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狼煙をあげる ②

 ゆらり、と。カンテラの炎が揺れた。


 濃い土の臭いと何人かの話し声、固い枕の上で、ゆっくりと瞼を上げたサレナの瞳に、彼女の顔を覗き込む少女の顔が映る。幼いエルファンの少女達は、サレナの金色の瞳と暫し見つめ合うと、無邪気な笑い声をあげて駆けて行った。


 気怠い身体を起こし、辺りを探る。


 天井から吊るされたカンテラに照らされる、ぼんやりと薄暗い土壁の空間。長年放置され続けたスコップとツルハシは土がこびり付き変色し、朽ちかけた木製の椅子とテーブルはかつて誰かに使われていた現実を到の昔に失い、ただそこに在るという証明だけを残す。


 此処が何処なのか、何故この場所に居るのか、サレナには分からない。 


 未知の空間に身を置く恐怖、意識を失っている間に何が起こり、誰が少女を運んだか。混乱する頭は己が置かれた状況を整理しようと思考を深め、意味の無い憶測を張り巡らせるが、サレナの胸中はにはもう一つの感情が仄かに芽生えていた。


 その感情は意も知れぬ哀情。かつては魔石採掘業で財政を成り立たせていたクエースの名残である地下坑道は、既に誰もが過去の記憶として扱う残照のようなものだった。その場にあるツルハシも、スコップも、魔石探知機も、埃が積もった過去の遺物。よくよく見てみると、サレナが眠っていた場所はそれなりに大きな空間であり、鉱員の休憩室と思われる場所に、彼女は居た。


 此処が何処だか分からない、でも、行かなければ。立ち上がり、進まなければ。サレナは自身の直ぐ傍に並べられていた靴を履き、立ち上がる。


 身体が怠い、頭がハッキリとしない、魔力が十全に回っていないような感覚。此処で倒れ、眠ってしまった方がどれだけ楽だろうと思ってしまう。だが、歩け。歩いて、進め。スコップを杖の代わりにして身体を支え、ゆっくりと、だが確実に歩みを進めた少女は、傷だらけの扉を押し開け黒い巨躯にぶつかった。


 「……アイン?」


 「目が覚めたかサレナ。全く、無茶をする」


 「無茶って……いえ、そんな事より此処は? 私は一体? どれだけ気を失っていましたか? リーネは、あの女性の方は? それに、あなたのその姿は」


 「目覚めたばかりで多くを求めるな、順を追って話す」


 黒い巨躯、アインはサレナを抱き上げると歩き始める。


 焼けた鋼と血の臭い、剣士の甲冑は所々罅割れ、欠けていた。彼が此処まで傷を負う姿を久しぶりに見た少女は、聞かずにいられない。アインに何が起こり、何故ノスラトゥと黒の剣が血に濡れているのかを。


 「アイン、その甲冑の傷はどうしたのですか? それに、剣に血が付いています。一体、何があったのですか?」


 「魔族と戦った、それで取り逃した。奴はただの魔族なんかじゃない、強力な個体、魔女が言っていた上級魔族か何かだろう。あと少しで殺し切れたが、一歩足りなかった」


 「上級魔族? いえ、そんな筈は」


 「戦って解った。雑兵共とは格が違う強さを持つ魔族は、魔力を隠し通す技巧、戦闘状態における判断力の速さ、生き渋とさ、何をとっても埒外だ。サレナ、この町は思っていたよりも面倒な状況に置かれている」


 「面倒な状況?」


 「支配者の名はデッシュ、奴の兵を尋問して分かった事だが、奴らはお前が解析した魔力を含む薬物を用いてエルファンを催眠状態にしていた。意識を希薄化させ、肉体と精神の自由を奪う薬だ。そして、催眠状態に置かれたエルファンは儀式による短期間での妊娠と出産を繰り返し、最後には素材として出荷される」


 「―――そんな」


 「素材、エルファンの心臓は死して尚魔力を生み出す宝玉だ。デッシュが誰と取引し、企んでいるかは分らんが碌でも無い事なのは確かだ。リーネから聞いた魔力成分とお前が導き出した結果から、連中の背後に居る存在は魔族、それも俺が交戦した魔族と同じ奴の可能性が高い。これからの選択はお前に任せるが、剣を抜かねばならないとした時、迷うな。迷わずに、お前が携えるを抜け。いいな?」


 エルファンの心臓を得るための陰謀と支配、その心臓を得る為に用いられる悍ましい方法、支配者の背後に存在する魔族。クエースの町を取り囲む絶望は、果て無き欲望と悪によって作られたもので、この町に生きるエルファンの女性は云わば宝玉を生み出す家畜。支配者はクエースの町に犠牲を強い、一つの町を心臓の生産工場と化したのだ。


 「しかしアイン、心臓を取り出すと言ってもどうやって? 制約がある以上それは不可能……いえ、そうか、それで!」


 「お前の考え通りだろう、薬による自死と四肢欠損による自然死、それは真面な精神状態なら難しい。だが、催眠状態であればどうだ? 四肢を斬り落とす際の抵抗の無力化も、自死を誘発することも可能だろうな。これが毒の一つであるならば、毒はもう一つ存在する」


 もう一つの毒……それは悪意と絶望による劇毒。不可視の毒はエルファンの心を殺し、破壊した。精神を侵し、一つの町を絶望に染め上げた毒は十年の歳月を経て町の隅々にまで蔓延し、立ち上がる者の意思と希望の一切を摘む。だが、毒は最後の最後に血清を与えてしまった。それは、逃げるという勇気を持つ者を生んだこと。


 逃げるという選択は臆病者の選択肢。だが、絶望が蔓延し、誰もが諦め挫けてしまった闇の中で、その選択は勇気の選択と化す。支配者に奪われ、失くしてしまったという思い込みを踏み越え、再度希望を拾い上げた者は勇気を胸に光を得た。


 毒を用いる者は知らねばならない、その効果を。毒を与える者は知らねばならない、その副作用を。毒を知らず、与えた者には破滅が訪れる。胸に抱いた野心は民の炎に焼かれ、怒りによって裁かれる。今がその時なのだ、民は、虐げられた者達は怒りを胸に、剣を取る。


 「毒は味を知り、効果を知ってこそ意味がある。それを知らずに使っている者には破滅と裁きが訪れる。毒とは諸刃の剣であり、長期的な計画には向かない代物だ。迅速に、的確に、毒を撒いてこそ敵は恐怖を抱き恐慌する。初めから間違っていたのだ、連中は。絶望を希望に変え、闇を照らす光が現れる事を計画に加えていなかった。だから変わる。この町と人は」


 坑道の脇道にある一室から、声と光が漏れていた。女性と子供の声、そして一人の男の声。アインは扉を蹴破ると、驚いたような目を一斉に向けたエルファンとディーン、そしてリーネを一瞥した。


 「選択するのはお前だ、サレナ。最後まで町の変化を見届けるか、町から去るか。俺はお前について行くし、お前がどんな選択をしてもその考えを尊重する」


 この場に居る全員がサレナを見つめていた。一言も喋る事も無く、ただ黙って彼女の言葉を待つ。

 重要な選択だった。己の一言で全てが変わってしまうような気がした。全員が覚悟の意思を宿した瞳をしていた。一つ、言葉を放っただけで彼女達は進み始め、支配者とエルファンのどちらかが倒れるまで、戦いは続く。そんな予感がした。


 「アイン」


 「何だ?」


 「あなたは私の騎士であり、剣。そうですよね?」


 「ああ」


 「ならば、命じます。あなたは私の剣となり、彼女たちの剣となりなさい。彼女達に剣を向ける者を打ち倒し、勝利の栄冠を掴み取るのです」


 「お前がそう命じるなら、俺は従おう。我が主、サレナに誓う。我は汝の敵を討つ剣也。剣は勝利と栄光を汝に捧げん。汝の思うままに、我を使え」


 この町を救うにはこの瞬間しかないだろう。全員の目が覚め、進み始めた時に剣を抜くしかないだろう。それが力を貸すと言った者の責務であり、意志なのだから。


 「エルファンの者よ、私の名はサレナ。リーネと共に町を救うべくして剣を抜いた者。私に意思を託しなさい、私に希望を託しなさい、私は汝らの意思と希望を統べ、悪を払うと誓う」

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