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黒と白 ④

 戦場とは何か。それは人それぞれが持つ戦いの場であると同時に、多岐に渡る戦の形である。戦士であるのならば戦場とは剣を振るう場であり、敵は剣を振るう別種族の戦士。政務を担う者ならば戦場は机上の報告書と膨大な情報、敵は経済と世論。商売をする者ならば敵は同じ商人であり、戦場は市場であろう。


 故に、戦場とは姿形を自在に変える無形の生物であり、生命にとって避けられない事柄と捉えるべきだろう。


 サレナは戦場に居た。戦場は銀春亭食堂、敵は客と己自身。忙しなく駆け回る飯女の間を通り抜け、注文を取り、注文された料理を伝票に素早く書き込み厨房に届ける。会計が済んでいない客が居たら素早くカウンターの魔導精算機を起動させ、金銭処理を終わらせる。時にはサレナの容姿を誉め、軟派するような客も居るがサレナ自身そんな輩に構っている暇と余裕は無い為に無難な態度でいなすが、それでも食い下がって来る客はクオンが相手をして済ませる。


 客として訪れた際には感じなかった多忙さに目を回し、それでも動き続ける身体に自分自身も感心する。人間、意外とやれば出来るのかもしれない、出来なかったらそれは己の能力不足であり、努力が足りなかった為と省みる。サレナはミスをして先輩の飯女に怒鳴られた際も、次は上手くやる意思を持って動き続けていた。


 「四番テーブル、鶏肉のローストとコーンスープ入りました!! いらっしゃいませ!! 三番テーブルにご案内します!!」


 厨房へ伝票を渡し、新たな客が訪れたら疲労の色を見せないように笑顔で接客する。尻や太腿に触れようとする気配を感じたら、すかさず手に持った盆で防御し素行の悪い客としてクオンへ報告する。短時間で驚異的な成長を見せるサレナに、他の飯女は目を見張り、口元に笑みを浮かべずにはいられない。


 「いらっしゃ―――」


 「サレナ、帰った。お前その服」


 黒甲冑に身を包み、馴染み深い黒い剣を背負った剣士、アインは笑顔のまま固まったサレナの頭を撫でる。


 「似合っているぞ、ああ、仕事用の服なのは分かっている。それに、髪も纏めているのだな、その姿も新鮮で美しいと思う。仕事中すまなかったな」


 サレナの横を通り抜け、クオンと話をしたアインは彼女と交代するように壁に背を預け、腕を組む。

 「サレナちゃん、ちょっと、サレナちゃん?」


 石のように固まったサレナに苦笑いを浮かべたクオンは、彼女を引き摺るようにしてバックヤードに引っ込む。昼休憩の時間だと伝えようとしたのに、当の本人がこの状態では休憩の意味が無い。だが、午後の為に少しでも体力を回復させなければ仕事終わりまで持たないだろう。


 「サレナちゃん、ほら、少しでも食べな? 固まってでも食べるんだよ?」


 「……はい」


 やっとのことで言葉を発する余裕が出来たサレナは、顔を赤くしたまま賄い飯を食べる。クオンもまた同じものを食べ、コロコロと表情を変える少女へ笑みを向ける。


 「結構早めに帰ってきたね、彼。いやあ、本当にサレナちゃんだけには優しいよ」


 「……そういうワケでは無いのですが、いえ、アインは少し他人との関わり方が分からないだけで、本当は優しいんですよ?」


 「君が言うならそうかもね、けど、アインみたいな人は結構この仕事が向いているかもよ?」


 「この仕事?」


 ほら、見てみなよ。と、慌ただしい店内で微動だにせず腕を組むアインを指差したクオンは、暫く様子を見ているようサレナに言う。


 剣呑とした空気を纏う黒甲冑の剣士は、店という戦場で周囲の様子を窺い、素行の悪い客を無言の圧力で的確に制圧する兵器のように見えた。


 喚く客が居るならば真紅の瞳で見下ろし黙らせ、喧嘩を始めようとする者が居たら間に剣を挟んで威嚇し、金を払わずに逃げようとする客が居たならば、その行動を予見していたかのようにその者の襟首を掴み小声で脅す。


 最小限の行動だけを取り、無法を犯す者だけを制圧するアインの姿は最短で真っ直ぐな合理性の塊だろう。


 行動を起こさない間は目の前の存在に興味を示す素振りを一切見せず、問題が起こる直前に行動する様は機械のように正確な観察眼が成せる業であり、相手相手に的確な行動を示す仕事振りは一切の迷いが無い仕事人そのものである。


 「普通初めてする仕事ってのは緊張したり迷ったりするものなんだけど、アインは自分に与えられた仕事のを理解して、その行動だけに注力しているね。

 まぁ、客商売なら愛想笑いや話の一つでも客としなきゃいけないんだけど、彼の場合は用心棒の仕事だからあれでいい。馬鹿みたいに真面目で面白味の欠片も無いけど、店の者からしたらかなり安心できるよ、ああいう人は」


 テキパキと無駄のない動きで働くアインを見つめ、賄い飯を食べ進めるサレナは彼は根っからの戦士なのだろうと考える。


 戦闘においても仕事においても、アインはその場が己の立つ戦場と認識したならば、即座に戦闘態勢を取る。戦士としての信条である常在戦場を己に課し、即断即決の心で戦いに臨む。その心構えは戦士として肉体に刻まれた一種の記憶であり、脳が戦い以外の全てを忘れても刻まれた記憶は失われない。


 故に、彼は全てを失って尚立ち続ける戦士であり、振るわれ続けた剣であるのだ。一つの生命として生きる為、サレナと共に生きる為、アインという人の皮を被り懸命に人として生きようとする不器用で無器用な男。それがアインという男なのだろうと、サレナは思う。


 人は他人に足りないを求め、自分の足りないを求める生物だ。それは人類も魔族も変わらない、否、決して変えてはならない生命が求める本能であり、理性でもある。それを、人は絆と呼び、愛とも呼ぶ。


 感情という目には見えない手指を手繰り、情感を足として他人へ歩み寄る。人は生涯赤子であるのだ。赤子のように他者を求め、愛を求め、絆を育もうと懸命に這う。


 世界という揺り篭の中で、誰かと出会う為に産まれ、誰かと共に死ぬために生きる。それが、人という生命が発する輝きであり、美しさであるのだろう。


 サレナはアインを見つめ、想いを抱く。


 もし彼が失われた記憶を取り戻し、欠けた人間性を得る事が出来たらどれだけ良いだろうと。


 もし彼が剣と戦い以外の世界を知り、血肉に濡れる必要が無い世界が訪れたらどれだけ良いだろうと。


 もし彼が己と共に在り続け、互いに支え合い、生きていけたらどれだけ良いだろうと。


 「クオンさん、彼は、アインはやっぱり戦士なんです」


 「え?」


 「戦士だから戦場に立ち続けていられます。己は剣であり、騎士であると認識しているから戦いにおいて無類の強さを発揮することが出来ます。彼は根っからの戦士なのです。けど、私は彼にアインとして、戦士ではなく本当のとして生きて貰いたい。人として、一つの生命として歩んで欲しい。……どうしたら、私は彼を人に出来るのでしょうか」


 「……サレナちゃん」


 「はい?」


 サレナの頭を軽く小突き、驚いたように目を見開いた少女の目を見つめるクオンは、溜息を吐きながら呆れたように口を開く。


 「君は一人の人間の全てを救えるつもりかい? 勘違いも程々にしておきなよ」


 「……」


 「アインは君しか信じていないし、信頼していない。君が彼を一端の人間にしようとするのは自分勝手な我が儘で、今の彼を否定しているようなものだよ」


 「……それは」


 「彼を、アインを本当に救いたいなら、そうだね……愛してあげる事だ。愛して、理解して、真に彼に寄り添う必要がある。それが出来るのは多分ね、この世界でサレナちゃんだけだと思うよ、私は」


 真に愛する。それは曖昧とした漠然なる言葉。


 だが、絶え間ない激情を滾らせるアインを愛する事が出来るのはサレナだけだとクオンは言う。何故サレナだけがアインを愛する事が出来るのか、それは少女自身にも分からない事であり、何故己がこうもアインに惹かれるのか分からない。


 何故、彼を此処まで愛しているのか、何故彼が己を此処まで信じているのか、少女の小さな胸はその問いに答える事は出来なかった。

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