ドゥルズの亡骸を抱き上げ、涙を流しながら抱き締めたエリンの姿にエルドゥラーは困惑を隠しきれなかった。
彼女は敵である筈の魔族の死を、自分が斬り殺した相手の死を嘆き、慟哭する。後悔しているような、それでいて自分だけが重荷を背負い続けるような悲憤を包み隠さず涙を以て表す。この荒れ果てた戦場で泣き叫ぶエリンの姿は思い描いていた勇者ではなく、一人の女の姿であった。
何故敵の死を嘆くのかエルドゥラーは理解できなかった。戦場での戦いは常に死と隣り合わせであり、敵である魔族の死に嘆く暇は無い。荒れ狂う魔法の波を突き進み、敵を刃で断ち斬って殲滅した後でようやく無数の死という実感が手に残る。生命を殺し、自分が生き残ったという事実を噛み締めるのだ。
「……何故、お前は泣いている」
「当たり前だよ、人を殺してるんだよ? 魔族だって同じ生命なのに、世界の都合で命を奪わなきゃいけないなんて、悲しいよ」
「お前は勇者なのだろう? 勇者ならば、神剣を持つ者ならば、魔族を殺して当然じゃないのか? 人類の希望を担っているのではないか?」
「……エルドゥラー、君は世界をどう思ってるんだい? 制約に支配された生命と争い続けなければならない人魔闘争をどう思ってる?」
「お前は、何を言いたい」
「私はただ知りたいだけだよ。知って、見て、選択し続ける。私が私である為に、この世界自体が間違っていると証明するために、私は戦い続ける。例え後の時代で最も人を殺し続けた勇者だと誹られようと、自分勝手な我が儘だと言われようと、私の想いと願いは間違っていなかったと誇りたい。人の為に、生命の為に、この終わりの無い不変を変えたいんだ」
常に争い続け、人が死に続ける世界。人類が勝利したとしても、歴史を紐解けば次の時代には敗北が決定している
不幸に嘆く者の涙を拭いたかった。涙を流すことの無い世界を夢見ていた。小さな幸せを見つけることが出来る平和を実現したかった。だが、そんな子供じみた夢は戦火に焼かれ、常に戦い続ける中で願いは煤けて穢れてしまった。
尊い夢があるならば、それは砕けて散る為に存在しているのだろう。子供が持つ夢は儚いからこそ美しく、届かないからこそ光り輝く。エルドゥラー自身も己の中にある力が何であるのかを理解しているが、本質を掴めない。穢れてしまった夢を拒んでいる為か、既に手放してしまった為か。彼の中に宿る破界儀は穢れ煤けた意思を以て破壊を求める。
だからこそエリンの言葉に耳を傾けてしまう。その真っ直ぐな意思と言葉に戦いの意味を見出してしまう。神剣を携えた勇者に己が見失った希望と光を見出してしまうのだ。
「エルドゥラー、君はこの世界をどう見ている?」
「俺は……」
当初の夢は煤けて穢れてしまった。抱いた願いは戦火に焼かれ、灰となった。故に、穢れて灰となった願望と夢想を再構築し、新たな願いとして意思と成す。
「……この不幸に染まった世界を壊したい。全てを破壊し、滅却し、真っ新な大地と化したい。この世界は不条理で、理不尽で、許し難い悪に汚染されている。だからこそ破壊し尽くさなければならない」
破壊しなければならない。この不条理で理不尽な世界を破壊し、真っ新な大地として作り変えなければならない。
「戦争で死ぬのは戦士だけでいい。戦士の屍の上に新たな大地と歴史が紡がれるなら俺はこの命を捧げても構わない。だが、戦争で死ぬ戦士は名も無き兵ではない。みんなには名前と人生があった」
戦場で屍を積み上げるのは一般人ではなく、剣を持つ戦士である。無数に積みあがる屍には皆それぞれに歩んできた人生があり、名があった。この荒廃した戦場に倒れた戦士の名を記憶しよう。彼等が生きてきた証を記憶し、絶対に忘れない。人魔闘争がどれだけ長引こうが、数え切れない死が積み重なろうが、己は絶対に彼等の名と生を記憶し続ける。
彼等の死が無駄ではなかったことを証明しよう。彼等の死が栄光へ至る為の死であったことを己が意思と誓約を以て世界に刻み込もう。いずれ王冠を戴き、この信念と決意が汚濁に穢れてしまっても戦士の名と生は忘れない。己は
エルドゥラーは言葉無くエリンに誓う。己はこの光が生んだ影となり、希望と未来を手にしようとする勇者の影であると。希望を喰らう絶望が忍び寄るのならば、その絶望を叩き壊す絶対者であると。
勇者が後世において愚者であると誹られる覚悟を以て剣を振るうのならば、己は聖王という地位に就き狂王と呼ばれても構わない。幾千もの屍の上を歩く事になろうとも、戦士に決死の命令を下す決断を迫られようとも、迷わない。己の選択は常に間違っているのかもしれないが、勇者がその選択の上で民に希望と光を示してくれるならばこの身と心を捧げよう。エルドゥラーという人間は、勇者の影となり戦い続けることを誓おう。
「俺はこの世界が許せない。許せないからこそ牙を剥き、刃を研ぎ澄ます。勇者エリン、お前が世界に向けて怒りや悲しみを抱くならば、俺は殺意と憎悪を抱こう。この身に宿る力―――破界儀は世界を殺す為の力なんだ」
世界の異質さを正す為には一度殺さねばならないと、エルドゥラーは己の破界儀を以て示す。黄金の瞳に宿る殺意と憎悪はエリンの白銀の瞳を見据え、破界儀の力を確立させた。
「示してくれ勇者、お前の敵を。真に倒すべき存在が何なのかを。俺の力を向けるべき存在を教えてくれ」
「……ふ」
「ふ?」
「アハハ! 君ってば随分と真面目な人なんだね、少しだけ驚いちゃったかも」
「ふざけるな、俺は真面目に」
「真面目真面目ってさ、少しは肩の力を抜きなよ。そんなに気張ってると疲れちゃうよ? それに顔、怖いよ? ほら笑って笑って!」
「勇者! 俺は!」
「エリン」
「は?」
「私の名前はエリン。勇者って名前じゃないんだよね。だからエルドゥラーもエリンって呼んでよ」
「……」
「もう固いなぁ……。ま、いいや。ほら行くよ」
「行くって、魔王討伐か?」
「違う違う! 戦の後は飲み食いしなきゃね」
先程までの雰囲気とは打って変わって朗らかな笑顔を浮かべたエリンは神剣を担ぎ、死体の山を乗り越え先へ進む。
「ゆ―――エリン! 魔王は!」
「ったく、魔王はまだ動かないよ。私には分かるから」
「分かる? どういうことだ?」
「ん? まぁ……勇者と女の堪ってやつかな」
「んな曖昧な……」
「この戦場は次第に色を変えるよ。今回の勝者は人類だからこの土地は人類領のものになるね。魔王が出てくるのはもっと先だと思うよ」
「……」
「黙んないでよ、怖いじゃん。エルドゥラー、力を抜いて周りを見ることをお勧めするよ。君は何だか危なっかしいからね」
「……お前ほどじゃ」
「私はいいの、強いから。君も強いけど、私ほどじゃないねぇ」
「貶してるのか?」
「いいや? 勇者の次に強いなんて人類最強だよ? 誇りなよ、君の強さを」
「……そうか」
「それで、エルドゥラーはこれからどうするの? 聖都に戻る?」
「いいや」
「じゃぁどうするのさ」
「お前と共に行動する。お前の敵を斬り、世界を正す為に行動するだけだ」
「そ。じゃ、宜しくエルドゥラー」
差し出された手を握ったエルドゥラーは、エリンと共に戦場を去る。
この出会いが後々彼に深い慙愧を刻むなど知る由もなく、目の前の希望と共に歩を進めるのだった。