イエレザの胸中には嫉妬、憤怒、憎悪の感情が暴風となって渦巻き、目の前の白銀の少女へ鮮烈な羨望の眼差しを向けざるを得なかった。
自分が手に入れたいと願い、興味を向けた存在を持つサレナを憎みながらも殺せない。殺せないから影を駆使して取り込むしか
イエレザには同族殺しの制約は意味を成さない。殺す事無く自身の影へ取り込み、己の糧とするイエレザの影は、他者を生きたまま喰らい影の世界の集合意識の一部とする世界の制約から一歩外れた
その
この力が何であるか知りたいと願い、他者を取り込み知識と経験を影の世界で共有する事によって世界の在り方を知り、この世界が如何に歪で道化の地獄であったかを知ったイエレザは狂ったように笑う。
世界の姿を知りながらも力の本質を得たいが為に他者を取り込み続けた彼女の世界は肥大し、拡大し、一つの世界を形成するまでに至った。
欲しいから手に入れ、手に入れる度にイエレザの力は真から外れ、失われ続ける。真から外れた力は迷いを生み、迷いは彼女を無限円環の地獄へ誘い苦しみを与える。
一歩、濁流となって押し寄せる影を踏み抜け、意味が無いと分かっていながらも杖を振るう。術を構築しながらイエレザへ歩み寄るサレナは、己が抱く違和感の正体を知るために進む。何故世界による制約が在る筈なのに、彼女への殺意を抱かないのか、何故彼女は簡単に己を殺す事が出来るのに、殺さないのか。その理由が知りたいのだ。
分からないから知りたい。理解したいから相手を求める。欲求の理由は違えど、二人は何処か似ていた。似ているからこそ相手の言葉や行動がハッキリと見え、聞こえる。
だから、手を、影を、伸ばす。
「―――しを」
イエレザまであと数歩と歩みを進めたサレナが片手を振り上げ。「話を―――聞きなさい!!」
彼女の頬を力の限り叩いたのだった。
「一方的にものを言わないで下さい!! あなたは私と話をしたいのですか!? それとも攻撃したいのですか!? 少しは話を聞く風を装って下さい!!」
熱い頬に手を添え、涙を湛える眼を擦る。イエレザに向かう矛と魔法は全て影が受け止め、防いできた。だが、サレナの手だけは防げない。光のベールを纏う手が、影を貫き彼女の頬を直接張ったのだ。
産まれて初めて感じた人の手による痛みに涙を浮かべ、アインの剣で斬られた痛みとは違う感覚に困惑する。頬が熱を帯び、涙が流れ出すと鼻の奥がツンとした僅かな痛みを訴え、唇が震えた。
「あなたは何をしたいのですか!? 何を思っているのですか!? 申し遅れましたが私の名はサレナと申します!! 初めましてイエレザさん!!」
金色の瞳に燃えるは輝く意思。その心が求めるは相手への理解。イエレザの頬を叩き、痛む手を押さえたサレナは、目一杯の声を張り上げ名乗りをあげる。
この少女は何を言っているのだろう? 何故この少女からは殺意の一片も感じないのだろう? 頭の中を埋め尽くす疑問に対して、イエレザが答えられる言葉は無い。
サレナから発せられる感情の発露は慈愛と優しさと怒り。それ以外の憎悪や殺意といった感情は一切感じられず、目の前の少女は本気で己と話がしたいだけだと理解する。
「あ、貴女、私の頬を叩きましたね?」
「そうです叩きましたとも! 先ずはあなたの矛を収めて下さい、話はそれからです」
「……貴女は人類なのに、魔族との戦いの中で殺意を抱かないのですか?」
「話をするだけなのに、何故殺意を抱かなければならないのでしょう? 私はあなたを理解したい、何を考え、何を思っているのか知りたいのです。それだけの為に、殺意と矛は必要でしょうか?」
奇妙な事だと、二人の少女は思う。
種族が違う存在は、制約がある中では互いが互いの何方かを殺すまで戦いが終わらない筈なのに、二人の間に流れる空気は既に穏やかな空気に変わりつつある。
頬を叩かれたイエレザは影を操る事は無く、頬を叩いたサレナは魔力の構築を放棄し、オムニスを下げる。制約の枷など無かったように見つめあった二人の少女は、暫し口を噤む。
「……」
「……」
イエレザが指を鳴らすと影が椅子を形成し、サレナに座るように促す。魔族が人類を殺す以外に力を使う事等ありえないのだが、サレナは影の椅子に腰を下ろし、手を膝の上に開いて置いた。
「……貴女、結構無用心ですのね」
「用心はしています。けど、イエレザさんは私を殺す意思など無いのでしょう?」
「ええそうです。けど、何時何処で心変りするか分かりませんのよ?」
「その時はその時でどうするか考えます。今は対話をするべきでしょう、こうして腰を落ち着かせる事が出来たのですから」
「……分からないものですね」
「私だって分かりません」
分からないから知りたい、理解したいから言葉を交わす。その行為に魔族も人類も関係無い。この場には二人の少女しか居ないのだから。今だけは、種族や制約を取り払って言葉を交わすべきだろう。
「……まぁいいでしょう、先ず単刀直入に伺います。貴女は」
「貴女ではありません、サレナです」
「貴女は」
「サレナ」
「……中々面倒な女ですね」
「イエレザさん、何故私があなたに名を申したかお分かりですか?」
「ただの身勝手な押し付けでしょう? 名など個体を識別する為の文字と発音でしかありません。私の名も、影の中で己を認識する為の個体識別タグでしかありませんもの」
「……イエレザさん、私が何故あなたを名で呼び、私の名を呼ぶよう求めているかその話をしましょう」
「どうぞ」
「名とは生命が己を認識する為の言葉であり、他者に理解して貰う為の第一歩でしょう。名を知らねば他者は有象無象の一人であり、相手も同様です。
理解したいからを、理解を得られたいから人は名を伝えるのです。私はイエレザさんを知りたい、理解したい。だからあなたも私の名を呼んでください。お願いします」
人類の一個体であるのに、上級魔族に対して臆する事無く言葉を発した少女へ、イエレザは口角に微笑を湛え、興味を抱く。
この少女は己が取り込んだ人類と何処かが違う。違うからこそ、己の持つ秘儀の形をした
この影の世界に存在する無数の意識でも埋められなかった渇望を満たしていればくれるのかもしれない。
だから、手に入れたいと求めてしまう。欲しいと思ってしまう。己を満たし、欠けた
イエレザの瞳に映るサレナは、この瞬間より人類の一個体から一人の生命として認識される。サレナという名を持つ人として、イエレザの黒曜石を思わせる瞳に映るのだ。
「……面白い方ですのね、サレナさんは。数々の無礼をお詫びする上で、お願いがあるのですが宜しくでしょうか?」
「何でしょう?」
「サレナ、と呼び捨てにしても宜しくて? それと、私の事もさん付けでは無く、呼び捨てで呼んで下さいな」
イエレザは、