「英雄? 誰がですか?」
「アンタとクオンちゃん、そして黒い騎士様さ。アンタ達が戦ってくれたからこよ都市に死人が出なかったし、怪我人の一人も居ない。今日はお客さんが多かっただろう? 皆アンタと騎士様を見たかったからさ。何だい? 自覚が無かったのかい?」
「はい、全くありませんでした。その、私は英雄なんかじゃありません。ただ自分の為に、自分勝手な我が儘を押し通そうとしただけで、運が良かっただけだと思います。はい」
「それでもみぃんなアンタの事を英雄だと言ってるよ。あたし達より若いのに魔族と戦うだなんて、凄いじゃないか」
「凄いだなんてそんな……。私一人では何も出来ませんでしたし、イエレザが話の通じる方であったのが何よりの幸運でした」
「イエレザ? 誰だい、それは」
「上級魔族を名乗る方です。アインは彼女の事が」
サレナに飯女の達の視線が突き刺さる。何を言っているんだと云った風な視線に、少女は戸惑う。
「アンタ、魔族を殺そうと思わないのかい?」
「え……」
「魔族は殺すべきだろう? 何だい? 話す口があったら殺さなきゃ駄目じゃないか」
女達が口々にその言葉に賛同し、イエレザと対話したサレナに白い目が向けられる。
「あ、あの、話が出来るなら対話をし、理解を示すべきではないでしょうか? そんな真っ先に殺すだなんて」
「アンタこそ何を言ってるんだい? 魔族と話して何になるってんだ。何年も戦争してる相手と話す事なんか何も無いよ。可笑しな娘だね全く」
戦争。その単語を聞いた瞬間、サレナは女達が何故こんな反応を示したのか理解する。
世界に敷かれた人魔闘争の制約。人類と魔族の決戦存在による戦争の決着が行われていない為に、未だ両種族は争い続け互いが互いを殺すべきだと思考しているのだ。
世界による制約とは産まれ落ちた瞬間より本能と理性に刻まれ、拭い去ることも埋めることも出来ない呪いと祝福だ。永遠に変わる事の無い殺し合いという呪いに魂を穢され、傀儡や道化として死の瞬間まで地獄を楽園として認識する祝福。
身の毛もよだつ悍ましさ、目の前の存在が人の形をした傀儡とも思える認識の変化。世に蔓延する制約という醜悪極まる歪みをハッキリと感じたサレナは、イエレザとアインが見ている世界の一端を垣間見る。
破界儀を身に宿す者は人の形をした何かである。世界に変革を齎し、既存の世界を己の意思と誓約を以て塗り潰す存在。力を宿す者の意識に映る世界は、歪に曲がりくねった苦痛と苦難が刻まれた地獄。傀儡や道化が人のフリをして生きる偽りの楽園。
故に理解する、アインが何故他者を肉塊と称し、侮蔑を込めた言葉を発するのか。何故イエレザが今まで理解と対話を示さず生きてきたのか。サレナはこの瞬間に破界儀というフィルターを通し、超越者としての世界を見た。
破界儀を宿す超越者と呼ばれる生命と、破界儀や秘儀を持たない生命はこの世界における存在強度がまるで違う。自らの意思と誓いを持ち、この世界に自分という存在を確立した生命は世界の制約から一歩外れた者である。
意思と誓約は力となる。制約という鎖に縛られながらも己や他者を理解したいという者に秘儀という力が目覚め、戦う力が与えられる。だが、破界儀と呼ばれる異能を持つ者は産まれた瞬間より秘儀を持つ者、持たぬ者と違う。
生まれ落ちての異端。この世ならざる生命。超越する者。全てを憎み、全てに怒り、全てを慈しみ、一にして全、全にして一なる者。人の形をしながら人の非ず、人非ざる故に求める者。それが破界儀を宿す者であり、超越者と呼ばれる存在だ。
彼等、彼女等は皆それぞれ異なる私見と意思を持ち、世界がその存在を異物や異端として見做すならば超越者も世界を同一のように見做す。故に、真に迫った目で世界を見る事が出来るのだ。
「……」
「どうしたんだい? 黙りこくっちゃって」
「いえ……何でもありません」
異物。この世界に生きる生命は皆制約により思考と行動を縛られている。
「そうかい? ま、元気出しなよ。魔族を殺し損ねたからといって死ぬもんじゃないさね。それよりたんと食べな? まだ若いんだから食べなきゃ大きくなれないからね」
その制約による縛りは鉄鋼のように硬く、岩のように厚い。魂と意思が知らず知らうの内に汚染され、穢され、偽りの希望と未来を望ませる。
「というか、あの騎士様はどうしたのさ。今朝から姿が見えないけど」
だが、それでも、縛られた生命が相手であろうとも理解したい。すれ違い、理解されなくとも、制約から救いたい。人類も魔族も同じ生命であり、元を辿れば誕生の経緯に違いは無い。だから解り合える筈なのだ。
この地獄のような楽園でも
「あの騎士様はアンタの連れかい? おっかない恰好をしているけど、あの人が居る時は何だか安心して仕事が出来たんだよねぇ。若い子に手を出そうとする男や、血の気が荒い連中も黙りこくっちゃってさ! あんな人が連れならアンタは幸せ者さ」
「……彼は」
「ん?」
「アインは強い人です。いっつも不愛想で不機嫌な人なんです。でも、彼は本当は誰かを求め、絆を得たいのだと思います」
剣呑な空気を纏わせ、常に殺意を抱く剣士に想いを馳せる。
「何時も、彼の瞳を見ていると心が苦しくなります。怖いとか、恐ろしいとか、そういうものじゃありません。ただ、アインが手に入れたいと、欲しいと思った事を与えられない自分が悔しくて、情けなくて、悲しいのです」
この心の痛みは自分だけのものであり、他の者と共有出来ないことは知っている。知っているからこそ、言葉を口から曝け出し、伝える。
「私は彼を愛しています。愛しているけれど、彼の何処に愛を見つけ、行為を抱いたのか知りません。けど、私はアインを愛しているから共に進みたいと、理解したいと思っています。彼を傍で支え、彼を導ける存在になりたい」
頭に浮かぶ真紅の瞳と黒甲冑の姿。鮮烈なる激情を抱いた剣士の背は大きく広い。自身の頭を撫でる手は、何時も傷つき剣を握っている。強い筈なのに、その気になれば何時でも歩みを止め、休める筈なのに。
サレナが歩み続ける故に、アインは傷つき戦い続ける。同じように歩くため、常に隣に立ち続けるために剣を振るい、血を流す。
「アンタ、相当あの騎士様に入れ込んでるねえ。聞いてるこっちが恥ずかしくなってきたよ」
「自分の気持ちを話しただけですよ」
「その気持ちを話すってのが大変なんだよ。これじゃあ家の
「英雄、ですか」
英雄という存在は何なのだろう。広義的に言えば英雄とは人と生命を守り、救う存在だ。だが、飯女や都市の人々が謳う英雄とは戦う者達を指し、魔族を殺す為だけの存在を指しているだけに過ぎない。
サレナは思う。己は英雄と呼ばれる値しない者であると。全ての命を守れない事は分かっている、見える範囲の生命を救えない事も分かっている。ただ、もし本当に英雄と呼ばれる存在であるのなら、己の戦い方を得たのならば、サレナは思う。
己は、たった一人の剣士の英雄でありたいと、そう願う。