「……聞かせて下さい」
「何故そう括るのかね」
「貴方の話を聞き、意思を汲み取り私の歩みとする為です」
「……サレナ、アンタには好いている男は居るかい?」
「はい」
「随分とハッキリ言うじゃないか。まぁいい、話の続きをしようか」
ダリアの瞳がサレナを見つめ、既に過ぎ去った記憶の蓋を開く。彼女の記憶にあるは己が罪と過ち。許されざる術を開発した経緯を口にする。
「男と女には軍と諸王からの報奨により莫大な金銭が舞い込んできた。自分達の才能と技術が認められた事もあってか二人は大層喜んだもんだが、同時に複雑な気持ちになったものさ。
なんせ開発した術や薬は戦争に使われているんだ、当初は誰かを救いたい一心で術や薬を作っていたのに、気付いた頃には殺しの一端を担った立派な殺し屋さね。
あの頃は魔族を殺す事にわたし等の技術が使われる事に何の躊躇いもなかったが、今思えば異常だったさ」
そう、異常だった。今にして思えば、過去の己は魔族の命を奪う事に関して一切躊躇わなかった。誰かを救うために故郷を恋人と発ち、スピースにやって来たのにやった事といえば戦争という殺しの一端を担ったのみ。だから、そんな己に罰が与えられた。あの幸福の絶頂期の中で、最大最悪の不幸が訪れたのだ。
「死生者の呪法。それはわたしと旦那のグルウが作り出した許されざる術さ。術の本来の用途は私が流産した子―――そこの瓶に浸かっている胎児を蘇らせる為に編み出した術なのさ」
サレナの視線が瓶へ向けられ、赤茶色の液体に揺蕩う胎児を映す。胎児は眠っているように液体の中に浸かり、瞼こそ閉じているものの意識は此方に向けられているように感じられた。
「馬鹿な男女だ全く。死した者は生き返らないからこそ生命は循環するというのに、直接的では無いにしろ大勢の命を奪ったくせに自分の子供は別だって考えた。
だから魔力という力を調べ、研究し、魔力そのものには生命が宿っていない事を
やっと、話す事が出来た。と、ダリアは深い溜息を吐く。
戦争によって己が道を見失い、初めに抱いた意思を失ったダリアの瞳に涙が浮かぶ。何故涙が浮かぶのか分かっている。
救って欲しいのだ、己な身勝手な理由で未だ死んでいるのに生きている我が子と慙愧を抱いたまま死んだ夫のグルウを、この不思議な雰囲気を纏う少女に救って欲しい。故に、ダリアはこの都市に訪れてから二度目の涙を流した。
「元々死生者の呪法は戦いに使われる術なんかじゃ無かったのさ、ただ、失った大切な者を取り戻したい為だけに編み出された術なんだ。間違いだった、愚かだった、失った者は戻ってこないのに取り戻そうとした。わたしの本来の意思はただ苦難と苦痛に喘ぐ人々を救いたかっただけなのに、それを見失い邪法に手を染めた。アンタに渡した手帳は私の罪を記した呪具みたいなものさ。だから」
「私はダリアさんが渡してくれた手帳を呪具だと思っていませんよ」
「……何故だい」
「初めに申した通り、道具は所詮道具でしかありません。手帳が呪具と仰りましたね? 私には手帳は術や薬の製造方法を記した道具でしかなく、呪いだとも思いません。ダリアさん、あなたはずっと死生者の呪法を編み出し、それに縛られてきたご自身の家族を救って欲しい。そうですね?」
サレナが求めるのは手帳を記したダリアの意思。手帳だけを見れば、老女が長年記してきた記録と知識を得る事が出来るが、意思に触れる事は出来ない。サレナは理解したかったのだ、ダリアがどんな思いで手帳を残し、他者に授ける事で何を求め得たかったのか、知りたかった。
他人の心に土足で踏み込んではならない。その心の声を聞くためには理解を示し、本人でさえも見失っていた意思に触れなければならない。対話と理解を得る事で、人は初めて心と意思に触れるのだ。故に、ダリアが流した涙の意味を理解したサレナは懐からオムニスを抜き、杖の先を天井に向ける。
「私はあなたの慙愧を払いたい。その心を蝕む罪の意識と見失った意思を汲み取りたい。人は救われたいと願わなければ救われない、変わりたいと思わなければ変われない。私の破界儀を以てあなたと家族を救いたい。その心に、嘘や偽りは無い。
ダリアさん、失った者は戻ってきませんし、失うのが人の定め。ですが、私は喪失と亡失に涙する者を認めない。不幸に泣く者と嘆く生命など、見たくない」
杖の先に魔力が収束し、サレナ自身の肉体から膨大な量の魔力を吸い上げる。
この身に有り余る常軌を逸脱した膨大な量の魔力が何を意味するか、彼女はイエレザとの邂逅で理解した。破界儀を宿す者は何かを変える義務があるのだ。
それは世界、摂理、現象、万象、ありとあらゆる制約を破壊する為に超越者と呼ばれる存在は世界の異物としてこの世に生を得る。故に、超越者として破界儀を宿すサレナは己という確立した存在を持つダリアの意思に触れ、願いを理解し奇跡を成す。
サレナが願うは救うための力。救われたいと願い、変わりたいと望み、希望と未来を求める者に彼女の破界儀は奇跡を与える。杖の先に灯る篝火のような光は、聖なる光を放ち邪を払い、救うべき者と見定めた対象が生み出す慙愧と罪を清め洗い流す。
ほんの一欠けらの攻撃性を孕まぬ優しい光。優しくも力強く燃え盛る篝火はダリアを照らすと彼女が体験した細やかな幸福と最愛の人との思い出を想起させ、かつて失った筈の意思と誓いを鮮やかに思い出させる。
長い人生の中では度重なる不幸があり、その不幸が齎す暗雲に意思を見失った。子を失った時も、己の技術が殺しの道具に使われていた時も、常に不幸を感じていた。だが、そんな中でも小さな幸福は存在していたのだ。
自分達の薬が誰かを助けていた事。
片足を失った者が魔導義肢により再び立ち上がれる幸福を伝えた事。
腕を失い我が子を抱き上げられないと嘆いた者が、義肢により再び子を抱く喜びを伝えた事。
開発した術が旅人の旅路を支えていた事。
何でもない、ふとした声に気付かず聞こえないフリをして不幸に嘆いたダリアは意思を失ったのではない。見て見ぬフリをしていただけなのだ。自分のような愚か者に誰かを救うなどという高尚な意思は存在しないと、ある筈が無いと決めつけていただけ。
サレナの破界儀による光を浴びたダリアは、この瞬間に悟る。己は、ずっと後ろを向いたまま歩いてきたのだと悟った。
「……アンタ、随分と我が儘で身勝手な子だね」
「はい、私は誰かを救うためには自分の我が儘と身勝手さを押し付けます。私の力が誰かの道標になるなら迷いはありません」
「……けど、ああ、随分と気持ちが楽になったよ。うん、わたしも誰かを救ってたんだと、やっと分かった」
だから最後に残った家族を救おう。ダリアは柔らかい笑みを浮かべると椅子から立ち上がり、瓶に近づく。
「サレナ、アンタが好いている男はあの黒甲冑の剣士かい?」
「はい」
「なら支えてあげな、どれだけ屈強な剣士であろうと精神も同じとは限らない。ただ優しくしたり、甘えさせてあげるだけなら誰でも出来るが、真に愛するなら叱咤することも必要さ。
本当に支え合い、共に在る者と自負するなら迷って進めなくなった相手を叱咤激励し、再び立ち上がらせる愛を持ちな。それが、本当に良い女ってやつさ」
ダリアは胎児が浸かる瓶を持ち上げ、その瓶を床に叩きつける。赤茶色の液体が床を濡らし、染みを渡り、死生者の呪法によって存在していた胎児が本来の死を取り戻す。
「ありがとうよ、サレナ。ようやくわたしも本当に進めるような気がするよ」
と、ダリアは涙混じりの笑顔を浮かべ、サレナに感謝の言葉を託した。