「……」
期待外れの凡人。その言葉を発したゼファーを睨み、拳を握ったクオンは額に大量の汗を滲ませながら膝を着く。
「人類はやはり一人では矮小で脆弱な生命だ。群れを成さねば生を維持することも叶わず、一人一人の力は魔族のように優れているわけでもない。我々魔族に数で優っているだけであり、誰かと共に在らなければ力を発揮できない生命が単騎で私に勝てると思ったか? 愚かしい」
魔力切れを起こした身体では満足に動くことも出来ず、混沌の肉塊による一撃を真面に食らったクオンは転がりながら地面に倒れ、痛みに藻掻く。
「最初は面白いと思った。だが、それは黒い騎士が居たからだと認識せざるを得ない。何だ? 貴様は何をしたい? 魔力による身体強化だけで私に勝てると思ったのか? 答えろ、女」
ゼファーがクオンに近づき、その頭を踏み付け、腹を蹴り飛ばす。
「貴様は決して弱くはない、人類の個として見れば強い方だった。だが、ただ強いだけでは有象無象の一としか認識出来ん。何故強い者が弱者の群れに属している。 何故強い筈なのに此処まで愚かなのだ? 弱い、弱すぎる、貴様は強いだけの弱者なのか?」
暗い、黒の瞳がクオンを見下し、痛みと苦痛に悶える姿をジッと見つめる。
「興味が失せた、貴様を見る時間すら惜しい。私は我が妹の世界へ向かわねばならん。失せよ、
剣を抜いたままイエレザの世界へ向かおうとしたゼファーの足が掴まれる。彼は忌々しいと言った風でその手を蹴り払い、歩を進めようとしたが、また足首を掴まれる。
「……見逃してやると言っているのが分からんのか? 人間」
「……それは、情け、かな?」
「人が虫けらに情けを掛けると思っているのか? 興味が失せただけだ」
「なら、まだ、戦おうよ。私は、まだ死んじゃいない」
体内の魔力は既に尽きている。今この身に在るものは己の体力だけ。従来の戦法は使えない。だが、それでも、戦わなければならないと、意思が叫ぶ。
「アインに、言っちゃったんだ、アンタの足止めをするって、相手をするって!! 私は、もう、諦めたくない。迷いたくない。私が私である為に、自分の意思から逃げたくないんだ!!」
痛み、苦痛を訴える身体を無理矢理黙らせ再び立ち上がる。膝は笑っているけれど、腕や拳の感覚は到に失われているけれど、脳裏に敗北の二文字が浮かんだけれど、それでも胸に抱いた意思と闘志を見失いたくない。自分自身から逃げ出したくはない。これ以上、自分に言い訳や嘘を吐きたくはない。だから、再び立ち上がり、戦う。
「苦杯と飲み下し、苦難と邪を恐れるべからず」
この戦いの一部を苦難と称し、苦杯という生の器に満たされた苦痛と言うなれば、目の前の存在は己が正道を阻む邪と認識する。
邪は正には勝てぬ、生命は苦難と邪を乗り越える力を持っている。故に、恐れずに立ち向かえ。己が意思を絶えず燃やし、己の誓いを力とせん。
「確かに私はアインやサレナちゃんに比べれば弱いよ。アインのように鬼みたいな強さは持っていないし、サレナちゃんのような精神的な強さも持っていない。
けど、それは各々が持つ強さなんだ。だから、私は私の強さを見つけたい。正道を往く者に道を示したい。私は私が誇れる自分になるんだ!!」
正道を往く者は邪を払う者である。故に、己は正道を往き、背を以て示し道義を胸に邪を討つ者となる。苦杯を飲み下し、苦難と邪を恐れるべからず。その言葉を意思と誓いに乗せ、我が秘儀を成す。
呼吸を浅く保ち、両目を閉じて型を取る。右手を腰に、左手は前に。両の足は肩幅に開き地に足が付いていることに意識を向ける。
「……」
邪法により生み出された混沌の肉塊が、クオンの纏う生の空気に気圧される。一見してみれば彼女の型は隙塗れに見えるのだが、それでも肉塊は一歩もクオンに近づけない。
彼女の立つ場所だけがゼファーの形成した影の空間に穴を開け、クオンだけの領域を展開する。
雰囲気が豹変した。と、感じ取る。強いだけの弱者から、強者の空気を纏うクオンに脅威を感じたゼファーは素早い身の熟しでクオンと距離を取り、邪剣を振るう。
「目に見える故に恐怖する」
邪剣の刃がクオンを肌を斬り裂く前に砕け散り、砕けた破片が混沌の根を張る為に彼女へ迫るが、それらを全て拳を以て砕いたクオンは飛び掛かる肉塊を最低限の動きで叩き伏せる。
「心に見るは己が内、目で見るは虚構に過ぎん」
息を吸い、空気に含まれた微量の魔力を体内に取り込み、体力と練り合わせて新たな魔力を作り出す。作り出された魔力は彼女の身体全身を巡り、肉体を強化する。
「我が肉身を剛とし、我が心は静と成らん。我が心が見るは牙を剥く邪を示す者。我が心が示すは邪を討ち生を求める者也。故に、我が肉身は正を求める者の拳と成り、邪を討つ為の牙と成る」
クオンを中心として緋色の旋風が吹き荒び、赤髪が燃え盛る業火を思わせる輝きを放つ。闇と邪を払い、体内に巡る魔力を拳に集中させたクオンは濁りの無い瞳でゼファーを見据え、その様は外は熱く、内は冷えた者の姿だった。
秘儀―――。そう呟き、足に力を込めたクオンの姿が搔き消える。その場に緋色の残り風だけを残したクオンは一息で肉の壁を貫通し、ゼファーの懐に飛び込むと拳に集中させていた魔力を渾身の一撃を以て彼の腹へ突き刺し、己が秘儀を解放する。
「破邪滅拳!!」
正道を往き、正道を敷く。それを目指す者に背を示したい。その意思と誓いを以て発動した秘儀は立ちはだかる肉塊という邪を射抜き、クオンに道を切り拓き邪法を操るゼファーへ一撃を叩き込み、その身に蠢く混沌へ彼女自身が生成した魔力を生気として流し込む。
「……ふむ」
「―――」
「及第点といったところか。人類とは、生命とは、戦いと生の中で成長するものだ。故に面白い、気にせずには居られない。女、貴様の名は?」
秘儀による一撃を受けて尚、生気を体内に流し込まれて尚、ゼファーは倒れない。口から血を少し吐いただけで、彼の魔族は立ち続け、冷静さを崩さない。上級魔族は秘儀を会得した戦士の拳を軽く引き抜き、眉の一つも動かさずに表情を崩さない。
「……クオン」
「クオンか、覚えておこう。貴様はやっと戦士の道を歩み始めた雛鳥故、十分に成長してから殺してやろう。我が名はゼファー、主であるイエレザの兄にして従僕。魔将、ラ・リゥに仕える上級魔族の一柱として記憶に刻むがいい。さらばだ、クオン。私の主と客人が戻って来る」
影の空間が崩壊し、肉塊もまたゼファーの身体へ逃げるように潜り込む。上級魔族の強大な力を前に、精根尽き果てたクオンは地面に倒れ込むとゼファー以上の力を感じ取る。
「精々磨けクオン、少しは期待しているぞ?」
そう言い残し、影の世界への入り口へ歩み去ったゼファーと入れ替わるように、サレナとアインが放り出された。
影の黒が去り、夕照が魔族との戦闘を終えた三人を濡らす。
クオンは精根果てたように倒れ、サレナは魔力切れと疲労に倒れ、アインは倒れた彼女に触れる事を恐れるようにして膝を着く。
この日、上級魔族の力に触れた戦士と少女は、苦い敗北を以て夕暮れに濡れた。