「僕は、母を守りたいから剣を振れるようになりたいんです。強くなって、どんな人からも母を守れるような強さが欲しいんです。だからお願いします、僕に剣を教えて下さい」
「貴様の母など知るかよ、貴様は銀春亭で働いているのだろう? 何故ハルに師事を乞わん」
「ボスには何度も教えを乞いました。けど、ボスは頑なに首を縦に振りません。だから」
「俺に教えを乞いたと? 貴様、人を馬鹿にしているのか? 一端に誰かを守りたいだの強くなりたいだの、子供の戯言と聞いていても何の説得力も無い我が儘のような言葉だ。軽いな、貴様の言葉も、意思も、全てが紙屑のように履いて捨てる程度のものだ。去れ、貴様は貴様の戦場に戻れ」
見えない言葉の刃でティオの意思と言葉を斬り捨てたアインは、少年に対し完全に興味を失う。
「強くなりたい? 貴様は最初から強さの意味を履き違えている。俺はただ強いだけで、俺より強い存在は世界に腐る程いるだろう。貴様は真の強者を蔑ろにし、ただの強さを求めているだけに過ぎん。下らん、不愉快だ、鬱陶しい、その嘘塗れの面を二度と俺に見せるな」
少年の前から立ち去ろうと足を進めようとしたアインの腕を、サレナが掴む。少女の瞳が咄嗟に目を逸らした剣士の瞳を見つめていた。
「……アイン」
「サレナ、下らん戯言に付き合う必要はない。薬を売って此処から去ろう」
「アイン」
「……サレナよ、俺は」
「アイン」
「……何だ」
「一方的に突き放す必要はありますか?」
「……時と場合によるだろうな」
「今がその時と場合ですか?」
「……サレナ、お前は少々人が良すぎるのではないか? 蔑ろにされたんだぞ? お前は怒る資格がある、この肉塊の為に時間を使う必要など無い筈だ。何故お前はそうも、優しいんだ」
ああ、この少女は何処までも優しい娘なのだ。自分が蔑ろにされても、軽く見られていたとしても、向こうが本当に力を貸して欲しい時はこうやって手を差し伸べようとする。足を止められ、振り切ろうと思えば簡単に振り切れる小さな手も、振り切れない。
暫し見つめ合った二人の内、アインの方が根負けしたように兜を掻き、溜息を吐く。根競べであれば敗北する方は必ずアインであり、静かに彼の瞳を見据えるサレナが勝利する。どうしてもこの少女の瞳には最後まで抗えない。
「……何故貴様はそう強さを求める。これが最後のチャンスだ、本当の事を言え」
「……僕の、母以外の家族を殺した人間を、殺す為です」
「それは本当か?」
「本当の事なんです、アイツは、あの人間は突然家にやって来て、僕の家族を、母以外の家族を皆殺しにした。だから、僕は、アイツを殺す為に、最後に残った家族を守る為に、復讐の為に強くなりたいんです」
復讐の為に剣を取る。最後に残った母だけは守り抜きたい。ティオが示したその意思は紛れもない本物の意思であり、拙くも幼い力への願望だった。
「……人間が人間を殺す、か。何故貴様は家族を殺した者が人間だと知っている」
「アイツは言っていました、
同族殺しの制約がある中で、人類が人類を直接殺す事など不可能だ。
しかし、ティオの話の中で出てくる人間は制約による縛りなんぞ無かった風で、異形の右腕を振り回し、少年の家族を惨殺した。人間が人間を殺す禁忌を犯す蛮行。クエースの町で行われていた間接的な殺害方法ではない殺し方を行う者に、アインは己と同じような存在ではないのかと、疑念を抱く。
もし、相手がアインと同じように制約をモノとも言わない存在であるならば、その者は強大な力を有するに違いない。剣を振るうにも躊躇が無く、人の命を奪う選択を迷い無く選ぶ者。サレナと共に歩まなかった己の幻影、一人の為に剣を捧げなかった狂人、屍を積み上げ血に染まる獣。同族嫌悪のような敵意が胸の内より溢れると同時に、何故ハルがティオに剣や戦い方を教えなかったのか理解する。
この少年に剣の振り方を、戦い方を教えてしまったら復讐の為に人生を捧げてしまうだろう。ハルは、一人の若者の未来を守り抜こうとしていたのだ。力を得るだけが強さではない事を、身を以て示そうとしていたのだ。
「……貴様の家族を皆殺しにした者は誰かに追われているのか?」
「分かりません」
「貴様は俺から剣を教わり、その先はどうするつもりだ」
「奴を殺す為に、旅立ちます」
「ならば剣は教えられん、子供の癇癪に付き合っている暇は無い」
「なら、僕はどうやって!!」
「ならば誓えティオ、十分に力を付け、真に強き者は何たるかを理解した時に旅に出ると誓え。それが出来るのなら、俺は貴様に
剣は教えるが復讐者の為の剣は教えない。アインが語る自己流の基本とは、彼が駆使する剣術の基本的な思考と動きであり、剣術と呼べる代物とは程遠い我流の剣である。その滅茶苦茶な動きと、殺しに特化させながらにして常に相手の動きを視て理解する思考は常人に模倣できる枠を完全に逸脱した剣なのだ。
故に、アインがティオに教える基本は何の身にもならない無駄な動き。狂人が常人を理解できぬように、常人が狂人を理解できぬように。剣を教えたからといって、少年が剣を完璧に扱えないようわざと己の武才の無さを伝え、復讐の為の牙を折る。この少年が血以外で真の強さを得る為に、あえて己が毒となる。
「……本当に、僕に剣を教えてくれるのですか?」
「誓えるのならな」
「ならば、誓わせてください。僕は、貴男の剣の基本を修めるまで、真の強さを知るまで旅に出ません。僕は母の為に、家族の為に剣を振るいます。真に強さの意味を知り、貴男の教えを修めるまで復讐は果たさない。僕は、この誓いを貴男に捧げる」
「……サレナ、薬は売れたか?」
「あ、少々お待ちください。いま売ってきます」
ああそうそう、と。本来の用事を思い出したかのように売却用の薬を取り出したサレナは、カウンターの前に並べると少量の金銭を提示される。
「……サレナさん、その金を受け取らないで下さい」
ティオが彼女を押し退け薬を値踏みするように見つめ、同じ薬をサレナから受け取り指先に乗せて舐める。
「サレナさん、この薬とカウンターに並べた薬は同じ製法ですか?」
「えっと、売却用の薬は少し手が込んでいます。飲み易いよう甘味を加えてみたり、精製時の魔力結晶の純度を高めてみたりと工夫を張り巡らせていますね」
「ならこの程度の金額で買い取られるなんて不当です。あなたの薬は大変出来の良い薬だ。この薬の価値を知らず、安い値段で買い叩く商人は詐欺師も同然でしょう。もっと良い店を知っています。着いてきて下さい」
スピース以外でも商品の価値を不当に下げる輩は存在します。少年は自身の背を睨みつける店主へ視線を向けると、帽子のつばを摘み軽く会釈する。
「良い店とは?」
「ハルさんの昔馴染みのエルファンの女性が営む魔法店です。何時も母の薬を貰いに行っている店で、腕は確かです」
「ありがとうございますティオさん、助かります」
「……貴女は怒っていないのですか?」
「何故ですか?」
「僕が、その、貴女をアンタ呼ばわりした事についてです」
「構いません、私のような見ず知らずの余所者にあなたを怒れる権利はありませんし、私のアインも失礼な事を言ってしまいましたから」
ティオは帽子を深く被り、恥と己の馬鹿馬鹿しさに頬が熱くなる。
本当に、本当にこの少女は甘すぎるし優しすぎる。だから、少しだけ手を貸そうと思う。あの老女が営む魔法店へ連れて行く為、歩みを速めた少年の目は、サレナとアインを見つめた。