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黄昏の中で、君を

 魔導鋼で覆われた鎧はアインの秘儀により倒れ、組み込まれていた心臓は死を以て救済された。デストティオは顕現させた主が倒された為、刀身を元の真っ直ぐな剣の形に戻り、纏う神性や神秘は霧散された。


 「アイン!!」


 甲冑が装甲を復元させている最中にサレナがアインの背に抱き着き、涙で濡れた頬を鋼に擦り付ける。泣いているのか笑っているのか、それともその両方か。涙と鼻汁でぐしゃぐしゃになった顔を俯かせ、甲冑の装甲を何度も叩いた少女は最後には大声で泣き出し、地べたに尻を着く。


 「よく、勝って、救ってくれました!! 生きて、生きて―――!!」


 「……」


 どうすればいいのか分からない言った様子でサレナを見つめたアインは、剣を背負うと腰に手を当て頭を掻く。


 こんな時は、サレナが泣いている時はどうすればいい? 己の意思を確立させ、力を引き出してくれた少女に何をすれば恩を報える? いや、己は何時もこの少女から何かを与えて貰ってばかりで、何をしたら少女の涙を止められる?


 「サレナ」


 「何で、しょう?」


 「俺は、お前のおかげで勝てた。お前が居たから剣を振る理由を見つける事が出来た。俺は俺の敵を殺すし、お前の敵も殺す。だが、お前が救いたいと、俺が殺す事で救える命があった事を見つける事が出来た。何といえばいいのか……言葉が見つからんが、これだけは言わせてくれ」


 少女の小さな身体を、少しでも力を入れてしまえば壊れてしまいそうな華奢な身体を、まるでガラス細工を扱うように慎重に抱き締めたアインは言葉を紡ぐ。


 「俺はお前が居たら何処までも強くなれる。俺はお前の笑顔があればどんな敵にも負けない剣になれる。だから、泣くな。俺は、お前の笑顔が好きなんだ。サレナ、笑ってくれ、俺にお前の美しい笑顔を見せてくれ。それだけで、俺は」


 世界をも殺せる最強の男になれる。


 そっと、そう呟いたアインは泣き咽ぶサレナの頭を優しく撫で、頬に触れる。


 「……世界を殺せる、男に何て、ならなくてもいい」


 冷たい鋼に額を押し付けるサレナがアインを見つめる。


 「ただ、一緒に、居て欲しい。一人で死のうとしないで欲しい。私は、ただ、あなたと一緒に生きたいの、歩きたいの。戦っても、勝っても、負けても、死なないで。生きて生きて生き抜いて、私の隣に、戻って来て」


 涙の向こう側に見える金色の瞳と流れるように美しい白銀の髪、苛烈な戦闘に身を置き、悪と絶望を知ったサレナは未だ幼さを残した可憐な少女だ。常人であれば挫ける現実と、屈服する悪意を目の当たりにしても自分のやるべき事を冷静に判断し、選択する精神は既に少女という殻を破り、次の段階へ進むための翼を広げようとしている。


 悪と絶望を知って尚、彼女の翼は白銀の煌めきを失わない。高潔なる精神と高尚な意思。その二つを兼ね備えたサレナは未来を見つめ、希望と救いを与える者となるだろう。これからも一歩ずつ、足は遅くとも世界を知り、取捨選択を繰り返しながら進み続ける少女なのだ。


 「……一人の男として、アインとして約束する。必ず俺はお前の隣に帰って来る。敵がどんなに強くとも、敗北しようとも、必ず帰って来る。これは誓約じゃない、一人の生命としての約束だ」


 一人の生命として、勝手な口約束を結ぶ。力と拘束力を持たない勝手な誓い。ただのアインとして、剣を捧げるわけでも命を預けるわけでもない勝手な言い分。


 だが、だからこそ何か意味があるような気がした。誓約を結び、力を得る世界で、種族が曖昧な己が人間の少女の為に我が儘のような約束を一方的に押し付ける事に、意味があるような気がしたのだ。ふと、脳裏に過った―――サレナに似た少女にも同じ言葉を話したような、奇妙な感覚が流れ込む。


 白い花々に囲まれた丘の上で、花を摘む少女の姿。


 真っ白な法衣に身を包んだサレナとそっくりな少女は、綺麗な笑顔を異形の剣士に向け、口を開く。

 必ず帰って来て、私は必ず貴男を待っているから、と。


 何時のものか分からない懐かしい記憶。失った筈の記憶の断片が僅かにだが、ふと蘇ったアインは、胸の奥から溢れ出る切なさを帯びた悲しみを埋める為、サレナを抱き締める。


 「ア、アイン? どうしたのですか?」


 「……何でもない」


 「その、少し苦しいですよ?」


 「……もう少し、もう少しだけ、このままで居させくれ」


 「ええっと……」


 どこかで、会った事があったのかも知れなかった。記憶を失う前に、サレナとアインは互いを知らずに出会った可能性があったのかも知れなかった。だが、それは可能性の話であり、二人の実際の境遇と状況を鑑みれば在り得ない。


 ならばこの記憶は何なのだ、サレナとそっくりな少女は誰だ、記憶の断片だけで何故こうも胸が痛くなる―――何故、この少女を離したくなくなるのだ。


 失われた記憶と僅かに蘇った記憶。甲冑が感じるサレナの温もりと鼓動。愛おしくも切ない痛み。


 空を覆う黄昏に想う。どうか、この瞬間だけ、この少女を抱き締めている間だけ、己の憎悪と殺意、憤怒を止めて欲しい。全てを曖昧にさせるこの数刻だけ、心に安らぎを求めたいと、願ってもいいだろうか。血と戦いを忘れ、ただ温もりだけを求めても構わないだろうか。だから、どうか、願う。サレナの温もりと、鼓動だけを感じたいと、永遠に願う。


 「……うん」


 夕照に濡れ、淡い夜空に浮かぶ星々の下、アインがサレナを離すまで抱き締め合っていた二人は、互いの温もりを交換し、ただ目を閉じる。


 この歪んだ制約が世界を染める中、ただ願う。


 どうか、この瞬間が永遠に続けばいいと、願った。

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