人類の戦士殿、人類軍本拠地、栄光と光の黄金郷。
聖都ウルサ・マヨル。華やかさと煌めきが調和した聖都の大通りを魔導馬車の車輪が重い音を立てて進む。
聖都に住む人類の多くは戦士である。戦士は日常的に鍛錬場へ足しげく通い、戦場に向かう準備を整える。力が無くては生き残れない。生き残るために技を磨き、牙を研ぐ。魔族という人類の敵から人の生存領域を守護するために武器を取る。
良く晴れた日だった。戦士の一人が朝食をとり、愛する家族に鍛錬場へ行くことを伝え、家の扉を開くと大通りに人だかりが出来ているところを発見する。人々の視線の先には神剣の紋章が印された魔導馬車が見えており、戦士は人々の隙間を縫うようにして最前列へ歩を進める。
馬車の窓は不可視の術が仕掛けられており、中に誰が入っているのか分からない。だが、聖都に生きる者ならばその馬車に誰が乗っているのか大体の見当はつく。
王族か人類軍の重要人物の誰か。となれば王の命令で戦場へ赴いていた第一王子アクィナスが戦線を押し上げる任を完遂し、帰還したのだろうか。戦士は何とか英雄を一目見たいと身を乗り出そうとしたが、足元に幼子が居ることに気付くとグッとその衝動を堪えて踏み止まる。
神剣の紋章が印された魔導馬車は大通りを往く。多くの民衆の眼差しが向けられる馬車に乗る四人の内の一人、白銀の少女サレナは外界からの光を防ぐ反射魔法が施された窓ガラス越しに民衆を眺めていた。
「キリルさん、どうして皆さんは集まっているのですか?」
「それはこの馬車が人々の視線と意識を集めているからです」
「視線と意識を集めている……?」
「サレナ様と騎士殿は知らぬでしょうが、この馬車が聖都の通りを往くということは、王族か人類軍の重要人物が都に帰還したということ。神剣とは人類の象徴にして希望の証。それを背負う者は民の希望を一身に引き受ける光であるのです」
「神剣……」
「世界が生み出した神が如き聖剣。勇者が持つ決戦兵器であり、人類の切り札。究極の光にして希望を纏う救世の絶剣。神剣とは人類の意思と願いの集合体にして如何なる魔をも斬り伏せる剣の形をした兵器です。ですが、神剣という象徴は半ば形骸化しており人類の極僅かの者以外、失踪した勇者と共に紛失した事実を知りません」
眉一つ動かさずキリルは語る。神剣という人類の決戦兵器が紛失してしまった事実を。勇者の失踪を。希望と光を司り、人類全体の意思と願いを束ねて振るわれる聖剣が人類の手から離れてしまったことを淡々と話す。
「この馬車は二十年前に作られた高速移動魔導具です。馬車の外装には神剣の紋章が印され、人類に希望を与えるような役割を持っています。サレナ様、それは何故かお分かりですか?」
「……勇者と神剣の存在を皆に知らせる為、でしょうか」
「正解ですが不正解です。この馬車の存在意義は単なるプロパガンダの為であり、勿論勇者と神剣の存在を今現在戦場で戦い続けている戦士達に伝える要素もありますが、本来の目的は敗北の色が見え始めている人類の士気を上げる為にあります」
「……」
「サレナ様、戦争とは政治と思想の延長線上にあるのです。聖王が制約の上で決められている人魔闘争のルールを破壊する為に神剣と勇者の存在を利用し、王は己の思想を以て人類を勝利に導こうと奮戦しております。己の命を薪として戦意という炎に焚べ、勇者に誓った意思と誓約を世界の制約という宿敵に向けて刃を研ぐ。聖王という
「キリルさん、聖王の目的とは何ですか?」
「私の口からはこれ以上の情報を伝えることは出来ません。ご容赦下さい」
口を閉じ、懐から取り出した手帳に何かを書き記すキリルから視線を外す。
窓の向こう側に見えるは一心に光と希望を求める民衆の姿。子供から大人まで多種多様な種族が馬車を見つめ、神剣の紋章馬車に期待を募らせる。
「サレナちゃん」
「は、はい。何でしょう、クオンさん」
「少し顔色が悪いけど、大丈夫?」
「大丈夫です。心配ありませんよ」
「ならいいけど……。ほら、アインも何か言葉を掛けてやりなよ」
クオンに声を掛けられたアインは返事を返す事も無く、視線をある施設一点に集中させていた。聖都の中心に位置する黄金と白銀の大聖堂。ジッとその施設だけを見つめていたアインの視界の隅に真紅と漆黒が這いより、鼓膜には封魔の森で遭遇したあの忌々しい化外の声が響き渡る。
―――な
肉と金属が擦り合う不協和音を体現したような声が嘯く。
――――るな
剣が僅かに震えたような気がした。声に反応するように、剣が意思を持って自らを震わせているような錯覚を覚える。
近寄るな―――過去の―――残照に
ジワリ、と。視界に真紅が滲む。
真紅は胸の内に渦巻く殺意を刺激し、土石流が如くに暴れ狂う憎悪に触れる。
―――ン―――アイン―――よ、―――の英雄よ
声。声が響く。視界を真紅に染める声が、己を引き留めているように感じた。
声の一言一言を聞く度に血が逆流するような不快感を覚える。甲冑の内側で己の肉体が引き裂かれるような苦痛を得る。以前では感じ得なかった痛みと苦しみにアインが呻き、狂い果てようとも狂えずにいる精神が膨大なまでの激情を垂れ流し、甲冑が感情を燃料として魔力を生成する。
血―――この真紅は血だ。血が世界を真紅に染め、真紅と漆黒の闇を以て世界という歪みと醜悪さで構成されている存在を塗り潰そうとしているのだ。無限に生成される魔力を黒の剣が貪り喰らい、憤怒と憎悪によって研ぎ澄まされる刃を鈍色に輝かせる。
殺せ―――殺すのだ―――我は汝――汝は我。
神剣を―――魔剣を―――我々の意思と誓約を―――汝が存在する意味を知れ。
アイン―――そう、貴様はアインなのだ―――アインであるのならば心を失わずして敵を斬れ。
英雄―――英雄よ―――始まりの罪を刻まれた英雄よ。
思い出せない。記憶に無い。何故罪を刻まれた英雄と呼ばれる。そもそも己は英雄ではない筈だ。アインはアインだが、この名はサレナから与えられた唯一の名。アインという一つの生命の名を、何故声は知っている。
真紅と漆黒に塗り潰された視界の中で必死に手を伸ばし剣を手繰る。敵と呼べる存在を斬り殺す為の武器を探す途中、パッと視界が晴れ己の手を見ると其処には鋼の装甲に包まれた手指は存在せず、代わりに左右別々の種族の手が見えた。
右腕は人間の手、左腕は異形の手。亀裂が奔った腕からは血が溢れ、黒と赤の肉が蠢く。
「―――」
絶句する。己の肉体がこんな異形であると予想できなかったアインは言葉を失い顔を撫でる。
「―――」
目が多かった。二つの眼の他に四つの眼球が存在する異形の面貌。声にならない声をあげ、恐怖と未知に彼の精神が狂気に侵される。
「―――ン」
これは何だ。何故こんな顔を、こんな腕を持っている? 自分は何だ? これは、現実か?
「アイン―――」
剣を、剣を取れ。剣を持って戦え。
いや、何故戦う? 戦うべき存在は何だ? 斬るべき敵は誰だ? 何故、こんなにも戦えと意思が叫ぶ?
「アイン!!」
「―――ッ!!」
サレナの声にアインは身体をびくりと震わせ目を開ける。
「大丈夫ですか? すごくうなされていましたが……」
「……少し、夢を見た気がする」
「夢? 眠っていたのですか?」
「……多分、な」
頭を振り、両の手を見つめると其処には見慣れた鋼の手指が存在していた。異形の腕ではない黒鋼の腕に安堵したアインは剣を一瞥した。
「珍しいですね、アインが人前で眠るなんて」
「ああ」
「どんな夢を見ていたのですか?」
「……さぁ、どうだったかな」
思い出そうとも夢の記憶は曖昧となり、水泡が如く弾け飛ぶ。不思議そうな顔をしたサレナとクオンは「まぁ、そういうこともあるよね」と話す。
「皆さま、間もなく王城に到着します。ご準備を」
そうキリルが述べると魔導馬車は王城へ進みのだった。