スピースの大広場にはこの都市の初代領主の銅像がそびえ立ち、その周りをぐるりと囲むようにしてアクセサリーや食べ物を売る屋台が立ち並ぶ。
屋台に並ぶ品々は店主の種族の特色が反映されたものであり、豚一匹丸々使った串焼きや繊細な意匠を凝らしたアクセサリー型の魔導具、珍しい衣装を取り扱う店等、スピースに訪れたならば一度は大広場のバザーに立ち寄らねば損と言えるだろう。
多くの多種多様な人々が行き交う中、アインを連れてバザーの品々を見ていたサレナは興奮した面持ちで眩しい笑顔を振り撒き、商品の値札と財布の中の金銭を比べては落ち込んだり、次の店に興味を示したりと忙しなく歩き回っていた。
「アイン見て下さい! 豚が一匹丸々焼かれてますよ!」
「そうだな」
「むぅ、このペンダント綺麗ですが高いですね……諦めましょう」
「ああ」
「アイン! あれを見て下さい! 大道芸ですよ大道芸!」
「可笑しなものだな」
あっちに行ってはこっちに行って、目を輝かせながら歩き回るサレナの姿は普通の少女と変わり無い。この姿を見ただけでは、とてもじゃないがクエースの町の絶望と悪意に立ち向かった少女とは思えない。
彼女を端から見た者の目に映る姿は、田舎から出てきた普通の愛らしい少女の姿であり、見た事の無い芸や品に強い関心を持っている忙しない子供だと認識するだろう。
これなら買えます。と、鶏肉の串焼きを二人分買ったサレナは、一本をアインへ手渡し、肉へかぶりつく。
甘辛いタレと肉汁が絶妙にマッチした思わず頬がとろけそうになる串焼きに、サレナは口の端にタレを付けながら良い笑顔で肉を頬張る。美味い物を食べた人間のだらしない顔、と表現したらいいだろう。その表情を見た人間の店主は嬉しそうにオマケとしてもう一本鶏肉の串焼きをサレナへ渡した。
「お嬢ちゃん、スピースは初めてかい?」
「はい、とても活気がある都市で驚きました。食べ物も本当に美味しくて、故郷に居た頃じゃ考えられませんでしたね」
「ハハ、この都市じゃ大部分の者が故郷を持っていたり失ったりした人さ。お嬢ちゃんはどっから来たんだい?」
「えっと、ずっと遠くの森を抜けた丘の方から来ました。すみません、私は村の名前には疎かったものですから存じあげません」
「そっか、後ろの剣士さんはお嬢ちゃんのお兄さんかい?」
「いいえ、彼は私の大切な人であり、騎士です。旅の友として私と共に歩いてくれる人です」
「騎士ってことは……お嬢ちゃんは貴族か何かかい?」
「いいえ、家では自給自足の生活を送っていたのでそういった階級ではありません。都市や町での名称で言えば、平民ですかね」
「じゃ、俺と同じだな。あ、一つだけアドバイスするけど、お嬢ちゃんは可愛いんだから一人で宿屋通りの方へ行っちゃ行けないよ」
「何故ですか?」
「宿屋通りは最近何かと物騒でね、つい最近も強盗やら誘拐やら何かとあって衛兵も新顔を見たらキツく問い詰めるようになっちまった。だからよっぽどの用事が無い限り行くのは止めた方がいいし、宿と飯ならこの広場の方を使ったほうがいい」
「やはり都市となれば物騒なんですね、ありがとうございます。けど大丈夫です、私にはアインが居るので」
サレナと店主が話し込んでいる間に串焼きを食べてしまったアインは、彼女が差し出してきた手を握る。
「アイン、次は職人通りに行ってみましょう! アインの剣と甲冑も大分使い込んでいますし、調整して貰った方がいいのでは?」
「サレナよ」
「何ですか? 他に生きたい場所がありますか?」
「俺はこの甲冑を脱げないのにどうやって調整しろと言う。普通、甲冑は中の方も見て貰わねば調整など不可能だ」
「なら剣だけにしましょう。見たところ錆びや刃毀れは見受けられませんが、一応ということで、ね?」
「……ああ」
面倒だと言った風でアインは軽い溜息を吐き、渋々承諾する。
大広場を抜け、都市の案内図を見ながら職人通りへ向かったアインとサレナは、人々の姿が大広場では一般人が多かった事に対し、職人通りでは戦士や術師の姿が多くなる事に気付く。
「通りによって客層が違うようですね、えっと、鎧や剣を扱う鍛冶屋は……」
周囲をぐるりと見渡し、魔法術具店や武器屋を視界に捉えたサレナは、ハンマーが鋼を叩く音を頼りに通りを進む。すると、筋骨隆々で逞しい髭を伸ばした小柄な老人が剣を鍛える鍛冶屋を見つける。
「あの、すみません、此処は鍛冶屋で間違いありませんか?」
老人は小さな瞳でサレナを一瞥すると言葉を交わさず剣を打つ事に集中する。一つ鋼を叩いては汗が飛び散り、一つ鋼を打ち据える事に筋肉が盛り上がる。如何にも無口な職人肌と云った老人は突然「小僧!! 客だ!!」と叫び、煤に塗れた青年を呼び出した。
「親方ァ!! 客なら自分で取って下さいよ!!」
「俺ぁ今剣を打ってんでい!! 今の仕事ほっぽり出す事なんか出来るか!!」
「親方ぁあ!!」
「あ、あの、忙しいなら他の店に―――」
「あぁん!? ちょっと待ってろ小娘!! それと」
親方と呼ばれた老人の目にアインが映る。彼の装備を目の当たりにした老人は、剣を打ち据える腕を止め、少しだけ白く濁った瞳をアインへ向けた。
「……小僧!! 客だ!! 早く茶と菓子を持って来い!!」
「お、親方!? 仕事は!?」
「いいんだよそんなもん!! おい、小娘と兄ちゃん入れ!! そんで剣と甲冑を見せろ!! 早くしろ!!」
「え、あ、はい。アイン、入れだそうです」
「……何なんだ全く」
「早くしろ!!」
「はい!」
煤と熱気、鉄と鋼、使い古された鍛冶道具と壁に立て掛けられた様々な武具。奥の座敷へアインとサレナを招いた老人は、青年から渡された温い茶を啜り、簡単な菓子を口へ放り込む。何から何まで豪快な老人は、アインへ視線を這わせると面白いものを見たと、にんまりと笑った。
「兄ちゃん、名前は」
「アイン」
「俺の名はゼンってんだ、種族は見ての通りドルク。単刀直入に言う、この都市で俺より腕の良い鍛冶師は存在しねえ。だからお前さんの剣と甲冑をよく見せてくれ、後生だ」
「ドルク……鍛冶や鉄鋼類に秀でた種族ですね。あの、ゼンさん、アインは」
「小娘は黙ってろ!! 俺あこの修羅のような剣士と話してえんだ!! ……すまん、少し興奮していてな。なんたってこの都市で、ぼんくら共の剣を鍛えている中で、兄ちゃんみたいな最高の剣士と出会えたってんだから興奮しねえ方が可笑しいだろ? さぁ剣を出しな、甲冑を脱ぎな、さあ早く!!」
ギラついた瞳で鼻息を荒くしたゼンは、興奮した面持ちでアインへ剣を渡すよう催促する。
「……剣は渡せるが、甲冑は渡せん」
「何故だ!?」
「この甲冑は脱げないようになっている。何度か試してみたものの、一向に外れる気配が無い。それに、貴様は俺の装備を見れるのか?」
「見てやる!! 金は要らん!!」
「……剣だけなら」
「さあ早くしろ、早く早く早く!!」
「……」
狂人ではなかろうか? アインが一方的に気圧される様を初めて見たサレナは目を丸くしたまま、手渡される黒の剣に視線を寄せる。
「ふむ、ふむうむ、ほぉおう!!」
「ど、どうですか?」
「小娘は口を挟むな!!」
「は、はい!」
刃へ指を這わせてみたり、刀身を金槌で叩いてみたり、剣のありとあらゆる部位を舐めるようにして観察したゼンは、感嘆の意を込めた溜息を吐き出す。
「兄ちゃん、いや、アイン。この剣を何処で手に入れた?」
「知らん、俺は記憶を失っている故、何処でその剣を手に入れたか分からない」
「分からないならしょうがねえ。だがな、この剣は正直言って化け物だ。人類の手が入り込めねえ領域に片足どころか全身浸かっている状態だ。いや、人類だけじゃねえ、魔族の技術も盛り込んでいるのか?」
煙草を口に咥え、煙を吸ったゼンは恍惚な表情を浮かべ語る。
「俺ぁ人生を鋼に打ち込んできた者だ、俺以上の鍛冶師は中々いねえ。だが、この剣を鍛えた者は何者だ? 面白いじゃねえか」