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篝火を掲げて ④

 イエレザは歓喜していた。無味蒙昧で道化の地獄と称した世界に、己と同じような力を持つ少女が存在し、尚且つその少女の想い人がイエレザへ剣を振りかざして斬り掛かる現実に甲高い嬌声を上げ、アインの斬撃を回避もせずに受け止める。


 肉を刃が斬り裂き骨を断つ。黒い鮮血を吹き出し、瞳に星々を思わせる輝きを宿らせた少女は影を操ると瞬く間に傷を塞ぎ、身に降り掛かる痛みと殺意に狂ったような笑い声を上げる。


 「嗚呼、嗚呼!! こんな日が、こんなにも最良な日があっても良いのでしょうか!? 私の伴侶と定めた騎士、アイン様に身を裂かれ、サレナの決意と愛を聞く。何て最高で最良な一日なの!? さあアイン様、もっと、もっと私に殺意をぶつけて!! 私を殺してみせて!!」


 「喚くなよ、魔族」


 「あなたの鋼を思わせる声、肉身の奥の髄に響く重厚なる刃のような声、なんて力強く雄々しいのでしょう」


 「黙れ、喋るな、耳障りだ。この世界から出せ、俺とサレナをに戻せ」


 「勝手に落ちてきてその言い草はあんまりではありません? もっと私と円舞ワルツを踊りましょう? は貴男とサレナの話を聞いていたのよ? 少しくらいは私の我が儘に付き合ってくれても罰はあたりません」


 影に潜航したイエレザは指を鳴らす。


 「私達は一つで全てを内包する世界。取り込まれた者の内、一定数の者が貴男との戦いを望んでいます。少し、遊びません?」


 影の世界が蠢き揺れると同時に、彼女が取り込んだ命と意思を集合体が吐き出し形を与える。外界へ影を垂れ流す場合と異なり、イエレザの世界内であれば影は集合体より知識と経験を与えられ、完全な状態で人型を成す。


 世界より吐き出された影の戦士の数は百。皆各々が自分の得意な武器を持つ存在であり、集合体から与えられた幾万の武技と経験を持つ猛者である。影の戦士は剣を構えるアインを視界に映すと一斉に剣士へ襲い掛かった。


 「楽しんで下さいね? 足りないと申すならまだまだ御代わりは御座います」


 剣を振るい、影を斬り裂く。斬り裂かれた影は生身の生物同様の肉体強度であるが、血肉を撒き散らす代わりに液体のような影を斬られた部分から噴き出し、命が絶たれたとしたら世界に溶け、新たな人型を得て再度生成される。


 疑似的な生命の循環を模倣した影の世界は、破界儀という世界を塗り潰す異能に相応しい力。一つの完結した世界を展開し、操るイエレザはである。


 魔力の枯渇など在り得ない。生命の枯渇など期待出来ない。取り込んだ生命と意思を支配する集合体とイエレザが存在する限り世界の崩壊など認めない。影の世界の主とはイエレザであり、取り込まれた生命と意思である。


 恐怖を以て支配する形から、他の存在と対話し、理解を得る事を学んだ彼女の破界儀は完成度を一段階引き上げ、より強固で強力な世界へと進化した。


 剣一本で大海を斬るなど不可能な事だろう。影の世界より無尽蔵に生成される人型は一つの軍隊であり、イエレザとはなのである。一にして百を生成し、百を元に千を率いるたった一人の軍隊は脅威以外の何者でも無い。


 影の世界という限定的な戦場であれば、彼女は魔将すらも凌ぐ可能性の塊だ。故に、孤高。何もかもが一人で完結する故に、孤独なのだ。


 「アイン!!」


 如何に強力な戦闘甲冑がアインの感情を燃料にして魔力を生み出そうが、黒の剣が敵を斬り倒そうが、波のように押し寄せる人型を相手にするのは難しい。


 アインが黒炎を吹き出し、敵を焼きながら魔力を喰らおうとしても、破界儀が展開する世界の法則が秘儀の効果を塗り潰し、無かった事として塗り替える。どれだけ足掻こうとしても、炎と剣だけでは黒の海は越えられない。


 甲冑が影の戦士の武器により傷付き、強化されてゆく戦闘能力に装甲が耐えられなくなってくる。時間と共に劣勢へ傾く戦況であろうとも、アインの戦意と激情は一切の衰えを見せる事は無い。無いのだが、現実は血を流しながら身体の至る所を敵の武器に貫かれた満身創痍の剣士の姿がそこに在った。


 荒い息を吐き、血反吐を吐く。全身を黒の液体に濡らしながら、血を流すアインはただ一人の為に剣を振るう。後ろに守るべき者が、彼のかけがえの無い存在が居るから戦い続ける。


 肉が剣で抉られようと、甲冑が斧で斬り裂かれようと、一歩も後ろに退かない。常に前進し、その姿がハリネズミのようになりながらも影の軍勢と対峙する。


 サレナは思う、修羅のような戦い方をする剣士を守りたいと。


 サレナは願う、戦鬼のような武技と悪鬼の心を持ちながらにして、戦い続けるアインの力になりたいと、彼の為に在りたいと。


 だから願い、誓うのだ。力を得る為に、愛する者の苦境と苦難を取り払う為に祈るのだ。その願いが独り善がりの身勝手な想いであろうとも、サレナの抱いた意思と願いには一点の曇りも無い高明たる光。


 今はまだ片羽のようで、不完全な力だが何時かは希望と未来へ羽ばたく翼となる力。故に、脳裏に浮かんだ言葉を口にしよう。幼い頃より聞きなれた、歌に願いを乗せて己の力を発動させる。




 光よ、全てを照らし、優しく抱く光よ


 光を手に、意思を胸に、誓いを歩みへ、共に進みましょう


 白き花は約束の地へ、愛しい人を導こう


 あなたの為にこの身は在ろう、あなたの全てを受け入れよう


 あなたの未来に幸あらん


 強く気高い剣の人、儚く脆い夢の人、私はあなたを愛しましょう


 あなたの希望に幸あらん




 幼い頃より、母から聞き学んでいた歌を口に出し、魔力を乗せる。杖を掲げ、意思と希望を乗せた魔力が杖の先に集まり、淡い光を灯す。


 その光は種火を思わせる小さな光だった。だが、サレナの膨大な魔力を一点に収束させた魔力の種火は、彼女の意思と希望を示すかのように一瞬にして燃え上がると周囲の影を浄化し、イエレザの世界と拮抗するまでの力を得る。


 サレナが発動した異能は秘儀の形をした破界儀であるが、イエレザのように世界を形成するまでに至らない未成熟な力。未完成で不完全、初心な未熟者が発動した異能は自分を中心とした限定的な加護を与えるものであり、その加護は己が守りたいと、力になりたいと、救いたいと願った者へ苦難と苦境を乗り越える力を与えるもの。


 その光は導きを示し、誰かの為に在る光。イエレザの破界儀が内に深く、外に広がる異能だとするならば、サレナの破界儀は内外に広く、時間を掛けて浸透する異能。故に、破界儀が発する光は篝火となり、人と生命を導き助ける力なのだ。


 「アイン、あなたを死なせない。あなたが傷つき倒れるなんて認めない。愛する人が居なくなるなんて嫌、この力は、私の身勝手な我が儘で発動した力。アイン、私の大切な人、私と共に歩む愛しい人、あなたは敗けない。今度は、私があなたを助けるんだから!」


 サレナの意思を表すように、光が影の軍勢を押し退けアインを照らす。彼を照らし、影を押し退けた光は一切の攻撃性を持たない無垢なる光明。戦う為の、殺し合う為の力は必要無い。


 サレナが手にしたいのは守り、救うための力。少女の祈りと願望を、意思と希望が織り合わさった光はアインの損壊した甲冑を修復し、傷を癒し、更なる戦闘能力を付与する。


 「―――」


 剣が震えていた、それは己の手が震えていたからではない。黒の剣がサレナの力に応えるかのように震え、刃に星光を纏わせる。


 世界の法則が部分的に塗り潰された。それを瞬時に理解したアインは剣を両手で握り締め、己が感情を燃料として魔力を生成する。今こそ、秘儀を使うべき。サレナの破界儀による補助を受け、イエレザの世界へ剣を向けるべきだろう。


 殺す|《救う》、サレナの望んだ世界を救い、イエレザの世界を殺す。秘儀、救済の絶剣は殺す対象をアインの意思により、選別する。星光を纏わせ、闇と影を斬る。


 「アイン、大丈夫。私はあなたを信じてる。だから、彼女を殺さずにこの世界を斬って下さい。戻りましょう、共に、二人で」


 「ああ」


 そして、影と光は激突する。

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