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夕暮れに、迷う人 ③

 どんな言葉を掛けられようと、どんなに心を寄せられようと、真紅の瞳からは涙は溢れない。泣きたくとも、声をあげて嗚咽を漏らそうとしても、清い雫が枯れ果てたようにアインの瞳からは涙の一滴も流れ落ちなかった。


 心が干上がっていたからではない。剣士に涙腺が存在しなかったからでもない。ただ、どれだけ悲しくあろうとも、嬉しくあろうとも戦闘甲冑が剣士の涙を止めるのだ。戦闘に必要の無い生理現象だと判断し、心の反応を奪い去る。


 「……お前は、何故こんな俺を愛してくれる」


 「アインだから」


 「泣きたくとも涙の一つも流さない男だぞ」


 「泣きたいって思えるなら、アインは人であり、生命なんですよ」


 「……俺は本当にサレナを愛していると言えるのだろうか」


 「……」


 「お前が記憶の中の少女に似ているから、俺の過ちと罪を清算したいから、そう思っているだけなんじゃないだろうか。サレナ、俺は、お前を愛する資格があるのだろうか」


 「人を愛する事に、好きになる事に、資格は必要でしょうか?」


 「……どうだろう」


 「どうでしょうね」


 「……お前でも、分からないのか?」


 「アイン、人を愛し、好きになるということ。それはイエレザとも話をしました。けど、それでも、私はまだハッキリとした答えを得ていません。愛と好意は形の無い朧気なもの。故に人は求めるのではないのでしょうか? 自分だけの愛を知りたいから、その愛を伝えたいから理解しようとする。そんな簡単そうで複雑な想いに、資格は必要なのでしょうか?」


 「俺は……」


 どのようにして言葉を話せばいいのか分からない。この少女にどんな言葉を掛ければいいのか迷ってしまう。


 だが、それでいい。迷ってもいい。これは今の己の感情だ。この想いを手放したくない。激情で焼き尽くしたくない。サレナの為に、剣を持つで在りたい。彼女に誓った剣と意思を、裏切りたくはない。


 「……俺は、お前の騎士であろう」


 「はい」


 「騎士というとして、剣を振るうとして、この身はある」


 「はい」


 「サレナ……もう一度、俺に誓わせてくれ。この剣はお前の為にあると、そして俺はお前と共に生き、歩み続ける生命であると。今の俺はアイン。そして、これからもお前の知るアインであると誓う」


 「……はい」


 サレナの肩を両の手で抱き、涙に濡れる黄金の瞳を見据えたアインに狂的なまでの激情は見られない。彼の真紅の瞳に宿る殺意、憎悪、憤怒は未だ業火のように燃え上がり、全てを斬り殺そうと無尽蔵に暴発を繰り返しているがその感情の矛先は剣にある。


 戦士は戦場に己を置き、剣に意思を乗せて命を斬る。だが、戦士は人であるのだ。人で在る故に、戦場だけでは生きていけない。人として生きる為に、他人を求めるのだ。


 己を剣に例えようと、心が在る限り人として生きようとする意思を潰す事など出来やしない。


 どれだけ傷つき、どれだけ血を流そうとも剣を持っている限り戦いは避けられない。この足が生を刻み、サレナと共に生きようと足掻けば足掻く程、戦いは彼女と己を焼き焦がそうとする。だから、己は戦うのだ。剣を以て苦難を斬り払い、彼女を守れる己を誇りたいと、願うのだ。


 「俺はサレナの誇れる人になりたい。お前は俺の道を照らし、導いてくれる。そんなお前を守りたいんだ。これは今の俺の感情だ、俺の思いだ、俺だけの意思なんだ。だから、俺の傍に居てくれないか? サレナ」


 「……アイン」


 「……」


 「何時も私はあなたの傍に居ますよ。どれだけ身体が離れていても、この身が何時か朽ち果てようとも、心はずっとあなたと共に歩める。……なんだか、やっとあなたの内面の一部を理解できたような気がします」


 黒甲冑の剣士の殺意を完全に消し去る事など不可能なのだろう。愛を囁き、理解を深め、言葉を交わしても彼の内に渦巻く殺意は決して消えないのだ。だが、それでもいいとサレナは思う。


 その殺意、憤怒、憎悪すら受け入れよう。その激情が彼を象っているのなら、それもアインであるに違いない。全ての人類と魔族が彼を恐れ、畏怖し、人や生命として認めなくとも少女だけは決して剣士を見誤らない。アインが他者を求め、人として足掻き、藻掻き続けるならばサレナは彼を支え続けるだけ。


 「……ありがとう」


 「いいえ、何時でも頼って下さい」


 「……ああ」


 一日中座り込んでいた剣士はゆっくりと立ち上がり、床に突き刺していた剣を抜く。


 黒の剣は言葉を話さない。その刃に映っていた己も多くは語らない。一人でぐるぐると思考を回していただけに過ぎなかった。一人孤独に迷い、剣に問いかけ続けていた。


 「サレナ」


 「何でしょう? アイン」


 「心配かけた、もう大丈夫だ」


 剣に乗せるは戦いの意思。少女に託すは人としての意思と誓い。その二つさえあればまた歩き出せる。己に奇跡と救いを与えてくれた小さな英雄を守り、人として生きる願いと祈りを抱く事が出来る。アインは黒の剣を背負い、少女へ手を差し伸べる。


 「行こう、サレナ」


 「ええ、アイン」


 ぎゅっと握られた小さな手を握り、抱くようにしてサレナを立ち上がらせたアインは窓の向こうに見えるスピースの街並みを見渡す。


 夕日が傾き淡い星々が空に映える。その星々の下では多くの人々が生を営み、生きている。煙突から上る煙も、魔導ランプの灯りも、全て人の生きている証なのだ。その光景が、剣士の瞳にありありと映る。


 「アイン、どうかしましたか?」


 「……いいや、何も。それより腹は減っているか? 夕食を済ませていないなら、食事にしよう」

 「アインからご飯に誘うなんて珍しいですね。ええ、ご飯にしましょう。そして、ゆっくりと休んで、明日を迎えましょう」


 「ああ」


 そうして剣士と少女は部屋を出る。これからと、明日の話をするために、食事を摂る事を決めたのだった。





 ……

 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………

 ……





 我が親愛なる友、エルドゥラー。


 君との旅を終えて早二十年の月日が経った。君はまだエリンの姿を追っているのか? それとも、自分自身の道を見つける事が出来たのだろうか? それを確かめようとも、一国の王となり、人類統合軍最高司令官である君の下へ参るのは、今の私には難しい事だ。


 もし、この紹介状を君自身の目で見たのなら、この書を持って君の下にやってきたサレナという少女を信用して欲しい。彼女の目には君とエリンを思わせる不思議な力が存在している。君がエリンを失い、世界に絶望していたとしても、希望を宿す少女の力になって欲しい。


 共に戦場を駆け、命を預け合った者からの頼みを引き受ける器を失っていないと信じている。君の側近と御子息が狂王と畏敬の念を込めた目で君を見つめても、私にとって聖王エルドゥラーとは同じ志を以て勇者と共に在った者なのだ。故に、私は君を信じている。




                                           ハル

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