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偶然か、必然か ①

 古色豊かな調度品に囲まれた一室にて、煙管を加えたハルは帳簿に本日分の売り上げを書き込み、煙を吐く。


 「お父様、まだ煙草を吸ってるの? 身体に悪いから止めた方がいいと思うけど」


 「貴様のような小娘に心配されるほど老いちゃいない」


 「十分老いていると思うけど? あ、紹介するね? この甲冑を着た剣士さんはアイン、すっごく強い男の人で多分お父様よりも強いと思うの。それで、この白銀の髪が印象的な可愛い娘がサレナちゃん。えっと、馴れ初めは」


 「御託はいい、本題を言え」


 「あ、はい。その、お父様もそろそろ歳だし、隠居とかどうかなって。店は私が継ぐし、修行をしながら他の都市の経営スタイルや経営術を学んでみたりしたの。それで、お父様はもう十分働いたし、もういいんじゃないかなって」


 数字を書くハルの手が止まった。


 「……クオン」


 「なに? お父様」


 「貴様は修行の旅をする中で何を見て、何をした? 我らが一族の何を知り、何を得た? 貴様が得たものは下らん経営術と他者の模倣を是とする術か? 

 下らん、貴様は無意味な事に時間を使い、己が義を見つめ直す機会すら取り逃した。何が十分だと? 何がもういいだと? 貴様、私を馬鹿にするのもいい加減にしろ」


 「苦杯を飲み下し、苦難と邪を恐れるべからず。邪法は正道に勝てぬ、義は悪を滅する英雄が掲げるこころざし也。

 貴様は我が一族の義を何だと思っている? ただ老いたからと云って、我が戦場から退く意思など存在しない。

 私がこの銀春亭を営み続けるは己の確固たる意思であり、誓いだ。貴様のような半端者に言われる筋合いなど無い」


 煙管を灰受けに叩きつけ、灰を落としたハルは袖より取り出した煙草入れから葉を摘み、煙管に詰める。


 「軟弱な者に、半端な者に、己が意思と誓いを見つけ出せない者に、私は一切店を譲るつもりは無い。血を吐き、辛酸と難苦を飲み下して得た戦場銀春亭は私と妻のものだ。隠居しろと言われ、はいそうですかと言う程私は甘くない。だが、貴様は愚娘と云えど私の血を分けた女。宿と職は提供してやろう。だが」


 これ以上私の戦場を穢すのならば、娘であってもそれ相応の手段を講じるつもりだ。とハルは語り、煙管を口に咥えた。


 「……少し、頭を冷やしてきます」


 「勝手にしろ」


 クオンが椅子から立ち上がり、部屋の外へ向かう。その後姿を一瞥したハルは、アインとサレナへ視線を向ける。


 「見苦しい姿を見せた事を謝罪する。あれは中々に私と妻の血を色濃く継いでいてな、話し方や見た目は妻そっくりのくせに、戦い方や相手の嫌な場所を突く癖は私そっくりだ。いやなに、私は君達に不要な悪感情を抱いているわけじゃないし、その逆で好ましくさえ思っている。別に固くならずとも構わん」


 手を叩き、給仕の女性を呼んだハルは二人分の茶と菓子を出すよう指示し、書類に目を通しながら言葉を紡ぐ。


 「剣士……アイン殿だったか。君をクオンは婿様と呼んでいたが、真かね」


 「そんなわけが無かろう、俺はサレナの騎士であり剣だ。そして、一人のアインという生命として、彼女と共にある者だ。俺の剣はサレナと己の為の剣であり、他の者に捧げるつもりは毛頭無い」


 「だろうな、君の目を見れば言いたいとしている事が大体分かるし、嘘では無い事も分かる。長年客商売に従事してきた者の経験則だが、サレナ嬢も真を口にする無垢だと見受けられる。違いないか?」


 「彼がそう言ったなら貴男の考え通りかと。私は旅をしている者であり、クオンとは旅の途中で出会いました。突然戦いを仕掛けてきたものですから多少驚きましたが、彼女の言葉から察するに戦闘を通して相手の技量を計測し、自分よりも格上ならばその者を婿として迎えよう、それで違いありませんね?」


 「違いないが、少し違う。我らの一族は義を成し、生命の苦杯と苦難を非とする事を是とする一族だ。決して倒れず、力尽きず、己が道を見つけ、誓いの果てに生涯添い遂げる者を見つける為修行の旅に出る。あれは己が戦場を見失い、疲れ、ただ休む為の口実を得たいが故の行動であり、一族の訓示を利用しているだけに過ぎん」


 「戦乱が続く世に愁い、人が死す日々を憂う。戦場を渡り歩き、世界を回り、己が救える命の数に限りがある現実に打ちのめされ、故郷を望郷する。

 帰って来ても構わん、だが、一度折れた意思という剣と人はもう一度立ち上がる切っ掛けがない限り何時までも折れたままであり、いずれは錆びつき腐り果てる。

 故に、あれは、クオンには休息はまだ早い。未だその瞳が熱を帯びているならば剣として、我が一族の者として己を探さねばならん。そうだ、君達のように」


 輝ける意思と希望、未来を渇望する変化の意思を持ち続けねばならん。ハルは動かし続けていた手を一度休め、ペンを置く。


 「私は老いた。娘の前では無意味な意地を張り、己が戦場に立ち続けている風を装わねばならん。クオンの母、私の妻は良く出来た女でな、世の為人の為と自らの手を血に染めていた私とは比べ物にならん程に、私には勿体ない程の女だった。

 ……私は、母が居ないクオンの為に強くあらねばと、娘に強くあれと、言い過ぎたのかも知れん。世の不条理に抗う力を養わせる為に、世の理不尽に決して倒れぬように、と」


 複雑な、絡まった紐が決して解けぬような、そんな心理を吐露したハルは太く、拳骨が張り出た自身の拳を撫でる。懐かしむような、悲しむような、過去に思いを馳せる。


 「君達の目を見れば分かる。世に蔓延る悪と絶望の一部を見た者の目だ。だが、それでも進んだ強者の風格を持っている。己の願いと祈りで奇跡を織り成し、力を得た者だけの瞳。

 君達を見ていると、かつて旅をした仲間を思い出す。フッ、あの女も今にして思えば異常な理想主義者であったが、それでも彼女の語る未来には耳を傾けずにはいられなかった。……ああ、そうだ、仲間が、友が必要なのだ。絶望を払い、光を見出すためには、な」


 あの女、かつて旅を共にし、世界を救うことを信条として掲げた女を思い出す。不可思議な失踪を遂げ、旅の仲間達の前から姿を消した女を、アインとサレナに重ねる。人を惹きつけずにはいられない、人を様々な意味で魅了する二人へ、視線を寄せる。


 サレナ、彼女の金色の瞳にはかつての友と同じ意思を感じる。白銀の髪も友の最愛の人を思い浮かべてしまう。中々どうして、先程まではクオンの言葉に一々反応を示し、言葉を返していたのに今は堂々とした佇まいで的確に言葉を返してくるではないか。その姿はやはり、あの金色の瞳の友を思い出す。

 この少女にならばクオンを託せるとハルは思う。だが、それでも確実な不安要素は存在している。サレナの横に腕を組んで座る、溢れ出る鮮烈な激情を滾らせる黒甲冑の剣士。その存在がどうにもハルの嗅覚を鈍らせる。


 「少しばかり聞きたい事がある。アイン殿は、私と会った事があるかね」


 「無い」


 「魔族領に居た経験は?」


 「知らん」


 「貴殿は人間か?」


 「知らん」


 「……」


 「貴様、何が聞きたい? 俺は貴様のような存在と剣を交えれば決して忘れない。貴様、一体幾つ?」


 決してアインは嘘を語らない。彼は己が心からの言葉を口にし、最短で答えを得ようとする男だ。故に、彼は単刀直入でハルに問う。いったい幾つの嘘を交え、言葉を交わしているのかを、問う。

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