ティオは木剣を鉄塊へ打ち据える。
右と左と、真正面と。木が鋼を叩く音が広場に木霊し、汗を滝のように流した少年は息も絶え絶えに膝を着く。
「貴様、誰が休めと言った。立て」
「ハッ、ハァ―!」
「早く立て、立たなければ鉄塊が貴様の頭を砕くぞ?」
剣を立てていたアインが鉄塊を振り上げ、息を切らすティオへ振り下ろす。本気の殺意、一切の迷いが無い憤怒の一撃、背筋に電撃が奔ったような瞬間、ティオは無理矢理身体を横に転がさせ、石畳を砕く寸前で止められた鉄塊を回避する。
「い、ま、本気で」
「当然だ、貴様は俺に教えを乞いたのだから、俺のやり方に従ってもらう。本気で動かねば貴様、死ぬぞ」
戦闘において、敵は己の状態などお構い無しに力を振るう。立ち止まっても、傷を負っていても、常に敵は己の命を奪おうとするのだ。故に、アインはティオへ示す。動け、死ぬまで動け、剣を振れと。
「貴様、敵が待ってくれると思っているのか? 貴様の息が整うまで剣を振るわないと思っているのか? 甘えるな、舐めるな、生き続ける限り思考しろ、敵を見ろ」
再び鉄塊を地面に突き立てたアインは真紅の瞳を少年へ向ける。彼の瞳は剣を振れと語り、動けと指示する。
自分に体力が無いことは知っている。幾ら銀春亭のホールを駆け回り、ハルの手伝いをしようとも体力が続かない時がある事をティオ自身が認めている。アインのような無限の体力を持たない己が、どう動けば勝負になるのかを思考しなければならないのだ。
鉄塊を見つめ、足を運ばせる。
鉄塊を一人の敵と認識し、己の背丈よりも大きな鋼の隙を探す。どうすれば、どう動けば敵に有効な一打を与えられるか、思考する。
小柄な身体を利用し、敵の視界の外に身を置きながら斬り込むべきか? それでは一撃で敵を倒せない。いや、そもそも一撃で敵を倒す必要性、可能性はあり得るのか? 己の非力な腕で肉と骨を断てるのか? 不可能だ。不可能ならば、どう動く。
「思考の時間は無限ではない。その場その場で合理的かつ有効な手を考えろ」
合理的かつ有効な手……ならば、己の身体的特徴と機能を有効的に活用するべきだ。
ティオは身を低くして木剣を鉄塊の下部に一撃叩き込むと、背部へ移動し少年のイメージ中の敵後頭部へ素早く木剣を叩き入れ、次の行動に移る。
「そうだ、貴様は力が無い。故に、その身の軽さと小ささを利用して戦え。では、次の段階に移る」
木剣を構えろ。アインはそう低い声を発すると自身も鉄塊を構え、振り上げる。
「どれだけ鋭利な刃であろうとも、戦闘を重ねるうちに刀身は血肉に塗れ、刃は欠け、劣化する。たが、全身の筋力を使い、剣の重さを利用する事が可能ならば、どれだけ劣化した剣でも最悪鈍器には成り得る。貴様は今日より全身全霊で剣を振り、全身の筋肉の扱い方を覚えろ。こうしてな」
振り上げられた鉄塊が、アインの背面より振り下ろされると周りの空気が震え、素振りに混じった激情が不可視の斬撃となって少年の頬を薄く斬り裂く。
「剣と己に感情を乗せ、力と成す。内に抱いた感情は戦闘時においての燃料と思え、心が生き続ける限り戦える。生きている限り死んでいない。生き続ける限り思考し、剣を振り、動け。いいな?」
「は、はい!」
「では剣を振れ、全力でだ」
少年は剣を振るう。思考の中で新たな動きを編み出し、鉄塊へ全力の一撃を叩き込む。
木と鋼がぶつかり合う音が広場に木霊する。アインとティオの稽古は夕日が沈む一歩手前まで続いたのだった。
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湯面から立ち上る湯気が魔導ランプの淡い光に照らされ、少女の白い足先が恐る恐る湯に触れる。ゆっくりと、熱を確かめるように湯に浸かったサレナは、大きく手足を伸ばすと熱っぽい息を吐く。
「いやー、やっぱり都市に着いたら大衆浴場は外せないね。幾ら飲んでいても湯に浸かれば酒気なんて綺麗サッパリ吹っ飛ぶよ」
燃えるような赤髪を団子状にして一つにして纏めたクオンは、放心状態のサレナを抱き寄せ周囲に視線を向けながら陽気な風を装う。
アインからサレナの事を頼まれた矢先、多種多様な人種の女性が入り乱れる大衆浴場で少女を一人にする事は好ましくない。クオンは自分の手が届く範囲にサレナを置くと、常に警戒した様子で周囲の人々の行動を伺っていた。
「にして、サレナちゃんって肌と髪が綺麗だねえ。ほんっと穢れ一つない乙女って感じ」
「いえ、クオンさんも凄く綺麗ですよ? 筋肉が付いてても細く見えますし、その、私みたいに……小さくないですし」
「ん? あぁ、サレナちゃんは成長期だし、まだまだ大きくなるチャンスはあるでしょ。気にしない気にしない!」
「……本当ですか?」
自身の控え目な胸を撫で、不安気な瞳を向けたサレナは視線をクオンの胸元に下げ、溜息を吐く。
「なーに? もしかして、アインが君の見てくれだけで惚れたと思ってるの?」
「か、彼はそんな人じゃありません!!」
「だよねー、彼ってばホント君しか目に無い感じだし、君に惹かれた所は多分ね、中身だよ」
「な、中身?」
「そ、アインは君の心に惹かれたんじゃないかな? サレナちゃんの優しさと誠実さに惚れ込んでるんだよ。君の頭を撫でて、髪を弄ってる時の彼の瞳をちゃんと見た事ある? 私や他の人の事は心底どうでもいいような目をしてるのに、サレナちゃんを見る時だけは優しい目をしてるんだよ」
「……アインは、何処か私を子供扱いしている時があります。確かに私はまだ子供です、けど、何時かは大きくなって彼の、アインを心の底から癒せる人に成りたいんです。私も、彼の為に戦いたい。アインの重荷を」
「サレナちゃんは、戦わなくてもいいんじゃないかな」
「―――え?」
「もしもの話だよ? 君が戦って、死んでしまったとしよう。その後、アインはどうなると思う? 彼は君を世界と例えた、世界が死んでしまったらその世界に住む住人はどうなると思う? 死んでしまうよ、簡単な話さ」
世界が死ねば生命は死ぬ。生きる事が出来なくなる。だから、生命は世界を守るために戦い、傷つき、立ち続ける。明日を生きる為に、世界の未来を望む。サレナがアインにとっての世界であるのなら、アインはサレナの為に生きる生命だ。たった一つの生きる世界の為に、生命は守るための戦いを続ける。
「君がアインの為に何かしたいと言うなら、彼に癒しと安らぎを与える人になればいい。戦いだけが人を守る術じゃない、誰かの為に生き抜く事も別の意味での戦いだよ。サレナちゃん、君は彼の為に戦うんじゃなくて、アインと自分の為の戦いを見つけなければならないね」
「私と、アインの為の戦い……」
「君等は結構良い相性だと思うよ、けど相性が良いだけじゃそれで終わりさ。君がアインを想うなら、君自身の役割を見つけ自分自身を変えなきゃ駄目だよ。頑張り給え、恋する乙女!」
スッとサレナを抱き寄せたクオンは朗らかな笑みを浮かべ、柄にも無い事を言ってしまったと照れを隠して天井を見上げる。
「あの、クオンさんて意外と」
「意外と?」
「意外とアインと同じような話し方をするんですね。いえ、話し方は違うんですけど、芯を得ているというか、相手をよく見ているというか。なんだか、安心します」
「……君は本当に可愛いなあ」
少女を抱き締めたクオンと、豊満な胸に顔を塞がれたサレナは姿形は違えど仲の良い姉妹のように思えた。