月が沈み、太陽が顔を覗けば朝が来る。
朝焼けに燃えるスピースへ一台の馬車が車輪の轍を道に刻み、都市の門戸を叩く。
馬車に印された紋章は神剣を象ったシンプルなもの。神剣の紋章が印され馬車を意味するのは王家と人類軍の重要人物がこの都市にやって来たということ。
門の警備に当たっていた衛兵は、馬車の窓から覗く鎧姿の青年から一枚の書状を受け取ると一切の乱れなく姿勢を正す。
「後に使いの者が来る。我が王の客人に粗相が無いように」
「ハッ!!」
「私は一度聖都に帰還せねばならない。我が王の興味を注がれる者の顔を見られないのは残念だ。君、サレナという少女を知っているかい?」
「存じ上げません!!」
「ならば結構。では、書を銀春亭という宿に滞在している少女へ渡すように。頼んだよ」
「ハッ!!」
馬車が大きく円を描くように転回し、朝焼けを目指す。書を受け取った衛兵はその姿が見えなくなるまで姿勢を保ち続け、王家の紋章が刻印された封書を手に持ち続けていた。
人類軍に属する兵の中で青年の顔を知らぬ者は存在しない。軍内外で英雄と謳われる英傑の一人にして、聖王の血を引く黄金槍。
黄金の騎士は遠ざかるスピースを見つめ、物思いに耽る。あの都市から父である聖王と同じような力を感じると同時に、聖魔が入り混じった異形の力を感じ取っていた為だ。
祝福を受けているのに呪われている。呪われているのに加護を授けられている存在がスピースの何処かに潜んでいる。その存在は朧げな霞のようなもの。此方から触れようとすれば実体を歪ませ理解の範囲外から牙を剥く狂獣のような力。アクィナスは無自覚に震えていた己が手を力強く握り締め、口元に笑みを浮かべる。
この震えは恐怖からのものではない。まだ見ぬ強者の存在が嬉しくて堪らない故に槍を意思が欲しているのだ。彼の闘志と戦意が闘争を求めているのだ。金糸の獅子アクィナス、彼の槍と秘儀は未知の存在を渇望する。
嗚呼、我が槍に負けてくれるなよ? 魔族の戦士よ。
嗚呼、我が黄金槍に続け人類の同胞よ。
嗚呼、我が王であり我が父よ、狂気に飲まれた聖王よ。何時か救われる日を願わん。
……
………
…………
……………
……………
…………
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……
朝日と共に目が覚めたサレナは大きく伸びをすると手早く仕事の準備を済ませ、既に仕事場に仕事場へ向かったアインの後を追う。
今日はすこぶる調子が良いような気がした。胸の内より魔力が溢れ、生命力が満ち満ちているように感じた。
一度に膨大な量の魔力を使用する事に身体が慣れてきたのだろうか? 軽やかな足取りで階段を駆け下りたサレナは眩い笑顔で銀春亭の従業員と挨拶を交わし、アインと視線を交差させる。
仕事中であれば他言は無用。アインはその鍛え抜かれた肉体を最大限に活用し、大の男でも難儀する力仕事を黙々と続けていた。小麦粉の袋を一度に十袋運び、指定された場所に積む。大量の食材が詰め込まれた箱を弱音一つ吐かずに倉庫へ運ぶ剣士に対し、飯女と男達は感心したような眼差しを向け、皆口々に「流石は英雄様だ」と話す様子が見られた。
「おっはようサレナちゃん! どうしたの? またアインを見つめちゃってさ」
「おはようございますクオンさん。いえ、そんなに見つめていたわけでは無いのですが……アインが誰かに認められているようで、嬉しかっただけですよ」
「まー、アインったら力仕事を頼んだら黙々と働き出しちゃってさ。一言も話さないで働いてんの。真面目っていうより、何だろう、馬鹿正直って感じだよね」
「自分のやるべき事に真っ直ぐな人なんですよアインは。クオンさん、ティオさんは今日お休みですか?」
「ティオなら今日は休みだってさ。何でもお母さんの手伝いで忙しいとか何とか。いや、あの子のお母さんが目を覚ましたって聞いた時はビックリしたけど、サレナちゃんのおかげ?」
「私は少し手を貸しただけに過ぎません。けど、よかった」
ほっと胸を撫で下ろし、柔らかい微笑みを浮かべたサレナからクオンはこの少女がティオの母を救ったという確信を得る。
「サレナちゃん、あのさ、相談なんだけど」
クオンの言葉を遮るように銀春亭の外が騒がしくなる。店外で待機している客と店員の視線が広場に停車した神剣の紋章が印された馬車に注がれていた。
「皆さん何を騒いでいるのでしょう?」
「……」
「クオンさん?」
「サレナちゃん、あのシンボルを見た事が無いの?」
「はい」
「あれは神剣を象った紋章だよ。多分、中に入ってるのは」
馬車の扉が開き、ブラックストライプのパンツスーツを着た女性が歩み出る。
「……」
「サレナちゃん?」
女性はサレナを視界に映すとモノクル越しに見える色彩が安定しない右目を少女の黄金の瞳に合わせ、妖艶な笑みを浮かべる。いや、色彩が安定しない。それは右目だけではなく、髪色も唇色も全ての色が不確かであり、ハッキリとした形を持たない不規則な乱数のような女性。それがサレナが最初に抱いた女性への印象だった。
人は己の内に様々な感情を抱く生物だ。アインやクオン、サレナにしても、誰もが自分だけの感情を胸に秘め、生きている。感情とは言葉に発せずとも瞳や表情を窺えば大抵の事は分かる。だが、女性からは一切の感情が感じられない。ただ其処に居るのが当然だと云わんばかりの不安定でありながらも圧倒的な存在感を放つ矛盾した存在。女性はサレナの傍まで近寄ると少女の目線に合わせるように腰を曲げ、瞳を見続ける。
「お初にお目に掛かります。私の名はキリル、聖王の秘書官を務める者。聖王の命により貴女様をお迎えに召し上がりました。どうぞ、魔導馬車にお乗りになって下さい」
「……」
「どうしました? 私の顔に何か付いていますでしょうか?」
「アイン、剣を抑えて下さい」
真紅の眼光を以てキリルと名乗った女性へ剣を抜こうとしていたアインの腕が寸でのところで止まる。だが、剣を握ろうとする手が止まろうと彼の激情はキリル一人にだけ注がれていた。
「黒鉄の騎士様にも我が王はお会いしたいと申しております。どうぞ、馬車の中へ」
「待って下さい、私とアインだけですか?」
「そう王から仰せつかっております。何か問題が?」
「……もう一人、馬車に乗る事を許可して下さい」
「誰でしょう?」
「英雄ハルの娘、クオンを馬車に乗せて下さい。それが出来なければ拒否します」
「理由をお聞かせ下さい」
「クオンは上級魔族と一人で戦い、生き残った猛者。私の旅路には彼女の力が必要だからです」
「許可しましょう。どうぞ、時間は限られております」
「……クオンさん、お願いがあります」
「うん、いや、私の方からもお願い。私を、旅の共にしてくれてありがとう」
自分の口から言うはずだった言葉を先に言われてしまったクオンは、気恥ずかしながらサレナの手を取り意思を固める。
目指すは聖都ウルサ・マヨル。運命に導かれる少女は聖王が待つ首都へ向かう馬車へ足を踏み入れた。