「私の、強さ?」
「強さという言葉には様々な意味が御座います。サレナは実に人間らしい強さをお持ちになっています。戦うだけの強さを持つ者は世界の至る所に存在しますが、その者等も結局は制約の枠に従って戦う道化であり、傀儡。
貴女のように人類でありながら魔族と心を通わせようと、理解しようとして対話に努める者は存在しません。嗚呼、だから私はあなたを美しいと思ってしまうのでしょう」
この世界は制約に縛られた道化と傀儡の無間地獄。制約に盲従する傀儡は道化を演じ、終わらぬ戦乱に身を焦がす。異常に気付かぬ者の、不変を強いられる者の血と狂気で世界は形作られている。だから、必要なのだ。世界の異常性に異を唱え、変わらぬ制約を打破しようとする者が。
「嗚呼、こうして人とは新たな一歩を踏み出し、自らの世界を切り拓こうとするのですね。内に閉じるのではなく、外に広がりを見せねばならない。
サレナ、誓約を理解し、制約に縛られないように。貴女は、既に力を掴んでいるのに、それが何だか理解出来ぬだけ。故に、未熟であり己を弱き者だと誤認しているのでしょう」
「……」
「人を、生命を導くのは何時だってその時代に生きる者の特権です。老いた生命は人を導けぬ、枯れかけ、死にかけた植物は周囲の栄養を必要以上に吸収し醜く生きる。それは人も同じ。だからサレナ、貴女は貴女の理想と希望を抱き、未来を勝ち取らねばならない宿命を背負う者。嗚呼、私の力の本質が、やっと見えてきました。そう、これが」
言葉を通じての理解と対話なのですね。その言葉を皮切りに、周囲の影に浮かんでいた目玉が一斉に消え、辺りが黒に染まる。
「喰らって、取り込んで、世界の姿を知って尚、私は知らねばならない。内に、中に深く深く深度を深めてもこの影の世界は一つの完結した世界であり、これ以上の広がりは在り得ない。
しかし、私が取り込み喰らった命と意思は、影の世界の集合意識として累積し、堆積し、全ての知識と記憶を共有する。
そう、理解出来ぬから人は争い殺し合う。相互理解が困難だから人類と魔族は制約に縛られる。ならば、私は私の力を以て世界を統べましょう、世界を染めましょう。
闇に溶け、影と同化したイエレザの声が影の世界に響く。
破界儀、それは世界に変革を齎す者が持つ特殊能力。誓約が秘儀として力になるならば、破界儀とは己の意思と誓約を以て世界を染める力。
イエレザが発動した影の世界は破界儀という力の枠に当て嵌まる能力であり、一つの世界として内に完結しながらも外へ広がろうとする矛盾を孕む異能。
「理解しえず、分かろうとしないならば、分からせましょう。私の影に取り込み、私の一部として世界に存在したらいい。道化は不要、傀儡は人へ。私は私であり、他の生命は影の集合体の一部として理解し合えばいい。我が破界儀、
辺りが黒一色に染まり、異能の発動者たるイエレザまでもが影の世界と同化する。影の世界はサレナという個人だけをその場に残し、黒と無音の四次元的空間に膨張し、拡大する。
その様は色こそ黒で染められているが、身体が宙に浮く感覚や、僅かに聞こえる影に取り込まれた者の話し声から、少女は海中に漂っているような錯覚を覚えた。
影に取り込まれた者は
人を理解し、対話の術を知らなかったイエレザの影の世界であれば、影に取り込まれた生命は彼女へ恐怖し、その身から発せられる狂気に
無数の影が対話と理解を獲得し、集合体に蓄積された知識だけではなく、思いを語り合う術を得たのだ。影が影と対話し、人魔の垣根を超えた理解が影の世界に更なる進歩と進化を与え、自己完結しながらも外へ広がろうとする矛盾を抱えた世界が出来上がった。
「さぁサレナ、貴女の意思を私に伝えて下さいな。私の影は貴女を知りたいと渇望しています。何故貴女は対話を望むのか、何故導ける力があるのに迷い、嘆き、弱いと話すのか。教えて下さい、サレナ」
影の声が止まり、不可視の生命が一斉にサレナを見つめた。ある者は興味を、ある者は救いを、無数の生命と意思が一人の少女へ視線を向けた。
「……私は」
救える者は救いたい、赦せる者ならば赦したい、誰もが不幸に嘆かず幸福を望める世界を目指したい。生命ある全ての者が理解し合い、種族を越えた優しさを示せる世界を望みたい。永遠に人が争う世界を無くしたい。だが、それに、それ以上に、アインが幸福になれる世界が
欲しい、そうだ、己は彼が幸福を感じ、安らげる世界が欲しいのだ。その為に争いではなく、対話で事を収め理解し合える世界が欲しいのだ。アインが血を流す必要が無く、剣を振るう必要も無い世界。彼の優しさを自分以外の誰かが知ってくれる世界が欲しい。その為の相互理解であり、対話なのだ。
「私は、愛する者が傷つく世界なんて必要無い。誰もが血と涙に濡れる世界なんて間違っている。人が人同士で永遠に殺し合う世界は地獄であり、その世界を覆う制約に盲従する者を救いたい。
私の願いは世界から見れば間違っていて、異端でありましょう。けど、だけど、争い合う世界で彼が、アインが死んでしまうのはもっと嫌」
大きく息を吸い、叫ぶ。己の胸の内を吐露するように、サレナは叫ぶ。
「間違っているのは制約であり、人に罪はありません! 私が誰かと話し、理解を促せるのであれば私は私の戦い方で希望と未来を掴みましょう! 人に、生命に罪はありません! 私は、アインが安らぎを感じ、傷つかない世界が、幸福になれる世界が欲しいのです!」
悲しみが涙で人を濡らすなら、その涙を止めようと手を伸ばす。
痛みが人を傷つけるのならば、その傷を癒したいと手を伸ばす。
この世界は狂っていて、歪んでいる。その歪みと狂気に気付ける者には責任があるのだ。その者が産まれ落ちた瞬間より、世界の制約に縛られない
「悪があるならば悪を断じましょう、行き過ぎた善が生命を穢すならば善を断じましょう。罪には罰を、罰には赦しを、人には愛を。私は私の望む世界が欲しい、欲しいから手に入れたいと願うのです。迷ってもいい、倒れても転んでも立ち上がりましょう。
私はアインを愛して
サレナの決意と願いに応えるように、指輪から眩い光が漏れ出し一本の線となって影の世界の天を貫く。貫かれた影には無数の罅が奔り、破裂すると同時に薄い破片を散らし、一人の黒甲冑が影の世界に飛び込んでくる。
「……アイン?」
灼熱たる殺意を纏い、轟々たる憤怒を滾らせた黒い剣士、アインは真紅の双眼にイエレザを映すとサレナを庇うように立ち塞がる。
「無事か? サレナ」
「どうして、あなたが」
「