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エリン ②

 勇者―――それは人類の決戦存在にして種の希望と願いを束ねる者。


 神剣という世界が生み出した決戦兵器を片手に、朗らかな笑みを浮かべた勇者エリンは癒しの術を唱えるとエルドゥラーの体内を腐敗させていた腐毒を打ち消し、肉体の疲労と傷を癒す。


 「ま、私の事なんてどうでもいいじゃん? 君について聞かせて欲しいな、ドゥルズ」


 「……私のこと?」


 「うん! 君ってさ一応上級魔族なんだよね? なら秘儀も獲得してるわけだ。ドゥルズにはこの世界がどんな風に映っているのか聞きたくてさ」


 何を言っているんだこの女は、何故敵である魔族と会話するような真似をする。癒しの術により肉体の傷と疲労、腐毒を回復したエルドゥラーはふらつきながらも立ち上がり、死体の中に転がっていた剣を手に取る。


 「勇者……何故勇者と名乗るお前が魔族と話をする。奴は殺さなければならない。魔族は皆殺しにしなければならないのだぞ!?」


 「ちょっと黙っててよエルドゥラー。私はドゥルズと話をしてるんだよ? 君と話すのはその後だって」


 「お前―――!!」


 エリンの胸倉を掴み上げようとエルドゥラーの手が伸びる。だが、彼女が指を鳴らすとエルドゥラーの身体が鎖に縛られたかのように硬直し、一歩も動くことが出来なくなる。


 「ごめんね? けど、君は自分の感情に流されてるだけで物事の本質に目を向けていない。だから少しだけ動きを止めさせて貰うよ。さ、ドゥルズ。君の話を聞かせてよ」


 「―――」


 神剣を手放し、ドゥルズに歩み寄ろうとする彼女を止める術は無い。困惑するような表情を浮かべた魔族は咄嗟に紫電の魔法を唱え、エリンの心臓目掛けて術を発動させる。


 ドゥルズが操る魔法は正確無比な雷の術と不可視の腐毒である。彼が放つ紫電は高速で獲物を補足し、練り込まれた高密度の魔力を対象の魔力に伝達させ爆雷の如く焼き払う。この世界に存在するありとあらゆる物質は少なからず魔力を持っている。故に、視認する暇なく敵を捉え、高密度の魔力を以て焼き払う紫電の魔法に彼は絶対の自信を持っていた。


 「芸が無いよ、ドゥルズ」


 僅かに身を逸らし、高速で迫った紫電の魔法をして避けたエリンは笑顔のままドゥルズに近寄り、上目遣いで彼の顔を覗き込む。


 「―――!!」


 その白銀の瞳の奥にドゥルズは恐怖を感じた。朗らかな笑顔である筈なのに、エリンの瞳の奥に見えた感情は暴風のように吹き荒ぶ憤怒と悲しみに慟哭する悲嘆。相反する二つの激情を己が内心に宿した勇者は「君には、この世界はどう映るのかな?」と呟き、ドゥルズの瞳を見据えた。


 「教えてよドゥルズ、君の考えと世界の見方を。その言葉で私は世界をもっと知りたいし、私自身の見聞を広めたい。さ、言葉を話してみて?」


 白銀の瞳とプラチナブロンドの髪を持つ女が問う。その言葉には悪意や敵意は無く、ただ自分自身の好奇心を満たしたいという感情だけが乗せられていた。


 瞳の奥に存在する激情からは想像できないほどの柔らかな言葉と笑顔に、ドゥルズの思考は得体の知れない恐怖に支配され、人の形をした何かに対する強烈な違和感を胸に抱く。


 この何かを殺さなければならない。この何かを生かしておいてはならない。この何かは世界の枠に嵌まらない異物だ。何もかもがおかしい。恐ろしい、怖ろしい、畏怖すべき存在故、此処で始末する―――!!


 「貴様は―――貴様は殺す!! 今此処で殺す!! 言葉を交わすか――勇者!!」


 「……そっか、そっち側なんだね。なら、君はその命で以て知らなきゃいけない。真実を、自分がどういった存在であったのかを死ぬんだ」


 地に突き刺さっていた神剣が瞬時にしてエリンの手に収まり、彼女は剣を振るう。


 星光の煌めきが剣の刃から溢れ、宙に美しい軌跡を描くとドゥルズの胴体を一閃する。傷だけを与え、血の一滴も零さずに魔族を凪いだ剣は流星の剣戟を以て命を断つ。


 一粒の殺意を感じない優しい剣。刃によって斬りつけられた傷に痛み無く、涙を浮かべた勇者の顔を見つめながらドゥルズの視界は暗闇に閉ざされる。




 ……

 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………

 ……




 ―――。


 ――――。


 死の中に―――真実を見る。


 何も無い暗闇の中で―――彼は気付く。気付いてしまう。この世界の在り方と歪さに。己がどういった存在で、何故生きていたのかという理由に気付いてしまう。


 そうだ。


 この世界は歪んでいて、かくも醜悪であり。


 たった一人の我が儘な願いと祈りによって、成り立っていて。


 その上に成り立っている世界には、身勝手な制約が敷かれている。


 人魔闘争の中で散った強者の意思と誓約はの力の一部となり、制約の強制執行能力を更に促進させる糧となっているのだ。


 云わば己達は生餌であり、勇者と魔王といった決戦存在はに過ぎない。歴史は歪められ、捏造され、破壊され、作り変えられる。


 傀儡と道化の楽園が地獄であると気付かれぬように、餌が力を蓄える前に死なぬように、 がこの世界に再び生を得られるようにのだ。


 不変を異常と思わぬ傀儡の無限地獄。


 死の瞬間に絶望するように無知を与えられ、この世界の歪みを是として受け入れるよう、生命と人は思考を停止させられている。


 真実を知り、死の暗闇の中で絶望し、苦悩と苦痛を抱く強者の命をが拾い上げる。白銀の髪を靡かせ、白い花に囲まれる少女はその命を嬉しげに見つめると、力を奪おうと抱き締める。


 あぁ、もう少し、もう少しだよ―――。


 その言葉を最後にドゥルズの意思と命は消え去ろうとしたが、彼の力の残り香ともいえる命から神剣の刃が突き出され、少女の胸を刺し貫く。


 「悪いけど、この命と力は彼自身のものだよ。決して君のものじゃない」


 己を殺した勇者の声が響くと同時に、今度こそドゥルズの意思と命は神剣によって斬り払われる。少女は血を吐きながらも神剣を睨みつけ、刃を抜くと声高々に笑い始める。


 あぁ、貴女が新たな統合者ですか、と。


 少女は笑う。痛みなど感じないといった風に笑顔のまま白い花畑に立ち続ける。鮮血に塗れ、人ならざる力を垂れ流す少女は神剣の持ち主であるエリンを見据え、無理矢理繋げられた現世との断面を閉じる。


 「必ず君を終わらせる。この間違った世界と制約を正してみせる。それまで精々過去に縋りついていなよ、


 と呼ばれた少女は笑い続ける。笑って笑って笑い続け、虹色の瞳をエリンに向けると彼女の宣戦布告ともいえる言葉を受け流す。


 私は死なないわ。必ず彼と、アインと相見えるように世界を動かし続けましょう。装置は装置らしく、世界を維持し続けなさい。それが貴女の役目です、勇者人類よ。


 その言葉を最後に、空間が完全に閉じられた。

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