剣の柄を握り、砕けた剣を構える。
ジッと青年を見つめ、攻撃を加える隙を見計らうが一歩も足を踏み出す事が出来ない。脳内でありとあらゆる殺し方を鮮明にイメージするが、その攻撃は全て弾かれるか躱される未来しか見えなかった。
「その殺意を抑えろとは言わない。私達は似た者同士な故、貴男の殺意を抑える方法がこの場に存在しない事は承知している。だから、此処は一度剣を置き、話し合おう。貴男が剣を置くならば、後ろの少女を殺さないと約束しよう」
青年の言葉に嘘は無い。彼が嘘を吐き、アインを騙そうとしているのならば青年が話している途中で剣を突き出し斬り掛かっていたのだから。
「……」
砕けた剣を放り投げ、少女、ティオを指先でこっちに来るように指示する。少女は恐怖と焦り、怯え、戸惑いが混じった表情でアインの横に駆け寄ると甲冑の装甲に抱き着いた。
「これで対等のテーブルに着く事が出来た、では話を始めよう。先ず、貴男に攻撃を仕掛けたイエレザの無礼に謝罪する、申し訳ない」
「何故攻撃を仕掛けた」
「あの娘は堪え性の無い性格でね、自分の思うままに行動しているだけに過ぎない。我が妹は秘儀をその身に宿す者、些か短絡的な性格なのだよ。だが、実に運が良かったとも言える」
「何故だ」
「貴男が自分の武器を持っていなかったからだ、もし黒の剣による斬撃であったならばイエレザも本気を出し、この都市は一夜にして戦場となっていた」
深々と頭を下げた青年は「あれは一人の軍隊なのだ」と話し、優しく笑ったが、その笑みの向こう側には計り知れない愛情と愛憎が溶鉱炉に溶ける鉄鋼の如く煮え滾っていた。
「申し遅れた、私の名はゼファー。イエレザに仕える従者であり、彼女の兄。上級魔族にして、魔将ラ・リゥの支配領域に生きる者。どうぞお見知りおきを」
優雅に礼をした青年、ゼファーはイエレザと同じ黒曜石を思わせる黒い瞳でアインとティオへ視線を這わせ、真っ白い新雪のような髪を掻き上げる。
「次に、貴男の事は魔将殿より聞いている。戦闘甲冑ノスラトゥ最後の二機の内一機を所有している事、魔王城に突き刺さっていた黒の剣を強奪した事も知らされている。貴男はその事を覚えているのか?」
「……」
「沈黙は肯定か否定か。貴男の真意は知れず、言葉は最小限でしか話さない。だが、貴男は魔王城を警備する同胞を殺戮し、牙を剥く存在を全て殺した。
魔将殿は黒の剣を奪還するために多数の兵を派遣したが、その者等は全員死体となって発見された。荒れ狂う猛獣が生物を食い散らかしたような惨状だった。お忘れか? ノスラトゥの主よ」
自分自身の意識を取り戻した時を思い出す。戦いが常であり、三日三晩寝ずに剣を振るっていた記憶を掘り返す。アインが黒甲冑を外せずに、寝食を忘れて戦い続けていた時を思い出す。
記憶に残っていた最古の映像は多種多様な魔法を撃ち込まれ、甲冑の性能を用いて剣を振るい続けていた記憶。走り続け、殺し続け、戦い続けた先にあったものは人間との戦い。敵の武器を砕き、生命を刻み続けた記憶は、全て血と肉で埋まっていた。
「知らんな、俺は俺の意識を取り戻した瞬間に戦い続けていた。貴様等魔族の事情など知らん」
「……そうか、ならば警告しておこう。四魔将全員が貴男に興味を抱いている。もし貴男が魔族領に足を踏み入れるなら、その領域に生きる魔族全てが敵になると思っていた方がいい。特に、静謐の魔将には気を付けろ」
「……貴様、一体何を考えている」
「私は己の意思と誓約に従っているだけに過ぎん。貴男に言を伝え、我が利の為に甘言を吐いているだけだ。それに、貴男が死ねばイエレザが見つけた道への
背筋を伸ばし、真っ直ぐにアインを見つめたゼファーは懐から懐中時計を取り出し、指で蓋を弾くと現在の時刻を確認する。
「私の第一誓約は嘘を吐かず、真実を述べ主を導く事。第二誓約はイエレザを抑え、道を見つける事。第三誓約はイエレザを愛し、憎み続ける事。
この三つの誓約を守り続ける限り私は私で存在し、塗り潰される事は無い。
パチリ、と懐中時計の蓋が閉じる。その音を合図に彼は影の中へ溶けるようにして姿を消すと、路地には気味が悪い程の静寂が訪れた。
「……ティオ、先ずは銀春亭に戻るぞ」
「―――」
「気をしっかり持て、相手が上級魔族だろうが命ある生物だ、殺せないわけではない」
顔を蝋のように真っ白に染めた少年、否、少女は歯をカチカチと嚙み合わせその場にへたり込む。極度の緊張と恐怖から解放された肉体は情けない程に震え、ゼファーが放った濃厚な魔力に精神が侵される。
上級魔族と対峙し、生きている事が奇跡に近かった。対抗する術を持たず、次の瞬間身体を八つ裂きにされる鮮明な死のイメージを脳が想像し、少女の意思は一瞬にして挫けてしまっていた。魔族の英雄に位置する上級魔族とは、ただ其処に存在するだけで脅威と成り得るのだ。
「貴男は、怖くないんですか? あの、魔族に、恐怖を感じなかったのですか?」
「恐怖を抱かない人間は狂人だ。だが、生きる為に戦う必要があるのならば恐怖を己が力に変換し、戦わねばならないだろう。ティオ、戦いとは生きる事だ。恐怖を感じるなとは言わん、圧倒的な存在に屈服するなとも言わん。だが、生きたければ、誰かの為に強くなりたいと願うならば、最後には戦うしかあるまい」
立ち上がれそうにない少女を肩に担いだアインは、路地から通りへ抜ける。道を往く人々はティオを担ぐアインへ奇異な視線を向けたが、彼の甲冑が血肉で染まっている姿を見るや直ぐに視線を外す。
「俺は戦うしか能が無い阿呆だ。阿呆故にサレナを守る方法を剣を振るう事にしか見いだせない屑だ。貴様が力を求める理由は母を守る為、そして己の復讐の為だったか? 止めておけ、戦いの先には戦いしかない。
誰かを守るために剣を振るう者は、何時しか剣を振るう以外に何も出来なくなる。人への接し方を喪失し、優しさを忘却し、温もりを焦土に化す。
俺の言っている事が分かるか? 貴様の歩もうとしている道は外道への道だ。真に強い者は、それ以外の方法を模索するのだ」
剣を振るう理由を得たからと、守りたい者がいるからと、半端な強者が歩んできた道は血と死体で舗装された犠牲の道だ。誰かを守る為に振るわれた剣は他者の命を犠牲にし、誰かの為に捧げられた誓約は戦いを強いる。
幾ら高尚で高潔な者、サレナと共に在るからと云っても結局は自分自身の都合と解釈で剣を振るっているだけに過ぎず、奪って、殺して、己の我が儘を通しているだけに過ぎない。
「ティオ、貴様が求める強さとはどのような強さだ? 俺のように剣を振るう事しか出来なくなる強さか? 俺のような者に成りたいならこれからも剣の稽古をつけてやる。
だが、本当の強さを得たいのなら、自分自身で考えるしか方法は無いだろう。己は何がしたいか、何を求めているのか、それを考えろ。
俺は強いだけの半端者だ、剣を教える事は出来るが、真の強さだけは教える事は出来ない」
嗚咽を漏らし、涙を流すティオを担いだアインは、血塗れのまま通りの闇に紛れ、消える。ただ、静かに、銀春亭への道を歩くのだった。