柔らかい日差しの中で目が覚める。
木目の天井をボゥっと見つめ、自分が横になっていた気が付いた。ティオは大きな欠伸をするとぼんやりとした意識のまま、首を横に向けると其処には静かな寝息を立てて眠るサレナが居た。
「……僕は」
「起きたか」
低い声が聞こえ、その方向を見るとアインが腕を組んだ状態で椅子に座っていた。
「起きたなら一度家に帰れ、貴様には家族が居るのだろう? その後で店に帰って来ても構わんとハルが言っていた」
「……」
「どうした?」
「……サレナさんが、僕を癒してくれたのですか?」
「ああ」
「すみません、一度、家に帰ってからお礼に伺います。サレナさんにもそう伝えておいて下さい」
「勝手にしろ」
起き上がりアインとサレナへ頭を下げて駆けて行ったティオを一瞥し、サレナの身体を揺すった剣士は中々起きない少女の頭を撫でる。
「起きろサレナ、今日から仕事の筈だぞ?」
「うぅん……」
「そろそろ起きた方がいい、顔を洗って服を着替えねばならんだろう?」
座ったまま眠っているというのに、妙に眠りが深いサレナの身体を揺すり続けていたアインは、どうにもならない云った様子で溜息を吐く。
確かによく眠り、よく食べる少女だが今は旅の最中では無い為、自身が背負って彼女の代わりに歩く事は出来ない。ならば、サレナの代わりに己が働くべきだろうと思い直した瞬間、サレナが飛び跳ねるように目を覚ました。
「ティオさんは?」
「ああ、ついさっき目を覚まして一度家に帰った。後で礼を言いに来るそうだ」
「そうですか……目を覚ましたなら良かったです」
「そうか、俺は剣を受け取りに行ってくる。なるべく早く戻ってくるようにするが、お前の方からは何かあるか?」
「えっと、大丈夫です。気を付けて、アイン」
「ああ」
最後に一度だけ頭を撫でたアインは部屋から立ち去り、サレナは銀春亭の仕事に従事するための身支度を整える。顔を洗い、着ていた服を脱ぎ仕事用の給仕服を着たサレナは、姿見で自身の身なりを確認すると、長い白銀の髪を一つに纏め食堂へ向かった。
「おはようございます! 今日からお世話になるサレナと申します! 宜しくお願いします!」
テーブルを拭いていた飯女が一斉にサレナへ視線を向け、一気に彼女の下に押し寄せる。恰幅の良い女性から、細身の女性、少し化粧が濃いの女性等々と実に十人の女がサレナに群がり、自身の仕事を放って口々に質問を繰り出すのだ。
「アンタがティオを癒した術師さんだね!? いやぁ若いのに大した腕だよ!」
「ちょっとお客様の前に出るのに化粧もしないの!? 来なさいやってあげるから!」
「お待ちよ、この、えっと、サレナだったかい? 困ってるじゃないか!! あんた達少しは遠慮っちゅうものを知らないのかい!?」
ぎゅうぎゅうと、押し潰されそうになりながら何とか手を伸ばしたサレナの手を、赤髪の女が握り、女の波の中から彼女を助け出す。
「大丈夫かいサレナちゃん。ちょっと皆聞きたいことは沢山あるだろうけどさ、少しは加減してやりなよ。この子は今日が初めてなんだから怖がっちゃうよ?」
「く、クオンさん、助かりました……ありがとうございます」
「皆君がティオを癒した事と、一晩看ていたのを知ってるから興味を持っちゃたんだよ。ごめんね? 悪気は無いんだ」
ケラケラと笑ったクオンの姿は軽鎧と四肢を守る為の部位装甲を付けたものであり、拳と足を覆う装甲は魔力を通す事で刃が展開される特殊機構が備わった特別製の装備であった。とてもじゃないが、今の彼女の姿はホールで料理の注文を取り、運ぶ飯女の姿には見えなかった。
「クオンさんは、その姿で何を?」
「ん? ああ、本当はアインに頼もうと思ってた仕事なんだけどさ、彼ってば私の顔を見るや否やサレナを頼んだって言って職人通りの方に向かってね。
で、彼の代わりに私が今日はこの店の警備に当たってるんだ。まぁ急いでるようだったし、直ぐに帰って来るんじゃないかな? あ、それとティオが帰ってくるまで私が仕事を教えるから安心してね」
飯女を散らし、各々の仕事に戻らせたクオンはサレナの手を引き仕事内容と注文の取り方を教え始めたのだった。
…………
……………
………………
………………
……………
…………
職人通りに足を運ばせ、ゼンの鍛冶屋に辿り着いたアインが見たものは、精根尽き果て鍛冶場で
「ゼン、剣を貰っていくぞ」
鼾をピタリと止め、目を覚ましたゼンは黒の剣を握るアインへ視線を向けると深い溜息を吐き、両の手を握っては開き、開いては握る動作を繰り返す。その様はまるで自分が居る世界が本物であると認識する為の動きのようで、夢から覚めた者が己の状態を確認する姿に等しい。
「おい、兄ちゃん。俺ぁ長年鍛冶の仕事をしているがな、此処まで満足のいく仕事が出来たのは初めてだ。その剣は俺が鍛えた剣じゃあねえが、俺が持つ最高の技術を駆使したつもりだ。どうだ、剣を持ってみた感想は」
「……切り離していた四肢の何れかが戻って来たような感覚だ、それによく手に馴染む」
「そいつぁ良かった。剣に刻まれた血肉や傷が常人の比じゃ無かったのは驚いたが、久しぶりに最高の仕事をした。コイツにも良い経験をさせてやれたし、アンタにはある意味感謝している。ありがとよ、兄ちゃん」
剣を軽く振り、陽光に煌めく刃を見据える。黒の剣の刀身は相変わらず漆黒に染まっていたが、何故か刃の奥には微かな意思が垣間見えたような気がした。細く、微かな火筋のような光はアインの視線に応えるように、その光もアインを見つめていた。
「兄ちゃん、剣はどうした?」
「鉄塊なら戦闘で折れた。何度も何度も敵を斬り、叩き潰した結果耐え切れずに折れた。すまない」
「……兄ちゃんが戦った相手については何も聞かねえがよ、やっぱりアンタの手に収まるべき剣は、その黒い剣だけなんだろうな。よし、新しい目標が出来た!! おい起きろ小僧!! 新しい剣を、最高の剣を鍛えるぞ!!」
青年を蹴り起こし、再び槌を握ったゼンは鼻息を荒くして作業に向かう。蹴られた青年も老人の怒号で飛び起き、鉢巻を締め直すと手拭いを首に巻く。
「お、親方ぁ、眠いっす」
「馬鹿野郎!! テメエはあの黒い剣みたいな得物を鍛えたくねえのか!?」
「鍛えたいっす!!」
「なら火ィ付けて槌を握れ!! 一気に仕事片付けて剣を打つぞ!!」
「へい!!」
職人という生き物は自分が持ち得る技術を伸ばし続ける事に生を見るのだろうか。己の意思を槌に乗せ、誓いを火に焚べ鋼を打つ。作業場は云わば彼らの戦場であり、鍛鉄は戦闘である。
剣を振るい、敵を斬るアインと戦場は違えど彼等もまた戦い続ける日々を送っているのだ。だから、アインの目にはゼンと青年が最初から一つの生命に見えていた。有象無象の肉塊の一つではなく、己と違う戦場で槌という剣を振るう戦士に見えていたのだ。
「兄ちゃん!!」
「何だ」
「もし剣の手入れが必要になったらまた俺の店に来い!! 他の仕事があっても兄ちゃんの剣を一番に鍛えてやる!! だから死ぬなよ、生きてまた来い!!」
「ああ、頼んだ。それとゼンよ」
「何だ!?」
「貴様は、本当に腕の良い鍛冶師なのだろうな。だから、俺が再び訪れるまで死ぬなよ。俺は貴様以外に剣を触られたくも無いし、見せたくもない。貴様は最高の鍛冶師であり、貴様の教え子も面白い。また剣の手入れが必要になったら訪れる。ありがとう、ゼン」
「……兄ちゃんみたいな剣士にそう言われるのは悪い気はしねえな。あぁまた来い、それまでに小僧、セルアを俺の後継として育てておくからよ」
「お、親方、俺の名前を初めて」
「うるせえ!! 感動してねえで槌を振るえ馬鹿野郎!!」
「へい!! ゼン親方!!」
槌が鋼を打ち、炎が燃える。煤と汗で塗れた二人の職人を一瞥したアインは僅かに、極僅かにバイザーの下で笑みを作ると銀春亭への道を歩いて行った。