クオンとの出会いを振り返り、彼女の突然の申し出に呆けた顔をしたサレナはやっと言葉の意味を理解すると次は少しだけ怒ったような表情をして、クオンの顔を迫力の微塵も無い顔で睨み付ける。
「そう怒んないでよサレナちゃん、別にアインを取ろうなんて気はサラサラ無いからさ。ほんの二日でいいの、私の用事さえ済んだらちゃんと返してあげるから」
「……別に、怒ってなんかいませんけど。いえ、それより人をモノみたいに言うのはどうかと思いますよ? そもそも、私にお願いするんじゃなくて、ちゃんとアインの意思を聞いてからですね」
「君、彼の事になると露骨だねえ」
「ろ、露骨? 何が露骨なんですか? 私はアインの意思を尊重して欲しいと言っているだけで、私は単に彼と離れたくないから代弁しているだけですが?」
肉の切れ端がサレナの口に運ばれ、食す。
「あのね、サレナちゃん。ずっと一緒に居る事は確かに幸せだし、離れたく無い気持ちも分かる。けどね、考えてみなさいな。少し離れてみて、彼の大切さと存在の大きさに気付いた時の自分の気持ちを。そして、彼があなたを抱き締めてくれた時の温かさを。想像してごらん? きっと、自分の気持ちは嘘じゃないって思うんだ」
「詭弁を申さないで下さい。私は私の気持ちを理解していますし、彼の気持ちも理解しているつもりです。あなたの言葉は人を惑わし、迷わせるような言葉です。私は決して騙されません」
「サレナちゃん、じっくりと、ゆっくりと考えてみて? アインの燃えるような真紅の瞳が、二日ぶりに再会したあなたを映し、熱い抱擁を組み交わす感覚を。彼の愛の言葉があなただけに向けられ、あなたも愛の言葉を返す瞬間を。ああ、なんて美しく、尊い瞬間!! 黒鉄の剣士と白銀の美少女の再会!! もう最高!!」
「……一里、あるのですかね?」
今度はジョッキに入った飲み物が口に運ばれ、一口飲み下す。
「サレナちゃん、あなたが彼を大切に想い、かけがえの無い人だと思っているのは私も分かる。けどね、あなたの想いは重いのよ。一人の男に注ぐには重すぎる愛なの!! だから、少し彼と距離を置いて考え直す時なの!! 私はあなたとアインを応援したいの!! 私を信じてサレナちゃん!!」
「……私の想いは、重いのでしょうか」
今が攻め時だと、女の瞳が怪しく揺らいだ。
「それにサレナちゃ―――」
「貴様、少し黙れよ」
この場で、初めてアインが口を開く。彼の、低く、怒りに満ちた声を聞いただけでティオは心臓がひっくり返りそうになるほど驚き、何もしていない筈なのに冷汗が全身から溢れ出た。
「何故俺が貴様に手を貸さねばならん、何故俺が真意をひた隠しにして言葉をただ並べる肉塊と行動せねばならん。貴様、本当は何が言いたい? サレナが惑わせる話題から何を導き出す気だ? 言ってみろ、
言葉の一つ一つに途方もない圧を込めた剣士は、剣の柄を握りクオンを見据える。
話さねば斬る、嘘を交えても斬る、惑わそうとしても斬る。そこに悪意が無くとも、虚言を交えて己の有利な方向に話を進めようとする意志があるのならば、アインは剣を振る。老若男女、人魔問わず彼の凶剣はその者の言葉を命ごと斬り裂くのだ。
「まあまあ、そう怖い眼をしておっかない事言わないでよ。んまぁ、正直に言うとさ、私ね七年ぶりに親と会うんだよね。そ、此処の主人にさ。そんで、私の家の訓示に家を出て修行を終えた者は己より強き者を連れて帰るってのがあってね、アインにはその婿様役をやって貰いたいんだよね。駄目かな?」
「婿役だと? 何故俺が貴様の婿役などやらねばならん」
「そりゃあ君が私より強くてお父様のお眼鏡に適うからさ。他の軟弱な男や口だけ達者な男と違う、アインからは強者の雰囲気が隠し切れない程溢れているんだよ。何て言うかな、真に己の意思を持った人の風格ってのがあるんだよね。君は少しだけお父様に似ているんだよ、強さ的には違うけどね」
「……俺が貴様を好く要素は何一つ無いな、貴様は傲慢な己の視点で他人を評している。交渉は決裂だ」
「傲慢ねえ、私を傲慢だと言えるなら君は何だい? 自分とサレナちゃん以外の人間はゴミか屑だと思っていないかい?
ああ分かった、魔族を一瞬で斬り伏せた力は君が己の力を誇示するためのものに過ぎないわけだ。
そこには君とサレナちゃん以外の意思は乗っていないし、何処にもない。サレナちゃんと誓約を結んだのは、君が一方的にあの娘を手に入れたいからじゃないかい? アイン、私から見れば君の方こそ傲慢だよ」
あ、不味い。少年が慌てた様子で頭を低くしたままアインとクオンから距離を取る。これは争いやいざこざに身を置く者の本能と、交易都市という他種族の生命が入り混じる清い混沌の中で生きてきた経験による行動で、燻ぶっていた憤怒の火種がクオンの言葉により業火の如く燃え上がるような空気を察知した為だ。
一触即発ならばまだ平和的なものだっただろう、だが、アインの剣は目にも止まらぬ速さでクオンの首筋を捉えると、クオンもまた彼の剣筋を見切っていたかのように僅かな動きで回避する。
「……貴様、もう一度言ってみろ」
「なにがー? 全然分かんないかなー?」
「殺す」
「いいねえ、その殺意。じゃ、第二ラウンドと行きますか!」
剣を振り上げ、鮮烈な殺意をクオンへ向けたアインは、もう一つの不可思議な力を感じ取る。
その力は、一切波が立たない水面を思わせる静寂なる力。アインの激情を燃え盛る業火と言うならば、それは死を纏う静けさを表す湖面と例えよう。一瞬、その力に気を取られたアインは剣の振るう先をクオンではなく、真横へ向けた。
「お客様、喧嘩や争いは店外でお願いします。他のお客様が居る中で、武器と力を振るうのは愚かな事かと存じ上げます」
物静かな口調で二人の戦闘を止めた小太りの男、ハルは仄暗い瞳をアインへ向け、迫る剛剣と烈脚をまるで落ち葉を払うかのようにいなした。
ジッとハルを見据えたアインは無言で剣を背負いサレナを抱き寄せる。男の見てくれは小太りで前髪が薄くなりつつある中年の風貌だが、瞳の奥に見える微かな緋色の闘志は小さいながらも灼熱を帯び、少しでも動けば大切な存在ごと叩き伏せるという意思が垣間見えた。
「……貴様、一体」
「あ、お父様! お久しぶりでーす! クオンは只今戻りましたあ!」
「……」
「それとですねえ、お婿様とその妹様も連れて参りましたので紹介しまーす! えっとお、この黒甲冑の剣士がアインさんで、こっちの可愛い女の子がサレナちゃん! お願いがあるのですが宜しいですかあ?」
この女は馬鹿なんじゃないだろうか? この圧倒的な存在を前にしても口を開くつもりか? 突拍子の無い行動に出たクオンを睨みつけたアインは、ハルから発せられる意思により剣を抜くにも抜けず、ただサレナを抱き寄せたまま彼から視線を外さない。
「少しばかりお父様の宿を借りたいのと、この店でサレナちゃんを雇ってあげて下さいな?」
不機嫌そうに、眉間に皺を寄せたハルは、小さく舌打ちをすると宿の二階へアインとサレナ、クオンを招いたのだった。