黒甲冑の異形の剣士と彼に寄り添うようにして歩く白銀の少女。その二人の姿を見たクオンは張り詰めていた緊張の糸がプッツリと切れたように大きく息を吐き出し、逆立っていた美しい赤髪を警戒が解けたように垂れ落とす。
「……クオン」
「ア、アイン、その、大丈夫」
「すまなかった」
「へ?」
「心配と迷惑をかけた。すまない」
「ちょ、ちょっと、アインどうしたのさ? そんな、君が人に謝るだなんて、どういった風の吹き回し?」
「サレナと話をした。少し、俺の方からも誰かに歩み寄らねばなるまい思っただけだ。深い意味は無い」
アインの瞳から己に対する殺意が僅かに薄らいでいると感じたクオンは、彼のあまりの変わりように驚きを隠す事が出来ず彼に寄り添うサレナへ視線を向ける。
「ちょっとサレナちゃん、どんな魔法使ったのさ。アインがこんな風になるなんてちっとも予想していなかったんだけど」
「魔法だなんてそんな、私はただ言葉を交わしただけです。そっと手を差し伸べ、彼がまた立ち上がれるように手助けしただけ。別に何も特別な事なんてしていませんよ」
「ホントにぃ? ちょっとアイン、何したのさ」
「何もしていない」
「本当は?」
「小五月蠅いぞ、クオン」
アインの甲冑の装甲を小突き、剣士の反応を窺うクオンにアインは「無神経な女だ」と一言呟くとサレナを連れて一階へ向かおうと歩を進める。
「ちょ、待ってよお二人さん! もう!」
「銀春亭のディナーはこれからか?」
「話を聞いてよお!」
「……本当に五月蠅いぞ、クオン」
「だってだってアインの変わりようとサレナちゃんの目を見ちゃえば気になるって! この子の目ちゃんと見た!? 恋する乙女の目だよ!?」
「サレナよ」
「何でしょう? アイン」
「お前が見ている世界とは、中々に五月蠅い世界だな」
「それが人として生きるという事です」
「……今まで聞こうともしなかった雑音が言葉となって聞こえる。何とも煩いものだ」
「慣れて下さいね、大丈夫、アインなら問題なく適応出来る筈です」
「……お前が信じてくれるなら、努力する」
腰に手を当て、兜を掻いたアインはサレナの歩調に合わせるように階段を下り、食堂ホールを見渡すと椅子に座るティオが三人に視線を向けた。
「サレナさん、と、アインさん、大丈夫なんですか?」
「ちょっとティオ、聞いてよ! アインが私にさ!」
「クオン、少し黙っていてくれないか? この子に話がある」
「あ、はい」
アインはティオの前にしゃがみ込み、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「ティオ、強くなりたいと思うか?」
「……」
「黙っていてもいい。だが、強くなるという事は戦い続けるという事。そして、迷い続ける事なのかもしれない」
ああ、と。アインは呟く。
「俺は強いだけ。戦う力が強くとも、心は迷う。迷いは己が道を闇に閉ざし、足を内に縛り付ける。強くなりたいと願い、力を得たいという祈りは人として当然の願望だ。だが、ただ強いだけではいずれ進めなくなる。だから人は求めるのだろう。誰かの力を求め、誰かに縋りたいと頼りたいと心の何処かで求めるんだ。ティオ、俺は剣をお前に教える事が出来る。だが、お前はお前の戦場があるだろう?」
「僕の、戦場」
「そうだ、お前の戦場だ。俺の戦場とは違うティオだけの戦場をお前は持っている。だから、お前はお前の戦場と向き合い、戦え。約束しよう、お前の家族の仇は俺が取る。黒い異形の人間を殺す事をアインとして約束する」
アインの言葉に嘘や偽りは無い。彼の言葉は常に己が心の内を曝け出す。
冷たい鋼のような口調とは裏腹に、剣士の話す言葉には仄かな優しさが感じられた。真紅の瞳には暴圧的で破壊的な激情が渦巻いているのに、その奥に灯る儚く淡い朧月のような光は必死にティオの意思を探っているように感じた。
「……僕は、貴男を信用してもいいのでしょうか」
「それはお前自身の選択だ、俺にどうこう出来る問題ではない」
「本当に、あの男を、異形の腕を持つ男を、殺してくれるのですか?」
「約束する」
「……本当は、僕自身の手であの男を殺したい。けど、僕には貴男のように戦える力が無い。寝たきりの母の面倒も見なければいけない。無理だと分かっていた。心の中では僕のような弱い子供が、殺し合いなんて出来る筈がないと分かっていた。だから、お願いしますアインさん。僕の、僕の家族の仇を、無念を、晴らして下さい」
「ああ、任せろ」
意思を誰かに託す。それは生命が持つ尊い心なのだろう。
頼り、縋る。それは弱さを隠すために行うのではない、己に無い部分を補完するために人は意思を託すのだ。サレナがアインを救い、立ち直らせたように、アインもまたティオに己を頼るよう言葉を紡いだ。彼の剣という意思は既にサレナに捧げている為に、ティオの為に剣を捧げる事は不可能である。故に、剣士は人としての約束を交わし、少女から託された意思を汲み上げる。
「サレナちゃん」
「何ですか? クオンさん」
「あれ、本当にアイン?」
「彼は元々あんな風ですよ? 本当は優しいのに、不器用だから人との関わり合いが不得意なんです」
「まぁ、確かに君と比べたらアインは不器用だし意の一番に殺意を以て人と接するよね。けど、本当に君ってば彼と話をしただけ?」
「ええ、話せばわかる人ですよ? 彼を初めて見る人は怖がったり怯えたり、剣を向けたりしますがちゃんと自分の意思を持っている人の話はよく聞くんです。優しくて、人に期待しているから心からの言葉を以て話をしようとする。アインは口よりも先に剣を抜いたり、自分の感情を隠さない人ですから」
「それだけアインを理解しているのは君だけだろうなぁ……」
「クオンさんも話してみるといいじゃないですか。アイン、少しいいですか?」
「何だ?」
「申し訳ありません、私は少しティオさんのお母様の様子を見たいのですが宜しいですか?」
「ああ、サレナの思う通りに行動するといい」
「ありがとうございます。それと、クオンさんがアインに話があるようですよ?」
「クオンが? 俺は別に話など無い」
「いいじゃないですか、先にご飯を食べていて下さい。ティオさん、あなたの家に案内して貰っても構いませんか?」
「はい」
二人の少女を見送り、クオンへ視線を向けたアインは椅子に腰を下ろす。
「付いて行かなくてもいいの?」
「サレナであれば問題あるまい。それで、何だ話とは」
「別にそんな重要な話じゃないんだけどさ、君変わったよね」
「そうか」
「そうかって素っ気ないなぁ。私さ、最初君が怖かったんだよね」
「戦士としてならば正常な判断だろうな」
「戦士って……まぁいいや。初めて会った時、そんで此処で多少ヤリあった時、まるで勝てる気がしなかったんだよね。隙とか得物の関係、そんな駆け引きを無しにしてもサッパリ勝てる気がしなかった」
「俺は最初からお前を殺す気だったから、そう判断するクオンは正しい」
「やっぱり殺す気だったか! あ、ウエイターさん! エールを二人分お願い!」
注文を聞いた飯女がすぐさま二人分のエールを注いだジョッキをテーブルまで運び、アインとクオンの前に置く。
「傷を負っているのに酒を飲んでいいのか?」
「いいんじゃない? 酒は万病に効く命の水だって言うし」
「初耳だな」
「いいじゃんいいじゃん、カンパーイ!」
エールを一気に飲み干したクオンが追加のエールを注文し、また飲み干す。やけ酒か単に酒好きか分からない彼女の飲みっぷりに、アインは少しだけ溜息を吐いた。
「飲まないの?」
「俺の事は気にするな。それより、話とは何だ?」
「えっとね、君とサレナちゃんの話を聞かせて欲しいなって。出会いから此処までの旅路の話をさ」