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たった一人の、あなたの為に ①

 白い、真っ白い花畑が見えた。


 雲一つない青空の下、白い花セラフィを摘む法衣を着た少女は、口元に柔らかい微笑みを浮かべると花の茎を織り合わせ、白い花冠を編む。


 温かな陽光が花畑を照らし、少女を包み込む。陽光に照らされた少女の顔は口元しか見えず、その顔は靄が掛かったように隠されている。


 だが、この光景を見ているサレナには、その少女が何となく、自分と近しい者であるという奇妙な縁を感じていた。少女の微笑みが、口元が、見れば見る程似ていると思った。


 夢と語るには記憶に無い光景、現実と見るには捉え所の無い感覚。ならばこの光景は何なのだ。何故記憶に無い映像を見て、一部分しか顔の見えない少女を自分と似ていると断じるのだろう。


 サレナは現実感の無い光景に頭を悩ませながら、足を進め少女の傍に近寄る。


 あなたは、誰ですか? 声を発してもサレナの声は風に流され空に散る。


 此処は、どこでしょう? 少女に触れようとしたサレナの手は、彼女の肩をすり抜け空を撫でる。


 見えているのに触れない、声を掛けているのに聞こえていない。自分の行動は全て少女に対して意味の無い行動であり、彼女にはサレナは居ないような存在なのだ。見えないし聞こえない、聞こえないから気付かない。空気と同じように、存在しているが触れない。


 ならば、この光景は夢なのだろう。夢であるとして見れば、少女の反応も納得がいく。サレナは暫し少女を眺めると、彼女の傍に膝を折って座り花を編む姿を観察する。


 手慣れたような手つきであるが、少女の編む花冠は何処か歪で均整の取れていないように見えた。だが、少女はそんな事などお構いなしといった風に、延々と花冠を編み続け、自分の横に積み重ねる。幾つも、幾つも、編んでは重ね、積み続ける。


 普通ならば、幾つか作れば満足するだろう。他の物事に興味を向けたり、別の事をするだろう。だが、少女は微笑みを絶やさずに花を編み続け、その行為は花畑が夕照に濡れるまで続き、夜になっても終わる事は無かった。


 「……まだ、足りない」


 夜空を見上げ、呟いた少女の口元から微笑みが消え、悲しみに歪む。


 帰って来ると言ったのに、また会えると言ったのに、まだ会えない。私の騎士はまだ迷っている。何故? どうして? 私は此処に居るのに、あなたの傍に居るのにどうして気付かないの? 気付いてよ、ねぇ―――。


 アイン


 その言葉を皮切りに、サレナの視界が真っ赤に染められると彼女の意識は深い暗闇の底へ落ちて行った。




 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………




 淡い、おんもらとしたランプの灯りが揺れた。


 ぼやけた視界に映るは己を心配そうに見下ろす飯女と、四肢に包帯を巻いたクオン、帽子を脱いだティオの姿だった。


 「……此処は?」


 身体を起こし、額に乗せられていた濡れタオルを手に取ったサレナは、周囲をグルリと見渡し此処が自分とアインに与えられた部屋だと気づく。


 程良い固さのベッドと柔らかい枕、背負い鞄を見つめたサレナは、何時もは必ずと言っていいほど視界の何処かに立つ剣士が居ない事に気が付いた。


 「―――ッツ!!」


 「サレナちゃん、無理しちゃ駄目だよ。君は魔力切れを起こして意識を失っていたんだ、今は少しでも休むべきだと思うな」


 痛む頭を手で押さえ、視界を回す。彼の姿が無い、剣呑な雰囲気を纏う剣士の姿が見えない事に、サレナは拭い切れない不安を感じ、ベッドから無理矢理にでも降りようとする。


 「止めておきなよ、サレナちゃん。今の彼を君に見せるわけにはいかないし、君は見るべきじゃない。今のアインは、君の知る彼じゃないかもしれない」


 「それは、どういう、意味ですか?」


 「……とにかく、君は休みな。アインには君の意識が戻った事を伝えておくから、今は休んだ方がいいよ」


 サレナの肩を優しく抱き、ベッドに押し戻したクオンは「サレナちゃんの事を頼む、私はアインの様子を見てくる」と、サレナの傍に座る二人に言い残すと部屋を去る。


 彼女の後ろ姿からは言い表せない憤怒と後悔の念が感じられ、声を掛けるのも躊躇させる程の空気を纏わせていた。


 「……アインは、彼は、どうしたのですか?」


 「……貴女に、言うべきかどうかは、僕には判断出来ません。けど、今のアインさんの状態は人であるかどうかも怪しいものです」


 「それは、どういう?」


 口ごもったティオの瞳へサレナの真っ直ぐな瞳が向く。その瞳を向けられただけで、ティオはアインの状態を口に出しそうになったが、何とか言葉を飲み下し沈黙を続ける。


 「教えて下さい、ティオさん。アインは、彼は」


 「……すみません。僕の口からは何も話せません」


 「……」


 何度問いかけようと、アインの情報を求めても、ティオは機械のように謝罪を繰り返し沈黙を守る。それはサレナの世話を任された飯女も同様で、彼女達は何も語らず少女に休むよう言い続ける。


 頭が痛い、耐え難い吐き気がする。脳を直接金槌で殴られているかのような頭痛に体力を奪われ、身体が意思に反して休息を求めている。


 サレナの意思はアインの事を知りたいと叫んでいるのに、身体は鉛を巻かれたように重くなり、瞼は勝手に閉じようとする。


 「……一つ、お伺いしても、宜しいですか?」


 「……何でしょう?」


 「私達の戦いで、上級魔族との戦いで、スピースの方に誰か、怪我人は居ましたか?」


 「ご安心して下さい、誰も怪我なんてしていません。貴方達が魔族が展開した空間で戦ってくれたから、誰も怪我をせず、死ぬこともありませんでした」


 「なら、良かった……」


 都市の人々の無事を確認できた事は、サレナにとって重要な事だった。クエースの町のように、手遅れにならずに済んだ事が何よりも嬉しいと、少女は言葉に出さず安堵した。


 だが、ふと思い出す。


 あの花畑は、あの花畑でセラフィの花冠を編み続ける少女は誰だったのだろう?


 何故記憶に無い映像を見て、こうも心が騒めくのだろう?


 もしかしたら、自分はあの少女に会った事があるのではないのだろうか? ただ忘れているだけで、あの少女は己に何かを伝えたかったのではないのだろうか? 


 ぐるぐると回り続ける思考を他所に、意識は深い眠りの底へ落ちようとしていた。身体がベッドに沈み込み、精神がそのままマットレスを突き抜け闇の中へ沈み込もうとしていた。


 願わくば、そう、眠りから覚めた後、再びアインの姿を見たいとサレナは願う。彼がどんな感情を抱き、真紅の瞳を以て己に声を掛け、どう返事をするか想像する。


 ああ、そうだ、初めはそう、おはようございます、この言葉だろう。そして、アインはぶっきらぼうに返事を返す。それだけで満たされる。そして、仕事終わりに食事に出かけよう。美味しい物を食べて、湯に浸かって、路銀を貯めて旅を続けよう。


 サレナはそう決意すると、眠りに向かう肉体と精神の流れに身を任せ、眠る。よりよい明日を迎える為に、一時の休息を得るのだった。

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