時は遡り、数刻前の事だ。
クエースの町をディーンとリーネ、エルファンに任せたサレナとアインは、聖都へと続く街道を歩き続けていた。
「えっと、ディーンさんに教えて頂いた情報ですと、これから歩いて道なりに進むと人類領第三の都市、スピースに辿り着くそうです。多数の種族により栄えている貿易都市のようですね。あ、ご飯を食べられる店が沢山あるそうですよ」
「そうか」
「貿易都市故に、人類領に存在する様々な品や料理、文化に触れる事が出来るらしいです。流石に専門的な技術や研究は他の都市に及ばないものの、基礎的な学術も学べるらしいですね。都市部となれば犯罪や違法行為も存在するようです。気を付けましょうね」
「ああ」
本日は晴天也。陽光は出ているが、風は冷たい。街道を駆ける風はサレナの頬を撫で、白銀の髪をさらう。アインは荷物の中からマントを取り出し、彼女の肌が冷えぬようにと手渡した。
「ありがとうございます、アイン」
「構わん、今日は冷える。一応掛けておけ」
「はい」
暫く進み、街道を見渡すと一台の荷馬車が通り掛かった。荷台部にテントを張った荷馬車は、二人の横を通り過ぎるとそのまま通り過ぎて往く。テントの前部分に旗が付いた印象的な荷馬車だった。
「馬車はお金が掛かるそうですし、わたし達は歩いて行きましょう。ゆっくりですが、風景も楽しめて良いものです」
「疲れないか? 身体は大丈夫か?」
「ええ、もし疲れたら休めばいいだけですし、問題ありません。アインこそ大丈夫ですか? 戦いの傷は痛くありませんか?」
「甲冑が全て治した。俺は問題ないが、お前こそ疲れたら言え。おぶって歩く」
「恥ずかしいので遠慮します。あ、少し待って下さい」
サレナが道端に咲く花の花弁を千切り、ポーチに入れる。傷薬の材料となる魔力を含む草花に詳しいサレナは、時折それ等を見つけてはポーチに仕舞い、野営中に薬を精製していた。彼女曰く、行商人や薬屋に売れば多少の金銭を受け取れるからだ。
「路銀が心許なくなってきましたからね、少しでもお金になりそうな草花があったらアインも知らせて下さいね」
「俺は草や花に詳しくは無い。サレナの方が詳しかろう」
「それでもです。知っておいたらもしもの時に役立つかも知れませんよ? ほら、これとか」
ほんの、意識を向けねば気が付かないような、目立たない小さな白い花を指差したサレナは、花を摘むとアインの目の前に持って来る。
「これは傷を癒す魔力を含んだセラフィという花です。封魔の森や丘ではよく見掛けたのですが、大変珍しい花なんですよ」
「珍しい花を見せられてもな。そのセラフィというのはどういった花なんだ?」
「セラフィは様々な傷を癒す魔力を含んでいて、花言葉は再開。薬にしてもいいし、押し花にして相手に送っても良い。これは薬にしないで、押し花にしてアインに差し上げます」
「……そうか」
花を、セラフィを見ていると懐かしい気分になってくる。記憶の断片で垣間見た、あの花畑と少女の笑顔が脳裏を過ぎる。
「えっと、押し花は嫌いですか?」
「いや、嫌いかどうかは分からんが、その花は好きだ」
「本当ですか? 私も好きなんです、こんなに小さいのに役立つ効果があって。それに、素敵ですよね」
「何がだ?」
「花言葉ですよ、再開という花言葉。セラフィが押し花として人気があるのも、何だか納得しますよね」
「……ああ」
再開。あの時、記憶の中の少女が言った言葉は、奇しくもサレナがアインに言い放った言葉と同じものであり、妙な縁を花から感じ取る。
「再開、か」
良い言葉だと思う。アインはサレナの頭を撫でると、小さな白い花へ視線を向ける。
「俺には、帰る場所が出来たのかも知れんな」
「帰る場所?」
「ああ、サレナが居て、お前が俺を待っている場所が俺の帰るところなんだろうな」
世界広しといえど、生命には必ず帰る場所がある。それは家であったり、故郷であったり、最愛の人が待つ処だったり。記憶を失おうと、帰る家と故郷が無かろうと、アインが帰る場所はサレナの隣であるのだ。彼女の隣こそが、剣士の故郷と呼べるのだろう。
「……ええ、あなたが何処に居ようと、何処で戦っていようと、私は必ず待っています。だって、アインは必ず帰って来てくれます。嘘を吐かない人なのは、知っていますから」
アインが記憶を失った理由は分からない。だが、クエースでの戦いを終えた直後の彼は、他の誰かを自分に重ねているように感じた。遠い、記憶の彼方に見た誰かと自分の両方を見て、強い悲しみと切なさに悶えているように感じた。
アインが故郷に関する記憶を失っているならば、己に関する記憶を失っているならば、彼の精神的な故郷になろうとサレナは思う。
彼が道を進み続けても、戦い続けていても、必ず帰る場所があるように己は在ろう。少し疲れてしまった時に、寄り添える者で在ろう。少女は剣士の手を引くと、笑顔を向ける。彼が好きだと言ってくれた、笑顔を見せる。
アインに必要とされる、アインと共に歩む事が出来る、それは何と素晴らしい事だろうか。大切な人と生きるだけで、何と世界は美しく見えるのだろうか。それだけで、心が満たされる。
「サレナ、あまりはしゃぐと―――」
刹那、アインは剣を抜きサレナを抱き寄せる。鬼気迫る殺意が剣士より溢れ、鋭い眼光が前方を見据えた。
「どうしました? アイン?」
「戦っている者が居る、数は一人と十人。人間と魔族だろうな」
どうする? 言葉無くアインが問い、サレナが頷く。既に答えは決まっている。
剣士が地を蹴り少女を抱いたまま駆ける。
すると、先程通り掛かった荷馬車を守るようにして舞う一人の女が魔族と戦っていた。
「どけ、女」
黒の剣が魔族の肉身を斬り裂き、首を刎ねる。黒い暴風となって瞬く間に魔族を斬り刻んだアインは、返り血一つ浴びていないサレナを離し、剣を振り払う。
「大丈夫ですか? 怪我をした方がいらしたらどうぞ前へ、癒しの術を使えますので治療しま―――」
女が二度跳ね、足甲を撫でるとアインへ突然蹴り掛かる。
鋼と鋼がぶつかり、甲高い金属音を鳴らすと、蹴りを腕で防いだアインの瞳が女に向けられる。
「貴様、何のつもりだ?」
女はアインの腕へ足を掛けたまま、柔軟な動きで彼の左脚へ二手目の蹴りを叩き込むが剣士は微動だにしない。
何をそんなふざけた体操をしている。アインの瞳に憤怒の炎が宿り、剣を握る手に力が込められる。甲冑の装甲が軋み、柄を握る手の平から血が流れ出る。
「下らん雑技は止めろ、俺の剣が振るわれないうちにな」
底冷えするような低い声。声には底無しの殺意と憤怒が含まれており、今にも剣が振るわれるような、直ぐにでも女を殺すという意思が見えた。
彼の剣士の殺意を感じ取ったは女の本能か、それとも戦闘経験が成す業か。彼女は素早くアインから距離を取り、緋色の瞳を剣に向けると大きく深呼吸をし、戦闘態勢を解く。これ以上の戦闘は無駄に命を散らすと判断した故の行動だ。
「……いやあ、お兄さん強いね。それも馬鹿みたいにさ。私も世界各地を旅してきたけど、アンタみたいな人はそうそう居ないよ? やっぱ世界は広いねえ」
「……」
「ちょっと黙んないでよ、怖いじゃない」
「何故攻撃した、答えろ」
「まあ、腕試しとちょっとした試験かな」
「意味が分からんな」
「だよねえ、いやね、私も強い男の人を探してたもんでさ。ごめんね?」
「……」
「だから黙んないでよ! ごめんってばあ!!」
「サレナ」
「な、何でしょう?」
「個人的にだが、斬ってもいいか?」
「だ、ダメじゃないですかね? ほら、本人も謝っていますし、ね? それに、私達はスピースに向かう途中ですし、無意味な争いに身を投じる暇は無いでしょう?」
「……」
アインは黙って剣を背負い直し、腕を組む。両手を合わせ、アインとサレナに謝り倒した女は詫びの印に荷馬車の運賃を全額払うと申し出る。
「私の名はクオン、スピースに向かう途中で出会ったのも何かの縁。お二人さん、詫びの印だ。スピースに行くなら金は全部出すよ」
女、クオンは可愛らしさと美しさが絶妙に入り混じった顔ではにかみながらそう言った。