エリンという勇者はエルドゥラーからして見れば破天荒で常識破りの一言に集約される女だった。
圧倒的な武技と天才的な戦闘センス。誰をも魅了する不可思議なカリスマ性。敵である魔族の死を悲しむ異常な感性。悲しみ、怒りながらも勇者として人類の敵である魔族を殲滅する矛盾した人間性。その全てがエリンという人間を体現する重要な要素であり、エリンという特別な存在を誇示する因子である。
神剣を振るい、戦場を駆ける彼女に魅了される者は少なくない。ある者は崇拝を、ある者は尊敬を、ある者は畏敬を抱き、戦場に存在する全ての生命の瞳が彼女へ向けられていた。プラチナブロンドの髪を靡かせ、返り血一つ浴びない白銀の瞳の乙女を人類魔族問わず見惚れていた。
エリンと共に戦場を渡り歩き、勇者という存在を知れば知る程自分には何も無いとエルドゥラーは思い悩む。敵を殺し、戦士の屍を踏み越えて力を振るえばどれだけ絶望的な戦況であろうと勝利を掴むことが出来た。だが、その勝利は自分の力を使ったからではなく、エリンという勇者が居たことによって得られたものではないのかと邪推してしまうのだ。
勝ち続けることが普通の事のように思えてしまう。上級魔族と対峙してもエリンと共に戦えば討ち取る事が可能だった。強大な敵が立ち塞がろうとも破界儀を振るい、勇者と神剣の力を合わせれば勝ち進むことが出来た。勝てば勝つほどにエリンとエルドゥラーの名声と武功は高まり、劣勢に傾いていた戦況が優勢に傾き始める。世界に敷かれた制約を無視する奇跡に、少なからずエルドゥラーは恐怖した。
時折彼女がどうしても恐ろしく見えてしまう。勝利することが当然のように立ち振る舞い、戦闘の後には決まって涙を流しながら慟哭するエリンが恐ろしい。恐ろしいのだが、勝利を得る為に剣を振るい、戦い続ける様は
エリンはあまりにも勇者らし過ぎた。いや、勇者という型枠に嵌まらない強大で絶対的な存在感を放つ彼女にエルドゥラーは勿論、彼以外の戦士も彼女を崇拝し、その光り輝く意思と敵軍を薙ぎ倒す神剣に崇敬の意を抱かずにはいられない。敗戦が確定している歴史がエリンという勇者の存在により、違う道を歩もうとしていたのだ。
一度エルドゥラーはエリンに聞いたことがある。何故勝利を疑わず、剣を振り続けることが出来るのかと。何故世界の制約を理解しているのに、絶望せずに戦い続けることが出来るのかと。その問いに彼女は何を言っているんだと言った風で笑い、話す。
「私の目には世界の制約なんて細っぽい糸にしか見えないよ。何でみんな制約なんて馬鹿げたものに縛られるのかな? 自分が自分ならその意思で歩めばいいのにね。私はこの人魔闘争なんか見据えちゃいない。本当の戦いは違う場所にあるんだ」
「違う場所だと?」
「うん。君にもいずれ分かると思うけど、私は魔族を敵だなんて思っちゃいない。本当の敵はこの世界を作り上げた神様だと思うんだよね。神様の我が儘で人魔闘争の歴史が紡がれて、人は苦しみ続ける。それが許せないんだ」
「エリン」
「なに?」
「神様とは何だ?」
神。その言葉は理解できるがハッキリとしたイメージを持つことが出来ない。そもそも神という存在がまるで理解できない。いや、人類の歴史は人魔闘争で紡がれる血の記憶。神と呼ばれる存在が歴史を紡ぐとは、どういうことだ? 何故人魔闘争が始まった?
人魔闘争が始まった原因は些細な領土問題であった筈だ。千年前に起きた紛争が全世界に拡大し、他種族同士の魔力汚染が人類領と魔族領の二つに分けた。人類と魔族の魔力は双方にとって有害な猛毒であり、世界に存在する有機物と無機物は人類領と魔族領のどちらか一方の性質を帯びている。だが、何故戦場と戦線にはその毒が当て嵌まらないのか。
薄ら寒い悪寒が背に走る。これ以上考えを巡らせれば取り返しのつかない出来事が待っているような気がした。気づいてはいけない事実に気付き、触れてはならない真実を知ってしまうような予感。エルドゥラーの背後に黒い靄が集まり、実体を持つ寸前で神剣が靄を斬り裂き
「エルドゥラーはまだ気づいちゃいけないよ。気づかぬフリをしながら生きなきゃいけない。君は自身の破界儀を見失ってしまっているし、君自身が持っていると勘違いしている破界儀は完全な力じゃない。歪められ、変容している力は新たな絶望と支配を生むだけさ。いいかい? 優しさと慈愛の心を忘れちゃいけないよ、エルドゥラー」
「エリン、話を逸らすなよ。神とは何だ? 神という存在は何処に居る? お前は世界が許せないんじゃないのか?」
「……神を殺す事が出来るのは私ともう一人の共犯者だけさ。私の共犯者は絶対に人類の前に姿を現すことは無いし、この罪が暴かれれば世界は本当に終わってしまう。だからエルドゥラー、私のことは気にしないで欲しいし、全てが終わった後に全部話すと約束する。これは勇者としてじゃない、一人のエリンとしての約束だよ」
「それは真実か?」
「……うん」
「……そうか、なら信じよう」
「信じてくれるの?」
「当たり前だ。お前は何だかんだで大事な話をしない癖があるが、嘘は話さないだろう? そんなお前が全て終わった後に全部話すと言ったんだ。俺が信じなければ誰が信じる」
「……ありがとう、エルドゥラー」
「礼など言うな。俺は聖王になる男だ、友の言葉を信じないで何を信じる。エリン、一つ言っておくぞ? 俺はお前を信じるよ。例え許されない罪を抱いていても、真実を話せずにいても、俺はお前を信じる。だから全部終わった後にちゃんと聞かせろよ? 友よ」
信じると語った。彼女の重荷を背負いたいが、それは人間一人の力では背負いきれない責務であると直感した。
「エルドゥラー」
「何だ?」
「君って本当に優しいよね」
「馬鹿を言うな、俺が優しいだと? ただ普通に接しているだけだろ」
「そうじゃないよ。聞かれたくない話を聞かないってのは優しさの証拠だと思うけどね。うん、人が嫌がることをしないのは黄金律の基本だよね」
「そうかい」
「そうだよ」
この会話を最後にエリンとエルドゥラーの間で神に関しての会話は存在しない。
夕照が二人を染める中、一人のエルファンの少女が二人を見つめていた。高貴な出自を思わせる衣服と膨大な魔力を秘めた大杖を持つ少女は、二人の生きる伝説を暫しその翡翠と茜の両目で眺めると意を決して近づく。
その少女は後にエルファンの国、魔導国家ワグ・リゥスの女王となる少女。桜色の髪を靡かせた美しい少女アニエスは大股でエリンに近づき仰々しい態度で言った。
「ありがたく思いなさい! 貴女を私の家来にしてあげる!」と。