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絶望を焚べて ③

 斬る、潰す、絞殺する。


 黒い霧に紛れ、時には姿を現し、集団で集まる兵士の一人だけ残して他は殺す。


 選別方法はその中で腕の立つ兵士を順に殺す事。弱い人間は直ぐに心を折られ、言う事を聞く傀儡となる。傀儡は剣士、アインの言うがままにの噂を流布し、己が仲間に毒を撒く。虚偽と真実を織り交ぜた劇毒は、クエースの支配者の部隊を生かして殺す悪の法。欺瞞と真を織り交ぜた毒花は、言葉を介して種を撒き、兵の心に根を張らせる。恐怖と絶望を。


 狡猾に、惨忍に、邪知深く、無慈悲に、敵の希望を焚べ絶望の狼煙をあげる。蔓延した毒は静かに、だが迅速かつ的確に敵の内部臓腑を腐らせ、死に至らしめる。


 知らねばなるまい、貴様らが撒いた毒の味を。知らねばなるまい、貴様らが蔓延させた悪の法を。知ってからでは、遅すぎると嘆く暇も与えない。悪を用いたならば、自らが悪に晒される覚悟を持て。広めろ、毒を撒け、毒を飲み下し、悶えるがいい。


 血に濡れた剣を手に、恐怖の色を帯びた兵へ毒を撒き続けたアインは、獣のような速さで路地や通りを疾走し、次々と兵の肉を斬っては首を断つ。獰猛な殺意を真紅の瞳に宿らせ、憤怒の剣を振るう剣士は、一度の跳躍で建物の屋根へ降り立つと剣を肩に担ぎ、クエース全体を見渡した。


 クエースの至る所に魔族の臭いを感じた。この臭いは昨日今日染みついた臭いものではない。五年、いや、もっと前から染みついた臭いだ。人間の悪意を隠れ蓑にした魔族は、邪法と姦計を巡らせ、町の支配者と呼ばれる人間の邪心を利用しているのだ。恐らく、毒の撒き方と支配の方法を唆したのは町に隠れる魔族によるものだろう。一人納得し、建物から飛び降りようとしたアインに強烈な殺気が飛ばされる。


 反射的に剣を振るい、迫った暗器を弾き落とす。続いて放たれた魔力の弾を叩き斬り、殺気を放った存在を視界に映したアインは静かに剣を構えた。


 「何者だ、貴様」


 黒いコートを風に靡かせ、笑顔の仮面を被った細身の男は一つアインに対して優雅に礼をすると、手品を見せるが如く虚空より小石を取り出した。


 アインの脳に警報が鳴り響く、アレは不味い、と。剣を突き出し、屋根から屋根へ飛び移りながら男へ突進したアインに、仮面の男はそっと呟く。


 手品をご覧に見せましょう。華々しい、炎の華が咲く瞬間を。


 刹那、爆炎と轟音がアインを包み込み、黒甲冑ごと彼を焼く。炎は甲冑の装甲を溶かし、爆発的な威力を伴い厚い鋼の装甲を砕く。鮮血を思わせる鮮やかな赤、血を煮え滾らせ、肉を焼く炎の華は彼を激しく抱擁した。


 魔族―――。敵が現れた。消える事の無い炎による激痛、真紅に染まった視界の中で、明確な敵意と殺意を感じ取る。そうだ、敵が居るならば殺さねばなるまい。牙を向けられたのならば剣を取らねばなるまい。戦わねばなるまい。


 炎に巻かれたまま足を進め、臭いと気配だけを頼りに剣を振るう。剣は男のコートの生地を薄く斬り裂き、屋根の瓦を粉砕するが、アインの歩みは止まらない。炎に焼かれ、視界が塞がれていようと、敵の存在を感じ取れるまでは彼の戦いは終わらない。


 甲冑、貴様は何時まで焼かれているつもりだ? 貴様は何時まで休んでいるつもりだ? 力を引き出せ、感情を喰らえ、魔力を回せ。貴様の持ち主は何時貴様にと言った? 


 甲冑が悲鳴を上げて霧を吹き出し、炎を飲み込み消化する。アインの内で渦巻く殺意、憎悪、憤怒の感情を燃料とし、爆発的に魔力を生産させると甲冑の損傷部位とアインの傷を瞬く間に修復した。


 「魔族、殺してやるよ」


 剣が嘶き黒い輝きを発する。剣より溢れた影は、地を滑り魔族を取り囲むと一斉に幾本もの杭を形成し、刺し貫かんばかりに撃ち込まれる。この間三秒。敵に迎撃の機会を与えず、滅する為の殺意の意思を乗せた杭は、魔族の肉体を隙間無く刺し貫くが、それでも足りないとばかりに何度も何度も撃ち込まれる。


 この魔族はこれでもまだ殺しきれない、殺すにはもっと破滅的な力が必要だ。剣の力を引き出せ、この魔族を殺し切る力を顕現させろ。そうだ、あの魔女が言っていた力―――を扱えればこの魔族を殺し切れる。誓約は力、ならば誓った誓約はサレナの剣であり、騎士であること。このはサレナの未来を阻む可能性を持つ存在。これを斬るのは、俺の役目だ。


 意思に願いを、奇跡を己に。敵の絶望を焚べ、破滅を齎す力を。


 「……今回は此処までにしておきましょう、貴男との戦いは採算に合いません」


 男は面倒そうな声色でそう言い放つと、肉体を羽虫に変えて杭の拘束から抜け出す。逃げるつもりだろうか? だが、そうはさせない。


 剣と甲冑が軋むほどの力が黒い刀身に収束する。破滅的なまでの殺意が甲冑より溢れ、悍ましいほどの憎悪に刃が濡れる。灼熱たる憤怒は黒き炎を吹き出し、アインを包み込むとその力はある一つの概念を形作る。


 それは。ありとあらゆる光を飲み込み、噛み砕き、塗り潰す。による死の概念は、彼の纏う炎と共に剣より放たれ、幾万の羽虫を焼き尽くし、斬り刻んだ。


 「……」


 黒炎を振り払い、空を睨んだアインは小さく舌打ちすると剣を背負う。


 殺し切れなかった、彼の魔族は肉体の大部分を犠牲にしながらまんまと逃げおおせ、命を細い糸のようにして繋いだ。己の不始末に怒りを滾らせ、屋根から飛び降りたアインは路地を駆け出す。


 魔族の臭いを辿って殺し切る選択は可能だが、毒の効果を待つ方が優先か。時が来たならば支配者の兵は毒が臓腑を腐らせ、死を免れない事実に気が付くだろう。毒の根源を探しだす為に己を探し始める筈だ。その時が毒の花が開花する瞬間であり、クエースの分岐点であると予測する。


 刻々と進む時間の中で、アインは駆ける。剣を担ぎ、霧を纏い、駆けるのだった。

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