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離郷 ②

 淡い星々が夕と夜の狭間の空に浮かんでいた。


 魔導ランプの灯りは家路に着く人々の背を照らし、石畳に光溜まりを作る。


 スピースの宿屋通り。三階建ての食堂付きの宿屋が立ち並ぶ通りは、旅人の憩いの場であり、スピースの住人が生きる住宅通りでもある。所狭しに家と宿が存在しており、混沌とした様相ではあるがこの通りに住む者は意外と秩序立っている。


 喧嘩があれば腕っぷしの強い住民が仲介に入り、路上で寝込む者が居れば他の誰かが宿まで連れ添い従業員に預ける。仕事に就く者は家族の帰りを待つ家へ足を運び、歓楽通りへ向かう者は浮ついた足取りで七色の光が映える通りへ向かう。


 この通りを巡回する衛兵は時折思う事がある。果たしてこの宿屋通りを巡回する必要があるのだろうか? と。


 確かに最近では行方不明者や血生臭い事件があった。だが、それは上級魔族の仕業であると都市の人々から話を聞いた。なんでも、その魔族は銀春亭に泊まる英雄の手で撃退され、それからそういった事件は起こっていないとかなんとか。兵は欠伸を噛み殺し、ボウっとした目で通りに目を向けると目を見張るような美しい少女を目にする。


 白銀の髪を魔導ランプの灯りに煌めかせ、人形のように整った容姿を持った少女は帽子を深く被る子供と共に道を歩き、可愛らしい笑顔を浮かべていた。


 妙に惹かれる少女だった。その笑顔は己に向けられたものではないのに、見ているだけで癒される。少女の足取りは浮ついていながらも地をしっかりと踏み締めているように感じられ、世界に自分の歩みを残しているとさえ思わせた。


 声を掛けようか? いや、自分は未だ仕事中の身だ。幾ら美しい少女を見かけても職務を放棄することは出来ない。兵は頬を叩くと背筋を伸ばし、視線を周囲に向ける。


 通りを歩く全ての人々の視線が少女に向けられていた。ある者は敬慕を、ある者は憧れを、そしてある者は少女を偶像視しているように見えた。


 兵の直ぐ傍で談笑する婦人達が小声で囁く「あの子が例の英雄様? 本当に? けど、随分と若いのねぇ。え? 黒甲冑の騎士様がお連れですって?」婦人達の会話に聞き耳を立てると、彼女達は兵の存在に気が付かない程に会話に夢中になっており「銀春亭で働いているの? 英雄様が? 今度行ってみようかしら」と、少女と騎士の所在について話していた。


 英雄……何度も聞いた事がある言葉だった。子供のころから読み漁っている英雄譚や自伝、聖都の聖殿に並べられた英雄達の肖像画。憧れても手が届かないと思っていた英雄と呼ばれる存在が、あんな少女だと気が付かなかった。


 少女からは兵が思っていた英雄らしさはまるで感じられなかった。伝説的な武器も持たず、特殊な技能も見られない。だが、彼女からは何処か普通の人類とは違う雰囲気を感じ取る。


 カリスマと言うべきだろうか。誰もが彼女に見惚れ、誰もが視線を外す事が出来ない状況を作り出しているのは間違いなく白銀の少女であり、当の本人はそんな事などお構いなしといった様子で道を歩く。無自覚なのか、自覚しているのか、それは少女にしか分からないが、兵と人々は暫しの間少女から目が離せなかった。


 「サレナさん」


 「何でしょう? ティオさん」


 「視線に気が付いていますか?」


 「視線? えっと、まぁ、はい」


 「理由に心当たりは?」


 「恐らく、人々が私を英雄だと言っている事に関係しているのでしょう。ですが、それは勘違いのようなものです。私は英雄ではありませんし、英雄であるのならばたった一人の愛する者の為にありたい」


 「愛する者?」


 「はい、アインの為に私は在りたい。彼を支え、彼が安らぎを感じる人で在りたい。私は、アインを愛していますから」


 「……」


 「どうしました?」


 「いや、よくそんな歯の浮くようなセリフを言えるなと、感心していただけです」


 頬を紅潮させたティオの瞳がサレナを見つめる。


 「もう少しで家に着きます。その、サレナさんは何故僕の家に?」


 「お母様が寝たきりだと聞きました。私の術が効くかどうかは分かりませんが、容態を見たいと思ったのです」


 「スピースのどんな術師や医者も匙を投げたのに、貴女がどうこう出来ると?」


 「看てみねば分かりません。それに、私はティオさんの苦悩を取り除きたいだけですので」


 「満足な金額を支払えないのかもしれませんよ」


 「お金は必要ありません。そもそもこれは私の我が儘です」


 ティオの不安を拭い去るような笑顔をサレナが浮かべ、少女の手を握る。


 自分と同じ年か、少し上くらいなのにどうしてこんなに強いのだろうとティオは思い、何故アインがサレナの方が強いと言い続けるのか理解する。


 サレナという少女は希望と未来を願っているのだ。自分の為に、誰かの為に、その絶望を払いたいと切に願う故に、自分自身の力を拒まない。戦う為の力と正反対の力を持つ少女は、救うために己の力を振るうのだ。絶望を希望に変え、濃い闇に閉ざされた未来を光で照らしたい。彼女の内に燃える篝火は消えない。誰かがサレナに救いを求め、手を差し伸べればその意思を薪として焚べ、温かな炎を以て燃え盛る。傷を与えぬ聖火。それがサレナに宿る破界儀の篝火なのだ。


 戦う力だけが強さではない。人を救いたいとする意思もまた強さ。己が光で他者を照らすサレナは真の強さを体現する強者であるのだろう。ティオは強さの意味を履き違えていた己を恥じ、自宅の玄関に続くドアを開けるとサレナを家に招く。


 「すみません、お客様に出すような菓子や茶は無いのですが」


 「そんな、気にしないで下さい。それで、お母様の方は?」


 「此方です、二階の寝室に横になっています」


 玄関に置いていたランプを手に取ったティオはサレナを連れて狭い階段を上がる。古びた板が軋み、階段を上った先にある扉を開けると、窓から差し込む淡い月明かりに濡れる女性が規則正しい寝息を立てて横になっていた。


 「此方がお母様ですか?」


 「はい、もう、長い間眠ったままです。ずっと、あの異形の男に襲われた日から、一度も目を開けた事が無いのです」


 「……」


 女性の手を握り、オムニスを懐から取り出したサレナは瞼を閉じると小声で術を唱え、己の魔力を女性の体内に巡らせる。


 「……」


 血液に異常は無い。四肢と血管にも異常は見られない。だが、二つの部位に異常を見つける。


 「……」


 心臓と脳の視床下部に蠢くを見た。その何かは黒い粘液状の物質であり、大きな目玉を持つ生命体のような何か。それは心臓が生成する魔力を吸い取る性質を持ち、女性に寄生しているといっても過言ではない。


 「……ティオさん」


 「はい」


 「約束しましょう。お母様は助かります」


 「―――え?」


 「私が助けます。ですが、お母様の精神を助けるのは私ではありません。ティオさんが助けるのです。目を覚ました後、あなたがお母様を支えるのです。お母様は夢の中で死に続けています。偽りの死を味わい続け、心臓が過剰に魔力を生成している状態です。幸運でした、もう少し遅ければ命を落としていたでしょう」


 「それは、どういう」


 「時間がありません。このを払います」


 肉体の重要な器官に寄生した何かを払うのは難しい。針の穴に糸を通すような集中力を保ちつつ、魔力を連続で心臓と脳の何かに絡ませ一気に焼く。サレナは息を浅く吐くと破界儀を展開し、奇跡を編む。


 死に続ける夢を見る女性を救う。異形の男に不幸を撒かれた少女を救う為、破界儀を以て絶望を焚べ、希望の炎を燃え上がらせる。その意思は聖なる光を纏い、雷光の如く女性の心臓と脳に寄生する生命体を魔力の糸で縛り上げると白炎を以て焼き払った。


 「……」


 「サレナさん、母は」


 「……成功です」


 「え?」


 「お母様は目を覚ますでしょう。後は、頼みましたよ? ティオさん」


 サレナはオムニスを懐に仕舞い、額から流れる汗を拭うとティオに笑顔を見せて部屋を後にする。


 「サ、サレナさ―――」


 「……ティ、オ?」


 「―――」


 少女が背後を振り向くと、母が目を瞬き己を見つめていた。


 「お、お母さん」


 「……私、生きて」


 「お母さん!! おかあさん!!」


 ティオが瞳から涙を流しながら、目を覚ましたばかりの母に抱き着く。そんな少女の姿に、母は困惑した表情を浮かべたが、そっとその小さな身体を抱き締め、背を撫でた。

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