い違和感と吐き気を催す悪意を感じ取られずにはいられない。常に誰かがエルドゥラーを見つめ、彼の行動と選択を逐一記録し干渉しようとしている気配を常に感じ取る。その存在が何者なのか知り得る術を持たないが、それは近くにいるようで、遠くにいる奇妙な存在だという事は理解出来た。


 抱いた意思も、誓った誓約も、全てに意味があるのならばそれで構わない。誓約が力を与える世界において、彼が抱いた思いは紛れも無い本物だ。本物であるからこそエルドゥラーはたった一人で魔族の軍勢を叩き潰せる力を得たし、死した戦士の記憶も脳に流入している。


 絶望と死が蔓延している戦場であろうと、自軍が壊滅寸前の状況であろうと、エルドゥラーは生き残る。勇者もアニエスもハルも必ず生き残る。それは奇跡や希望と言えるだろうが、エルドゥラーは運命と断じていた。


 死ぬ時でないから世界は自分達を生かしているのだ。生きる必要があるから生かされているだけに過ぎない。用済みとなったら生ゴミのように捨てられる。後ろ暗い言葉を吐くエルドゥラーにアニエスは怒り、頬を叩くが彼の黄金の瞳はエリンだけを見つめ、答え合わせをしているように視線を向ける。その視線に彼女はそっと頷き、神剣を担いで歩みを進める。そんな事が何度も続いた。


 人は与えられた役割を演じ、運命に翻弄される役者なのかもしれない。人魔闘争という演目の中に世界という舞台を演出し、勇者と魔王という二人の主演が配置される。


 勇者と魔王には人魔の今後を決するという目標が与えられ、二人はその為に戦うのだ。主演の周りに居る存在は脇役から狂言回しという役目に努め、茶番のような劇にいろどりを添える。エルドゥラーという個人は、その二人を内の勇者に付く脇役であり、悲劇と無力感に苛まれる凡人なのだろう。


 遥か昔より続く連綿とした茶番劇を監督し、脚本を綴る存在が居る筈だ。だが、暗幕の裏に潜む支配者の存在は役者と舞台も知らぬ未知の領域。木っ端な破界儀を得ただけでは影を踏む事すら許されず、求めようとも得られない。誰も彼もに尻尾の先すら見せぬ神と呼ばれる存在を知るのはただ一人。エリンと呼ばれる勇者のみ。


 運命を受け入れるか否か、それは人其々の意思である。だが、諦めと無力感に苛まれるエルドゥラーは凡人という与えられた役目を半ば受け入れ、戦い続けていた。どれだけ血が流れようと、どれだけ傷付き地に伏せようと、己の運命という役割は決して彼を殺さない。それは呪いか祝福か。絶望を宿した黄金の英雄は勇者主演への憧れと信仰を募らせるばかりであった。


 慙愧を知らぬ恥知らずとなればどれだけ良かっただろう。


 無知蒙昧な傀儡として生きられたらどれだけ楽だっただろう。


 力を得なければ命を無意味に散らす世界で、意思と誓約を持ってしまった者は不幸だ。


 何故―――力があるのに世界を変えられないのだろう。


 血と汗に濡れる額を拭い、アニエスの治療術を受けて立ち上がったエルドゥラーはエリンへ視線を向ける。


 希望を象徴し、未来へ導く意思を持った彼女は尊い光と呼べる者。時に激怒し、時に悲しみに慟哭し、常に笑顔と勇気を与える勇者。エリンはどんな英雄譚に登場する英雄や勇者よりも遥かに勇者らしい女性だった。彼女が居たからエルドゥラーは己の内に潜む闇と絶望に抗えることが出来たし、どんな運命が待っていようとも対峙する覚悟を持つことが出来た。


 エリンを崇拝していた。


 エリンを敬っていた。


 エリンを畏敬していた。


 エリンを信じていた。


 勇者よりも勇者らしく、勇者のようなを追い求める姿に希望を見た。勇者が思い描くような理想を疑わない姿勢に共感した。誰もが諦めていた理念と理想を掲げた彼女に、エルドゥラーは憧れという炎を燃やさずにはいられなかった。


 故に、本来の役割を彼は忘れてしまった。記憶の奥底に封じ込め、エリンという勇者を模倣する影に仕立て上げてしまった。この事実は本人であるエルドゥラーすらも知り得ぬ事実であり、彼が真の破界儀を得ることによって知るものだ。


 勇者の影になろうとする黄金の獅子は、勇者の模倣という悪に手を染め自らの希望を手放した。彼の思いは真実を知り、自分自身を赦す事で完全な形として再生する。だが、それは億万分の一という確立であり己を屑や出来損ないと蔑むエルドゥラーには決して訪れない。


 本来の役割を見失い、役目を放棄した凡人の慙愧はあの日に訪れた。そう、勇者が魔王城にて失踪したあの日にエルドゥラーは真の黄金を失ったのだ。

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