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影の中で、迷う ③

 「サレナはアイン様を愛し、信じていながらも彼の全てを知りたいという欲求をお持ちのようですね。何故貴女は其処まで彼を知りたいのでしょう?」


 何故アインの事を知りたいのか、その問いの答えは愛するために理解を示したいからに他ならない。サレナが口を開きかけたその瞬間、イエレザの指が彼女の口にそっと添えられ、言葉を制止する。


 「理解とは何でしょう、理解とは他者を知る為の手段であるのでしょうか? それとも他者を知った後に示す態度であるのでしょうか? 

 他者を愛する為に理解を示すのか、理解した後に愛を囁くのか。それは卵が先か鶏が先かの違いでしかありません。しかし、私は愛の理解とはその両方に属する位置にあるのだと思っています」


 「両方に、属する?」


 「そう、愛の理解とは両方なのです。卵が先か鶏が先かなど、それは単なる言葉遊びにしか過ぎず、愛と呼ばれる目には見えぬ曖昧な定義を考察するにはハッキリと見え過ぎている言葉です。

 そんなものは面白くないでしょう? 愛とは、各々が胸に抱く過去であり、未来であり、現在でもあるのです」


 卵が先であれば、卵内で胎動する生物は次の世代に繋ぐ命であり、進化の過程を踏む存在と言えよう。鶏であれば、成長後の結果が反映されているか、既にその場に存在するものと例えられる。ならば、愛と呼ばれる存在は卵であるのか、鶏であるのか、それを思考せねばなるまい。


 愛、それは人類と魔族が持つ不変なる感情である。感情とは脳が思考工程を行う前に発現させられる生物の本能的な現象であり、一定の知能を持つ生物であるならば小動物でさえも持つ生理現象と云えるだろう。


 小動物のような人よりも知能が低い生物が愛を知り、理解しているのかと問われたならば答えは否、鼠や鶏は理解という思考工程を省き、愛を本能と捉えているだろう。


 ならば人類や魔族と云った高度な知能を持つ生命は、愛を本能のままに感じるというのだろうか。その答えもやはり違う。


 多種多様な言葉を操り、他者の温もりと瞳を見て話す生物が本能のままに愛を貪り、次代へ生命を繋ぐなどそんな単純な思考は存在しないだろう。


 人は愛を知るために理解を求め、理解するために誰かを愛するのだから。故にイエレザは語る、迷うサレナへ愛と理解を語るのだ。


 「私はアイン様に恋をしたのです。彼のあの鮮烈なる殺意に、鍛えられ続ける憤怒に、全てを燃やし尽くさんとする憎悪に、暴力の嵐のような剣に恋をした。

 私は彼を理解していると思っていますか? 私は彼の事を何も知りません、サレナから名を聞くまでアイン様の名すら知らなかったのです。

 誰かを好きになる事に理解は必要でしょうか? 理解してからでなければ誰かを愛してはならないのでしょうか?」



 「真に愛するのであれば、理解は必要でしょう。愛する人を知り、受け入れ、安らぎを与える為に愛に理解は必要なのではないでしょうか? 彼を、アインを、私は本当に愛しているのか、真に愛するために理解は―――」


 「本当に頭ばかりで考える人ですのね、誰かを好きになる、誰かを愛する、誰かを愛したい。自分自身が抱いた感情に理由と理解は必要ですの?」


 自分自身が抱いた感情、その言葉にサレナはハッとした様子でイエレザの瞳を見つめ、息を呑む。


 「私はアイン様に抱いた感情を愛と断じています。彼の剣に貫かれたいと思っていますし、彼が私の手に収まればどれだけいいか想いを巡らせる時もあります。

 サレナ、貴女が愛についてどれだけ理屈を捏ねようとそれは貴女自身の感情ですのよ? 誰かのものじゃない、誰かに与えられたから持っているのではない。

 貴女はアイン様に恋をしたから、愛するようになったのです。恋愛、良い言葉じゃないですか」


 恋をして、愛を知る。恋愛とは行動と感情が組み合わさった事で成り立つ言葉なのだろう。恋をして、誰を求めて行動し、特別な好意を抱く。愛を知るために誰かを理解しようと、知ろうとして歩み寄ろうとする。恋愛とは一方的であり、相互的な関係を表す言葉。その行動と思考、感情は何時も自分が始まりなのだ。


 「いいじゃないですか、自分が持った感情を押し付けて。我が儘でも、身勝手でも、それが恋であれば己の感情は止められませんわ。私は貴女と違うのです、貴女が優しさと慈愛によりアイン様を手に入れたいと望むなら、私は私自身の行動と感情を以てアイン様を手に入れましょう。そうですわね、言うなれば私とサレナは好敵手のような関係ですのね」


 「……イエレザは」


 「何でしょう?」


 「貴女は、強いのですね。本当に、私には無い何かを持っているように感じます。言う事もハッキリと話しますし、戦闘面においても強い。私は、貴女のように強くはない」


 「ええ私は強いでしょう。正直言いますが、お兄様よりも百倍は強いのですよ? けど、私はただ強いだけですの。サレナ、私は貴女が羨ましいと思っていますの」


 「え?」


 「貴女は自分が弱い存在だと思っているでしょう? けど、それは貴女だけの視点であり、他者は貴女を決してか弱い少女と思っていないでしょう」


 「けど、私は戦えないし、イエレザのように強くない。何時も誰かが私の代わりに戦っているだけで」


 「それが間違いです。貴女は自分が戦えないばかりで誰かが自分の代わりに戦ってくれるとお思いでしょうが、その者は貴女の為に戦い、貴女の力になりたいから力を振るうのです。

 意味の無い戦闘、自分の為だけの戦闘は傷だけを残します。けど、誰かの為の戦いであれば、その者の未来と希望を守る意味のある戦いとなるのです」

 「アインは……」


 「サレナの為だけに剣を振るうは騎士の誓約によるものですか? 彼が戦うは貴女の為でしょうが、どうでしょう? 彼は誓約に縛られた上で戦っているのですか?」


 「……アインは、贄として捧げられる運命にあった私を、助けてくれました。私が助けを求め、手を伸ばしたから彼は手を握ってくれた。……彼は、最初から私の為に戦っていました。彼の、戦いは誓約による縛りなんかじゃありません」


 誓約を結ぶ前にアインはサレナの為に戦った。彼女が贄となる現実を受け入れられず、運命を踏み潰す為に剣を振るい、戦った。サレナが生き、こうして歩んでいられるのはアインのおかげであり、彼には返しきれない恩がある。


 だが、それとは別に、サレナはアインを初めて見た時より好いていたのだ。顔も見えない剣呑な雰囲気を纏う剣士に恋心を抱いていた。何故か、それは己でも理解できない不可思議な想いだったが、アインの姿を、声を聞くだけで、胸の内が締め付けられるような感覚に襲われていた。


 一目惚れとはまた違う感覚、彼の瞳をずっと前から知っているような、彼の手の感触を覚えているような、在り得ない感覚。彼と出会う為に産まれてきたような、奇妙な運命さえも感じてしまう。


 「愛とは、誰かを求める事でもあり、求められたりする事でもあると思います。恋とは、一方的で相互的なもの。恋愛と理解は互いに絡み合うもので、どちらも他者がいなければ成り立たぬもの。愛は、理解は、恋をして誰かを求めた者にのみ辿り着ける感情的思考であります。

 サレナさん、私は貴女の強さとは、その優しさと人魔問わず対話が可能ならば言葉を交わそうとする意思、未来と希望を得ようとするその人間性だと思います」


 ああ、と。イエレザがサレナの白銀の髪を撫で、微笑む。


 「そう、気付いていないだけ。サレナは貴女自身の強さに気付いていないだけ。私は貴女のように自分から一歩進む事が出来なかった者、けど貴女は他者を理解しようと試み、歩み出す為の手を引いてくれる強さを持つ者です。人として、生命としての強さを持っている」

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