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篝火を掲げて ③

 イエレザの世界と現世を繋いだ際に生じた剣の変化は、アインがサレナの前に降り立つと同時に消失し、黒の剣は刀身は元の漆黒に染まっていた。


 「……」


 「どうした? 大丈夫だ、お前の敵は俺が斬る。俺の剣はお前の為に在る。だから、お前は自分の事を―――」


 「……アイン」


 剣を構え、眼前に広がる影の世界へ殺意と憤怒を向けていた剣士へサレナが声を掛ける。その声は弱々しく、何処か迷いを含んでいる声だった。


 「何だ?」


 「また、私の為に戦うんですか?」


 「ああ」


 「もし、もしですよ? あなたに戦わないでと話したら、どうしますか?」


 真紅の瞳がサレナを横目で見やり、その瞳の奥には困惑と疑問がありありと浮かび上がった。


 「何故そんな事を聞く」


 「……私は、あなたに傷付いて欲しくない。あなたが私の為に戦って、死んでしまうなんて耐えられない。あなたに何も与える事が出来ない私を、あなたに守られてばかりの私を、どうしようもなく許せなくなる時がある。

 アインが私の代わりに戦って、傷ついて、血を流す姿を見る度に怖かった。あなたが戦いの中で、私の選択のせいで死んでしまうんじゃないかと思って、怖かった」


 今だって、アインの甲冑の装甲は先の戦闘により傷つき、僅かに損傷していた。自身に植え付けられた混沌の根を焼く為に、黒炎で己ごと焼き払った彼からは皮膚が焼ける独特な臭いが発せられており、黒装甲のせいで分かり難いがアインの甲冑全体が煤で汚れていた。


 アインに一言イエレザを倒して欲しいと言えば、彼は迷い無く剣を振り上げ彼の魔族へ斬り掛かるだろう。何方かが倒れ、死ぬまで戦いを続けるだろう。剣士は血に濡れ肉と骨を刻みながらサレナの選択に従うのだ。彼女の選択が正しいと信じているから、彼女の言う事に間違いは無いと信じているから剣を振るい、戦いに臨む。


 「私は、あなたが大切なんです。大切だから傷ついて欲しくない、死んで欲しくない。こんな思いは身勝手な我が儘だと理解してます。けど、私は」


 愛する人が戦いの中で死んでしまう事が、傷つき不幸になってしまう事が、何よりも恐ろしい。


 どれだけ覚悟を決めたとしても、どれだけ決意を固めたとしても、愛する人を失う可能性がある選択は恐ろしい。


 アインがどれだけ強くとも、彼が嘘を吐かず有言実行の心を持っていても死は突然にやって来る。その死を回避出来ず、彼の剣士が己の知らない何処かで、目の前で力尽きる姿を想像するだけで気が狂いそうになってしまう。


 アインが殺意、憎悪、憤怒を抱えたまま一切の安らぎを得ること無く死んでしまうなんて間違っている。


 「サレナ」


 アインが一言声を発し、剣を影に突き刺す。


 「俺は死を恐れていなかった。お前と出会う前の俺は、死と生など一辺倒の飾り物に過ぎないと思い、常に争い合う世界と人魔という種族の違いだけで殺し合う者達は屑であり、傀儡であると思っていた。剣は命を断つ為の武具であり、この四肢は敵を殺す為に在った。殺す為に生き、理由など無い殺戮に意味も無い」


 影の中、シンと静まり返った空間に二人の声だけが響く。


 「サレナ、お前は俺が死ぬことが恐ろしいと言ったな? 俺は逆だ、お前が死ぬことが恐ろしい。俺だってお前を守る為に戦っていると大層な事を言っているが、真に迫れば自分勝手な我が儘なんだよ。

 俺はお前を守りたいという願いの為に剣を振るい、ただ単に身勝手さを押し付けているだけに過ぎんのだろう。

 いいか? 願いと云うのは自分の我が儘を相手に押し付けているだけであり、その願いを叶える為に生命は誓いを立てるんだ」


 アインの瞳がサレナを見つめ、鋼に包まれた手指が少女の頭を優しく撫で。


 「自分勝手でもいい、我が儘を話しても構わない。サレナよ、お前はもう少し自分の為に生きてもいいんじゃないか? 俺はお前の言葉なら、願いなら、出来る限り叶えたい。だから、お前は何をして、何を思っている。サレナ」


 彼女の騎士は主に問う、何故にと問う。


 迷いがあるなら耳を貸そう、倒れそうになったならば杖となろう、転びそうになったら手を貸そう、避けられぬ戦いに身を投じるならば剣となろう。この身はサレナの為にあり、騎士の誓約の紋章はアインの誇りでもあるのだ。故に、アインは問う。サレナの言葉をジッと待つ。


 「……アインは、どうして私を其処まで信じてくれるのですか?」


 「サレナだからだ、他の肉塊の言葉など聞くに堪えん戯言に等しい」


 「アインは、私の選択により死ぬことが、怖くないのですか?」


 「お前の選択は何時も俺に力と理由をくれる。恐怖を感じたとて何の問題がある」


 「アインは……どうして其処まで私に優しくしてくれるのですか?」 


 「野暮な事を聞くな、己の命よりも大切な者を守り、愛しむ事に理由は必要か?」


 「……私はアインの事を何も知りません、あなたの名だって私が名付けたもので、本当の名すら知らないのです。あなたを理解したい、分かりたい、愛したい、けど何も分からない。そんな私があなたを愛するなんて―――!!」


 「……少し、黙れ」


 アインがサレナへ向き直り、拳を握ると限りなく小さな力で彼女の頭を小突く。少女は僅かに痛む頭を擦り、驚いたような表情で剣士を見つめると己の頭を小突いたアインの瞳を見る。


 「サレナ、俺だってお前の事は何も分からない。分からないからこそ知りたいんだ、お前を、サレナという人と生命の事を理解したい。

 他人の事など分からないのが当たり前だ、だから俺はお前を知りたい。サレナを見るときに俺の中で渦巻く感情が何なのか、何故お前だけが特別に見えるのか、知りたいんだ。教えてくれサレナ、お前は俺と共に、歩いてくれるか?」


 「私は……」


 言葉にすべきだろう、抱いた気持ちと願望を。人が持つ感情を表す行為が対話であるならば、言葉にすべきだ。対話と理解、それこそが希望と未来を切り拓く道であるならば、己は進む。その先に何があろうとしても、混迷とした濃霧が漂っていたとしても、意思と誓いを胸に己の望む世界を手に入れる為に、歩き続けよう。それが、人であり生命なのだから。


 「私は、あなたを愛しています。愛しているからこそあなたを知りたい、あなたと共に歩きたい。例え私自身がアインの事を何も知らなくても、歩きながら少しずつ知っていきたい。

 だから、約束です。私は最期まであなたと共にありましょう。アインが帰る場所となり、安らげる人となります。アイン、何故私があなたを愛するのか、何処に愛を見出したのか、一緒に探してくれますか?」


 「ああ」


 本当に頭でっかちで理屈ばかりを捏ねていると自嘲する。だが、こうして何かを考え続けて迷っている姿は実に自分らしいとサレナは思う。


 アインの事は何も分からない。分からない方が自然なのではないだろうか? 少しずつ歩み寄り、傍で支え合った先に見える何かが在るのかもしれない。焦らずに、ゆっくりと進んだ先に答えは在るのだろう。故に、今はこの気持ちだけで歩いて行こう。


 「だが、その前に」


 「その前に?」


 剣を抜き、振り返ったアインは影の中から泳ぎ出るように現れたイエレザを睨み、激情を燃やす。


 「此処から出る事が先決だろう」と、剣を構えイエレザへ斬り掛かった。

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