兵は駆ける。仲間の血が降り掛かった顔に汗を湛え、支配者が住む屋敷へ駆け込む。
屋敷のロビーでは煙草を吹かしながらポーカーに興じる兵と、輝きを失った瞳の女性を部屋に引き摺り込む兵とで、皆各々己が欲望に身を任せ、下品な笑みを浮かべていた。兵等は駆け込んできた一人を怪訝な目で見つめ、その血に濡れた顔を嘲笑う。
「お? どうした? エルファンどもを斬ったのか?」
「ち、違う!」
「ならどうしたよ? そんな化け物でも見たような顔でさ」
「ま、魔族、魔族が来た!! 霧の魔族が、黒い魔族が出たんだ!!」
「魔族ぅ? おいおい、この町には十年も魔族が現れていないんだぜ? いきなり魔族が来たっても嘘も程々に―――」
「違う、違う!! 本当に魔族が現れたんだ!! 剣を、いや、兵を!!」
必死に仲間に訴えようと、彼らは耳を貸さずにカード遊びを再開する。どうすればいいと、思考を巡らせている内に、屋敷にまた別の兵が駆け込んでくる。
「魔族が来たぞ!! 全員戦闘準備だ!! 早くしろ!!」
「またか? 何だ、今日は随分と気合が入ってるじゃねえか」
「馬鹿野郎!! もう十人以上は殺されてんだぞ!? 早く、早くしないと俺達も殺されちまう!! そうだ、デッシュ様に報告を!!」
デッシュ―――兵達を率い、町を支配する者の名を叫んだ兵は、ロビーを突っ切り階段を駆け上がり、デッシュの執務室へ飛び込んだ。
「デッシュ様!! 魔族が、霧に紛れて我々を襲う魔族が現れました!!」
窓から差し込む陽光を背に、黄金と宝石で飾られた鎧を着込んだ男、デッシュは影にくすんだ瞳を兵へ向け、歪な笑みを浮かべた。
「何をそう慌てている、魔族だと? 申してみろ」
「ハッ!! クエースにて魔族の出現を確認致しました!! 魔族は―――」
「いい、その魔族を貴様は自分の目で確認したのか?」
「は、ハッ!! 魔族は黒い甲冑を着た者でして、その戦闘力は―――」
黒い甲冑……友人が話していた力。
胸の内に欲望の炎が燃えた、燃え盛る炎は男の欲を刺激し、身を焦がす大火となる。
欲しい、力が欲しい、世界を握れる力があるのなら、聖王さえも殺戮し聖都を我が物と出来るだろう。欲しい、欲しい、欲しい―――。
「デッシュ様、我々は如何に致しましょう―――!!」
「……アレの準備は出来ているか?」
「アレ、とは?」
「エルファン共の心臓を燃料とした私の鎧だ。アレを起動する準備を進め、黒い魔族を探し出せ。私が討伐してみせよう、鎧の試運転を兼ねてだがな」
鎧という単語を聞いた瞬間、兵士の顔が青褪める。
「あ、あの魔導鎧は試作機であった筈です! それに、鎧に組み込まれている心臓の数は、人間が扱い切れる許容量を遥かに超えています!! 暴走する可能性を否定出来ません!!」
「構わん、私ならば大丈夫だろう。心臓の数? 許容量? 当てにならん推測だ、貴様は私と共に、早急に鎧の起動準備は進めろ。他は魔族の捜索だ。いいな?」
どれ程強力な魔族であろうと、屋敷の地下に眠る鎧に牙を突き立てる事など出来やしない。
黒甲冑とサクリフィウム、この二つが有れば世界を己の手に入れるは容易い事。圧倒的な力を以て魔族を蹂躙し、人を、人類を、生命を―――。
何を、どうするつもりだ?
おかしい、私は、人をどうするつもりだった? 人類の為に何をするつもりだった? いや、そもそも友人とは、誰の事だ? 私は何故友人の名を知らず、顔も知らない? 何かが、おかしい。
酷く頭が痛い。脳の中で何かが暴れるような感覚。薄っすらとした、蜃気楼にも似た光景が頭を過ぎる。闇に閉ざされたフードの奥の、魔の瞳が己を見据える。
取引ではない、これは我の望みである。汝は我の為に、我は我の為に在る。汝は力を欲している、我は力を与えられる。故に汝は我の為に悪を成せ。そう、我が主―――の為に。
「――――様、デッシュ様!!」
兵の呼び声が聞こえ、デッシュは思考を取り戻す。手は何時の間にか鍵を握り、地下へ続く扉の鍵穴を回していた。
「なんだ?」
「い、いえ、何度お呼びしても返事を返さなかったものだすから、機嫌が悪いのかと思いまして……」
「何でもない、付いて来い」
「ハッ!!」
何を思い出していたのか、何を思っていたのか、それ等は階段を下る事に曖昧となり、サクリフィウムが安置された部屋のドアノブを握った瞬間、泡雫が弾けるように消えた。サクリフィウム、魔導鋼で造られた鋼の城塞。ありとあらゆる試験的な技術が用いられた鎧は、各装甲内に組み込まれている心臓の鼓動と合わせるように、低い駆動音を地下室に響かせ、鎮座していた。
我が力にして、我が野望。生命と魔力を燃料として稼働する魔導兵器。試験機ではあるが、その性能は一機だけでも戦況をひっくり返す可能性を秘め、ある問題点に目を潰ればこれ以上無い殲滅兵器である。
「ほ、本当に起動するのですか?」
「勿論だ」
「で、ですが、これが暴走したら、我々は」
「……貴様もこれの一部となりたいのか? この心臓の一つに加わりたいのか? 申してみろ」
「いえ、そんなこと!!」
「ならば準備を進めろ、そう長くは待てんぞ」
「ハッ!!」
問題点、それは稼働時間と燃料、コストの問題である。サクリフィウムはその強大な力を振るう為に、人間であれば数百単位の生命と魔力を喰らうのだ。また、鍛造の為には人類領に存在しない鉱物を使用する。扱われる技術も現段階では試験中のものばかりであり、以上の問題を解決しない限り、戦場への投入と配備は難しい。
だが、友人は言っていた。サクリフィウムが現実的な運用段階に入り、戦場に配備さえすれば戦況は好転し、デッシュの地位と名声は確実なものになると。誰もが彼に跪き、命を捧げると、そう約束した。彼が王となる道を示すと、語った。
あと少しなのだ、あと一歩で願いが叶う。私と友人の願いが成就する。後は、黒甲冑をこの手に収め聖王を、あの狂った王を殺すだけだ。己が王に、玉座に座るのだ。
エルファンの犠牲と、サクリフィウムと共に。