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篝火を掲げて ②

 サレナがイエレザの影の世界に招かれてすぐ、初めに異変を感じ取ったのはアインであった。少女の気配が消えた直後、アインはすぐさま銀春亭の食堂へ引き返すとその場に残った上級魔族、ゼファーに斬り掛かったのだ。


 振り抜かれた黒の剣は正確にゼファーの首筋を捉えたが、刃は首を切断する直前で彼の肉身より溢れた獣の顎により阻まれ、止まる。鋼と牙がせめぎ合い、魔族の足元から伸びる影が蠢き、人と獣が寄り集まり、かき混ぜられたような混沌が溢れ出す。


 混沌、そう言えば聞こえは良いだろう。ゼファーから溢れた混沌は醜悪で歪な形を取る肉の塊である。筋線維と血管が露出した肉の化外は血を滴らせ、脈動する複数の四肢から伸びる爪牙は鋭利でありながら鋸状の形状を模っていた。


 「落ち着きが無い男だ」


 「貴様、サレナを何処にやった」


 「イエレザの下だ、そんなにあの小娘が大事か?」


 黒の剣が唸り、甲冑が軋む。怒涛の剣戟が瞬時にして混沌を斬り裂き、血飛沫を纏わせながら無限に湧き出る肉の塊を斬り伏せ、アインとゼファーは激しく斬り合い縺れ合うと、店外へ飛び出し美しい夕照に濡れる。


 「少しは話を聞いたらどうだ? 貴男が戦いを止めぬと言うならば、私も自衛の為に剣を抜かねばならん。だが、その前に」


 剣を振るい、ゼファーの混沌を斬り払うアインを跳び越えた一つの影、クオンは脚部装甲に仕込まれた刃を展開し、魔族に蹴り掛かる。だが、不意打ちにも似たその攻撃を易々といなしたゼファーは建物から伸びる影を操り、ドーム状の帳を形成する。


 「私はイエレザのように一つの世界を形成する事は出来ない。だが、世界から隔絶された空間を形成することは可能。故に、形成された影の空間は敵地の魔力から私を守り、戦闘行為を可能とさせる。黒い騎士、そして牙を剥いた女、少しの間だけ我が妹の為に時間を稼がせて貰う」


 天を覆い、宙を閉じる影の帳。その中に囚われたアインとクオンは戦闘態勢を崩さずに術の使用者であるゼファーを見据える。


 「……コイツが上級魔族って奴? アイン」


 「ああ」


 「正直言って、化け物じゃないか。どうしたってこんな術を一人で構築して、発動出来るわけ? 人類なら、大規模魔法の部類じゃない?」


 剣を奔らせ影より溢れた混沌を斬り捨てたアインは「話してないで戦え、死ぬぞ」とだけ話し、クオンを置き去りにしたままゼファーへ突進する。


 「戦いねぇ……そりゃそうだ、なんせ相手はなんだから」


 背に這い寄る肉塊を蹴り抜き、息を浅く吐いたクオンは魔力を体内に循環させ、自らの肉体に強化を施す。


 強化された肉体は岩をも穿ち、鎧をも粉砕する膂力を得る。体内を巡る魔力は時間と共に身体に馴染み、クオンの身体能力を上昇させるが、燃料となる魔力が尽きれば強化能力は徐々に失われる。長期戦闘には向かない魔法であるが故に、短期決戦を仕掛けなければ勝機は無い。


 息を吸い込み己を取り囲む混沌の数を把握する。数は十、武装は爪牙による近接攻撃。息を吐き出しながら虎狼の如く地を蹴り、旋風のように混沌を薙ぎ倒したクオンはアインへ牙を向ける肉塊を粉砕し、彼の背を守る。


 「背中、がら空きだよ?」


 「援護など必要ない、貴様は貴様の敵を殺せ」


 「死んじゃお終いだよ、アインの背中は任せてよ。私、結構強いからさ」


 次々と湧き出る混沌を斬り倒し、蹴り殴り飛ばす二人は会話こそ少ないもののピッタリと息の合った連携を見せ、互いの死角を補いながらゼファーへ突き進む。龍虎の武、阿吽の呼吸を無意識に感じ取っているかと思わせる武技。


 アインの大ぶりな剣戟は一薙ぎにして無数の混沌を斬り裂き、クオンは動きの素早い混沌を的確に蹴り捨て殴り潰す。黒と赤が交差する戦戟に、ゼファーは笑みを浮かべた。


 己の目的はただの時間稼ぎ。生まれ持った魔力より生み出す混沌を用いての戦闘は、何の面白味も無い無味無臭の愚味である。だが、目の前にこんなにも面白い武を舞う戦士が居るのに、見ているだけではつまらない。つまらないからこそ、抜くべきだ。


 ゼファーは自身の腹へ手を差し込み、呻き声を漏らしながらを引き抜く。鮮血が吹き出し、ゼファーの腹から抜かれた腸は ぬらぬらと血にぬめる。


 「優秀な戦士が抜くならば、此方も抜かねば無作法というもの。さぁ、やろうか騎士と戦士よ」


 魔族の傷口から獣と人の手指や牙が纏わり付き、一振りの剣を形作る。混沌により形成された剣は、骨と肉を纏う邪剣。カチカチと、蛇腹状に曲がりくねった剣を振るったゼファーは、影より湧き出る混沌を率いてアインへ斬り掛かる。


 黒の剣が邪剣と打ち合い、骨と肉片が舞う。鋼と骨肉であれば、当然鋼の刀身が邪剣の刃を砕き、叩き潰す。だが、飛び散った邪剣の欠片は意思を持ったかのように宙に停止し、細く鋭利な針のような形状になるとアインの甲冑の装甲に突き刺さった。


 「―――ッ!?」


 想像を絶する激痛と、神経に直接虫が這うような不快感。装甲に突き刺さった針から伸びる混沌の根がノスラトゥの戦闘機構を侵し、甲冑を纏うアインの肉体と精神に猛毒を注入したのだ。


 「ガッ―――アッア」


 切断され、甲冑ごと貫かれ臓物を垂れ流した経験を持つアインを以てしてでも耐えられない激痛は、彼の精神と肉体の動作を鈍らせ数秒だけ剣の嵐を止める。


 数秒、たった数秒だけあればいい。ゼファーは滅茶苦茶に剣を振るい、アインの甲冑のいたる所に混沌の根を植え付け、完全に剣士の動きを止める。


 「痛いだろう? 我が秘儀は混沌を生み出す畜生の秘儀。その根は植え付けられた者の魔力と命を吸い上げ成長し、新たな混沌を生み出す外道の儀。さぁ、次は貴女―――」


 痛みと傷に抗うようにアインの甲冑から黒炎が吹き出すと装甲に突き刺さった根を全て焼き払い、ゼファーが率いていた混沌を次いでと言わんばかりに業火で巻く。黒炎を纏い、真紅の瞳に狂気と激情を滾らせた剣士はジッと地面を見つめ、呟く。


 「……サレナの声が、聞こえる」


 「ア、アイン?」


 「声が聞こえた、サレナの声だ、あの娘はこの下に居る」


 噴き上がる黒炎は灼熱たる業火となり、充満するゼファーの魔力を焼き喰らう。上級魔族の魔力をも喰い尽くす黒炎は、黒の剣の刃を焼く。


 剣を振り上げ、影に濡れた地面に突き刺す。炎は外法により生まれた混沌を焼き尽くし、帳を抉り、影を穿つ。


 「……黒い、焔」


 邪剣を振るうゼファーが笑みを浮かべたまま、憤怒と憎悪を以て混沌を生成する。


 このまま剣士を放っておくことは出来ないだろう。もし、影の帳を破られようものなら己は負ける。境界線上の戦場ならば戦闘状態を維持出来るが、敵地である人類領では戦闘行為そのものはデメリットでしかない。一刻も早く、この剣士の炎を止めねばならない。


 邪剣を薙ごうと腕を振るうが、それは蹴撃により阻まれ、脇腹にクオンの鉄拳が叩き込まれる。肋骨が数本圧し折られると同時に、折られた骨が肺へ突き刺さりゼファーの口から鮮血が吹き出した。


 「女―――!!」


 「アンタの相手は私だよ魔族!!」


 不敵な笑みを浮かべたクオンの連撃がゼファーへ叩き込まれ、肉体より混沌を湧き出し攻撃を防御せざるを得ない。


 「……其処に居るのか? サレナ」


 アインの呟きと共に、一筋の光が黒の剣を居抜き、黒炎が黄金を纏う。


 吹き荒ぶは金色の焔。黒の剣の刀身が漆黒から白銀と黄金の色を帯び、地面が罅割れイエレザの世界と現世の通路が開通する。


 「行って!! アイン!! コイツは私が足止めする!! 速く!!」


 「……ああ」


 ゼファーと激しい攻防を繰り返すクオンを一瞥し、イエレザの世界へ飛び込んだアインは剣を突き出しながら落ちていった。

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