彼は、どうしてここまで私を信じてくれるのだろう。
彼は、どうしてここまで私の強さを信じているのだろう。
灼熱の殺意と爆炎のような憎悪、煮え滾る憤怒。何に向けて殺意を放っているのか、何を憎み、怒っているのか。アインの瞳はサレナの瞳の奥を―――心の奥底を見据えていた。
私は彼のように強くは無いし、戦う力を持たない人間だ。町を覆う悪に怯え、恐怖し、竦んでしまう。だが、私を求め、希望と未来を求める者の前では強い人間であろうと、偽りの仮面を被る本当は誰よりも弱い人間だと自覚している。
「私は……あなたが思うような強い人間ではありません。頑張って、自分を無理矢理立ち上がらせているだけに過ぎません。誰かの前では仮面を被り、誰かの前では強くあろうとして、そう振舞っているだけです。アインは、そんな私でも強いと言えるのですか?」
「言える」
「即答ですね、どうして?」
「サレナ、人は戦うだけでは生きていけない。ただただ戦い続け、血に濡れて、止まらずに進み続けたとしても、何時かは倒れて心が死んでしまう。お前は戦う力がある者が強者と言うのか? 違うだろう? お前の本当の強さは、苦痛や禍を背負った者を癒す事にある」
アインの手が、サレナの頭を、髪を優しく撫でる。
「肉体的な癒しだけでは、心は罅割れ砕けてしまう。精神的な癒しだけでは、人は死ぬ。俺が一本の剣だとしたら、お前は成長過程にある樹だ。その樹はまだ世界を知らず、小さなもの。
だが、その樹の周りには癒しと希望を求める者達が集まり、樹は世界を知るだろう。より広く、より大きく、疲れた者を癒す為、希望を求める者を探す為、樹は世界で誰よりも大きくなる。
誰かに寄り添い、誰かを癒し、みんなの為に太く大きく成長する。サレナ、お前は自分が思っている程弱くない。誰よりも強くなれる可能性を秘めているんだ」
「……意外と」
「何だ?」
「意外と、理知的で人の事をよく見ていますよね、アインは」
「戦いにおいて敵の強さ、癖、動きを見る事は重要だ。見ねば戦えんだろう?」
「違いますよ、その、アインは言葉遣いや雰囲気は乱暴ですけど、本当は誰よりも優しくて人の事を信じているのでしょうね」
「お前がそう思うのなら、そうなのだろう。自分の事は分からん」
「そういう事にしておきましょう。……みんな、分かってくれたらいいですね。みんながみんなを認め、ぶつかり合いながらも希望を胸に進む未来が。終わらない戦いが無い世界があってもいいと」
「そう望むなら動くべきだ、お前なら、サレナなら出来るだろう」
サレナと己以外の生命は人類魔族問わず肉塊と称し、必要とあらば、剣を向けられたならば問答無用で斬り殺す黒甲冑の剣士。彼は己が内の殺意、憎悪、憤怒を隠す事無く相手に向けるが、内面は実に理知的な者だった。
サレナは気付く、アインが肉塊と称していた者を
「サレナ、先に行け。あの肉塊が気になるのだろう?」
「ええ、行ってきます。それと、その、アイン」
「何だ?」
「また、挫けそうになったり、転びそうになったら、頼ってもいいですか?」
「……勝手にしろ」
サレナはリーネとディーンが向かった部屋へ駆け足で向かう。その後姿を眺めたアインは、窓から屋敷の外へ飛び出し剣を抜く。
己を観察する不可視の視線、それは巧妙に隠された術によるもの。クエースの支配者によるものか、それともまた別の存在によるものか。身体全身を舐めるような不快感、許可を下していないにも関わらず己に触る嫌悪感。アインは剣を振り上げ、不可視の線を断ち切り、殺意を滾らせる。
これは人間の魔力ではない。洗練された魔力の棘。魔族が居る、魔族がこの町に根を張っている。人間と思わせる皮を被った魔の生命。アインは狂気に染まった瞳で駆け出すと、路地へ突っ込む。
霧の魔族、己が流し、伝播させた嘘を真実にせねばなるまい。悪を纏い、毒を垂れ流す者に、その毒の効果を理解させねばなるまい。狂気的な速度で己を視認した兵の首を跳ね、爆発的な感情により溢れた魔力を霧のようにして霧散させ、兵の死体の山を築く。
兵の絶望を毒とし、希望の狼煙をあげる為、アインは血に濡れる。
…………
……………
………………
………………
……………
…………
襤褸のようなシーツが敷かれたベッドの上に、規則正しい寝息を立てながら眠る女性が居た。
「サレナさん、これでいいだろうか?」
「はい、大丈夫です。ディーンさんは部屋の外に出てもらっても構いませんか?」
「それは―――」
忍び、気を張っている時には気が付かなかったが、女性の衣服は無残に破かれ白い肌が露わになり、身体の至る所から血が流れ出ていた。
「そうだな、うん、出ていこう」
「ありがとうございます。リーネさんは私の補助をお願いしても宜しいでしょうか?」
「え? その、私、魔法なんて」
「エルファンの者、それも女性ならば他者と魔力を同調させ、強化と安定化を促す能力がある筈です。大丈夫、私の呼吸に合わせ、魔力を引き出すだけ。初めて行うならば良い経験にもなる筈です。お願い出来ますか?」
「えっと、その」
私なんかが出来るのだろうか? 確かにエルファン、それも女性ならば他種族の魔力に同調し、強化と安定化を促す事も出来る。だが、それは魔力を扱いなれている者が出来る芸当であり、一度も魔力や魔法を扱った事が無い者には難しい技術である。
「私が魔法を発動させ、あなたが私の魔力を安定化させる。この感覚を覚えていれば、今後魔法を扱わなければならない場面がある時、直ぐに術を発動出来ますし、応用が利くと思います。どうでしょう? 挑戦してみませんか?」
差し出された手を、握るかどうか迷う。
サレナの瞳を見ると、その目は自分を信じている者の目であり、必ず出来ると疑わない者の目だった。
此処で立ち止まるのは簡単だ、簡単だからこそ諦めと傍観は容易で、その感覚に流され続けて今がある。だが、進まなければならない。今を変える事が出来るのは自分だけであり、自分が進まなければ未来と希望は掴めない。リーネは自分の頬を叩き、覚悟を決めるとサレナの手を取った。
「息を合わせて、そう、私の魔力と同調し、自分の魔力を引き出して」
サレナが杖を握り、女性に術を唱える。白い光が女性を包み込み、傷を癒すと体内の毒性物質を取り除く。
温かい魔力が流れ込んでくる感覚を覚える。その魔力は透き通った青空を思わせる魔力であり、母の手のように温かい。旅に疲れた旅人を癒す大樹のような、道に迷った者を導く篝火のような、全てを包み込み迎え入れてくれる魔力の大空。人外染みた膨大な魔力量、上下左右が意味を無くし、精神だけが浮遊しているというのに何処に向かえばいいのかハッキリと理解できる。優しさと癒しの魔力は、意思と希望、光を携える星の導きが如くリーネに魔力の道を指し示す。
「……はい、もう大丈夫です。手を離してもらっても構いませんよ」
「……」
「リーネさん?」
「―――ッは、はい!」
「大丈夫ですか? 頬が赤いようですが、熱はありますか?」
「い、いえ! その、サレナさんの、魔力が、綺麗で!」
「そうですか、大丈夫なら良かった。流石はエルファンですね、もう魔力の姿形を捉えるなんて。私は二年ほどの時間を要したのに、リーネさんはこの短時間で習得なされるとは、あなたは魔法の才が長けているのかも知れませんね」
穏やかな微笑みを浮かべたサレナは、慌てて手を離したリーネの姿に少しだけ笑い、杖の先に溜まった赤黒い液体を見据える。
「サレナさん、それは」
「分かりません、分かりませんが、これは有害な物質に間違いないでしょう。書を紐解き、解毒方法を探る必要がありますね」
「書? 解毒方法?」
「少々お待ちを、これは非常に強力な催眠効果を含む物質。有害な部分は魔力で構成されているようですので、魔力を除去して保管した後廃棄します」