聖王の玉座が存在する王城には限られた者以外居城することは許されない。
衛兵が城そのものを守っていたとしてもその数は百にも満たず、城の管理や王族の世話をする者の方が多いくらい。何故王城である筈なのに兵の数が少ないのかという理由は、現聖王エルドゥラーが人類屈指の英傑であるが故に己が城と聖都を守護する意思を持っている為である。
無駄に兵を城に配置し、限られた人員を肥やしにするくらいならば戦場へ送り出し戦線の維持に努めるべきであると彼は言う。戦線とは人類と魔族の生存領域の境界線であり、戦線が後退するということは人類の生存領域が減少する意味を持つのだ。兵の育成と生存率を引き上げる為に、エルドゥラーは十年の歳月を掛けて聖都と王城周辺に守護結界の術をエルファンの女王と共に構築し、兵が鍛錬場で修練を積む時間と彼等が帰還する場所を用意した。
戦士とは守るべき存在が居るから自らの命を賭してでも戦うのだ。守るべき存在を持たぬ戦士は生きる意味を持たぬ野獣と同義であり、戦士という人と生命は剣を持つ意味を知っているが為に人として生きられる。戦士という剣を持つ人を集め、彼等が抱く意思を束ね、守るべき存在の為に戦場という死が蔓延する地へ送り出す。
聖王という地位に着き、人類統合軍総司令官の肩書を背負うエルドゥラーは戦場で散った戦士の名を全て記憶している。それが彼等に対する贖罪であり、己が背負う咎と責務であると彼は自負しているのだ。己が手に掛けた者の名も全て記憶し、決して忘れない。戦士に栄光の死と生存を強いる矛盾した思考を持つ聖王は狂王として畏敬され、自らを勇者にはなれなかった屑と侮蔑しながら生きてきた。
彼が追い求めるは勇者エリンの影である。エリンならばこうするだろう、エリンならばこう言うだろう、エリンならばこうして希望と光を人々に与えるだろう……。エリンという勇者の影を追い求めるエルドゥラー。彼の意思と誓約はエリンへ捧げられ、エリンが追い求めた世界を自らが成し彼女の正当性を証明するためにエルドゥラーは戦場に身を置き続けてきた。自らの安寧と休息を犠牲にし、二十年間戦い続けてきたのだ。
だが、ふと思い返す時がある。果たして勇者は本当に栄光の死を戦士達に望んでいたのだろうか? と。
誰よりも笑い、誰よりも悲しみ、誰よりも怒った彼女は思い描いていた勇者の姿そのものだった。御伽噺や英雄譚に登場する勇者よりも勇者らしい女性。勇気と愛を胸に抱き、神剣という人類の決戦兵器を掲げたエリンの光を忘れたことは無い。数多の戦友の屍を踏み越え、意思と誓約を託された彼女の涙をどれだけ時間が経とうとも決して忘れ得ない慙愧となってエルドゥラーの記憶に残り続けている。
本当に、エリンという勇者が望んだ世界を成す為に行動しているのだろうか?
エリンの思いを自分勝手に解釈し、彼女が望んだ世界を手に入れようと戦い続けること。それは実のところ人類の戦士達に無用な死を強いているだけではないのだろうか? 世界の制約によって運命を翻弄されたエリンの存在を認めたくないだけで、本当は自分の我が儘を押し通そうとしているだけではないのだろうか?
エルドゥラーとエリンには破界儀が宿っていた。エリンの破界儀は調和と調整を司る破界儀であることは覚えている。エルドゥラー自身の破界儀は破壊と不幸を呼ぶものであり、破滅的な力を宿しているのだ。
破界儀―――それは世界に変革を齎す絶対的な異能。自らの破界儀に関する力を理解すればするほど力は増幅し、この世界の制約から抜け出すことが可能となる。しかし、エルドゥラーは己の破界儀が何であるのか理解しているのに世界の制約から抜け出せずにいた。破界儀という異能が己をこの世界に束縛する鎖のような役目に変容してきている。
何故己の力である筈の破界儀が鎖の役目を果たしているのか理解できない。理解したくとも答えは深い霧の中に隠された無色透明なガラスを探すような徒労に終わり、途方もない無力感と虚無感が彼の精神を猛毒で蝕み疲弊させる。
屑と己を嘲り、塵と己を自虐する。
塵屑のような男が何故エリンの影を追い求める?
どうやってエリンに成り代わろうと画策している?
エリンのような素晴らしいカリスマも無ければ人を魅了する魅力も無い。無価値な己に何が出来る?
エリンの影を求める偽物が聖王なんて笑えてくる。エリン以下の才覚しかない者が戦士に栄光の死を求めるなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。何が王だ、何が英雄だ、何が栄光だ。己のような塵屑は壮絶で惨たらしい死がお似合いだ。何が―――幸福だ。
彼の内にあるのはエリンへの信仰と崇拝。そして自分が足りないと感じていた全てを持つ勇者への憧れ。異性としての好意は一切存在しない友愛。黄金の鎧を着込んだ王は玉座にて白金の大斧を一瞥し、書類と資料に文字を記す作業を一度中断すると周りに散らばった戦況報告書と陳情書を丁寧に拾い上げると後の者が見易いよう整理する。
「我が王よ」
「何用だ」
「客人が到着いたしました」
「通せ。エルクゥス、貴様は下がるがいい」
「王の御心のままに」
王の公務を補助する青年、王室第二王子エルクゥスは僅かに頭を下げ、転移の術を唱えるとエルドゥラーの傍から姿を消す。
玉座の扉が開かれ、四人の人間の姿が見えた。一人は共犯者であるキリル。彼女の後ろに続く者達を見据えたエルドゥラーは、白銀の髪を靡かせる黄金の瞳を持つ少女と異形の甲冑を身に纏う剣士を見据えた。
「我が王よ、キリルは王の客人を連れて参りました」
「……キリル、貴様はこの場に居るといい。そして、よく来た白銀の者と黒の異形を纏う者。我が名は聖王エルドゥラー。人類を統べ、魔族を討つ者也」
そして、王は白銀の少女サレナに己と同じ力を見る。