綺羅びやかな鎧を着飾った男は、指で机を軽く叩き、保存液に浸かった
初めて自分の手で取り出した
死して、永劫に輝く宝玉。コレを言い表す言葉に、これ以上のものは無いだろう。魔力操作、魔法の才に長けたエルファンの心臓は、強い感情の発露を魔力に変換し、己が心臓貯め込む。心臓は云わばエルファンの魔力貯蔵庫であり、様々な魔導具の製作素材となる宝玉だ。
莫大な富を齎す心臓に、欲に塗れた瞳を向けた男は、帳簿を開くと出荷と生産の記録を記入し、今後の予定を書き入れる。
明朝、友人との打ち合わせの後、素材を出荷。新たな素材を生産する為、儀式を用いた素体生産を実施。
聖都から遠く離れたこの地で、欲を発散しながら富を得る。これ以上に楽な仕事はあるだろうか? いや、無い。
戦場で死に怯える事も無く、血を流しながら剣を握る必要も無い。魔族の圧倒的な力に、強者の振るう力に劣等感を覚える必要も無い。この町は己の楽園であり、支配を確立させた
手足となる兵には猟犬の役割を与え、獰猛な獣性を飼い慣らす餌をやる。富を生み出す金のダチョウには、魔力を生産する為の絶望を与え続ける。
支配とは、恐怖と暴力を以て意思と希望を殺す事。抗いには剣を、反逆には更なる圧政を、逃亡には矢じりを。希望を焚べ、絶望を燃やす。支配とは、悪を成すことに他ならなぬ。
惨忍に、狡猾に、人を蝕む毒を撒く。毒は不可視の劇薬にして、空気のような透明さを持つナイフである。それ即ち、毒とは人の意思であり、ナイフは悪意。言葉を介して傷を開き、悪意をもって毒を仕込む。絶望の毒は精神と心を侵し、人は生きたまま死ぬのだ。目には見えない毒故に、不可視。友が教えてくれた劇毒は、実に効果的にエルファンの結束を破壊し、心を殺してくれた。
男は椅子にもたれ掛かり、深く息を吸う。
そう言えば、兵の報告の中に奇妙な話があった事を思い出す。顔面蒼白で狩りから戻った兵が言っていた話。黒い魔族の話。
その魔族は黒い剣を持ち、異形の甲冑と異貌の兜に身を包んだ者だったらしい。自分の目で確認していない為、本当の話かどうかすら怪しいものだが、ふと、友人の助言が頭を過ぎった。
黒甲冑は貴方の力となりましょう、その力は強大無比な死の力。それさえ手に入れれば世界を握るのも容易い事。アレは、貴方にこそ相応しい。
口の端から笑みが溢れる。そうだ、強大な力は己にこそ相応しい。欲しい、欲しい、欲しい―――。
ゆらりと、影が揺れた。
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………………
………………
……………
…………
その日、破れた衣服を繕っていたエルファンの女性は、朝霧の中を歩く集団を見た。一人は何時も門の外で酒を呷る飲んだくれの衛兵の姿であり、彼が町に入るなんて大変珍しい事だと思ったが、後の六人を視界に収めると女性の目は大きく見開かれた。
人間だ、それも一人は見るも麗しい少女の姿であり、もう一人は見るだけで気が狂いそうになる甲冑を身に着けた巨躯の剣士。そして、その後ろを歩くは逃げ出した筈の四人の少女達。女性は繕っていた衣服を床に放り投げ、駆け足で煉瓦造りの家から飛び出ると衛兵、ディーンの前に膝を着き、額を地面に擦り付けた。
「に、人間様、どうか、私の娘を」
素早く女性の身体を抱き上げたディーンは彼女を元の家の中へ押し込めると、後ろの一行へ入るよう指示を送る。
「静かに。話は後だ、家の中に兵は居るか?」
必死に首を横に振った女性に対し、安堵したような息を吐いたディーンは「この家の娘は居るか?」と問い、おずおずと手を挙げた少女を女性の前に歩み出させる。
「あぁ、ルーン! 私の大事な娘……どうして、どうして逃げなかったの? どうして戻って来たの? あなたは」
「感動の再会は後にしてくれ。すまない、家の地下通路は生きているか?」
「―――何故、それを?」
「表立って行動出来ない理由がある。この娘達を無事に親元に返してやりたい。頼む、教えてくれ」
「……それは、出来ません」
「……俺が、人間だからだろう? 俺と同じ人間の兵士が町でどんなことをして、どんな悪を招いているか知っている。
信じて欲しいとは言わない。俺だけが違うとも言わない。だが、一つだけ信じて欲しい。
俺は贖いたいんだ、悪に屈し、堕落して見て見ぬフリをした自分を。俺が信じられないなら貴女の娘の話は信じてくれ、計画を書き記したメモを渡している」
「……メモ?」
次だ、そっと扉を開け、周囲の様子を確認する。
霧が出ている内に終わらせたい。朝であれば酒に酔った兵は寝ているし、女と寝た兵は起きていない筈。少女達を家に帰し、計画の下準備を済ませる時間が惜しい。
「……大丈夫だ、行こう」
「ま、待って下さい、人間様」
「……すまない、待つ時間すら惜しい。もし、信じてくれるならメモの通りに行動してくれ。目指す場所は、地下魔石採掘所第三休憩室だ」
一人、先に家から出て安全を得た上で残った五人を誘い出す。
「ディーンさん、随分と慣れているのですね」
「これでも以前は偵察、強襲部隊に身を置いていたんだ。非戦闘員の誘導くらいなら何とかなる」
「素晴らしい技能をお持ちなのですね」
「技能があっても使わなきゃ腐るだけ。もし俺がトチって兵に見つかったら口裏を合わせてくれ、切り抜ける術は持ち合わせている」
人類統合軍正規兵の鎧を着ていても、ディーンの身の熟しは素早く、常に死角の中を移動しているものだった。建物の影から影へ移動し、人気の無い裏通りを熟知した進路。彼の頭の中には二年間向き合った町の地図と情報が詰め込まれており、町の兵は気になどしない地下通路の複雑な経路図も一本一本正確に記憶されていた。
残った少女達の内、家に帰した人数は二人。掛かった時間は二十分。一人十分の計算であるが、町の至る所に配置された兵の目を掻い潜り、遠回りをしても一人頭十分であるのならば優秀な部類だ。
「残るは一人、リーネさんだったかな? 大丈夫、家に帰してやる」
「……」
「どうした?」
「……いえ、何でも、ないです」
霧が晴れてくる、次第に町は建物の形をハッキリと象り始め、心なしか兵の数も増えてきているように感じた。
「―――止まってくれ」
身を潜め、息を殺しながら路地を見る。
四人の兵が息も絶え絶えな女性を嬲っていた。剣を突き出し逃げ道を塞ぎ、ナイフを投げては身体の何処の部位に当たったのかを点数を付けて競う。血に濡れ、地を這う女性は虚ろな瞳で空を仰ぎ、無表情で涙を流していた。
どうする、動くべきか? いや、リスクを冒して一人のエルファンを助けて計画を台無しにするつもりか? どうする、どうする――――。
「……アイン」
「何だ?」
「あの方を助けて下さい、兵はなるべく殺さないようお願いします」
「ああ、任せろ」
建物の影からアインが歩み出し、兵の前に姿を晒す。
「な、何を―――」
「迷っている場合ではありません」
「だが―――」
「救えるのなら、助けられるのなら、持てる手札を切るべきです。私はこの町の人に助けを、力を貸して欲しいと頼まれました。ならばアインという剣を抜く時が、今です」
兵達の罵声と恫喝の声、アインは無言で的確に人間の急所を殴り、踏み潰す。声もあげさせない、音も立てない、必要なのは迅速な攻撃と制圧のみ。殺さない選択を取り、敵を潰すには意識を奪う方が効率がいい。だが、それでは意味が無い。瞬く間に三人の兵の意識を刈り、呆然とする一人の頭を鷲掴みにしたアインは、そっと耳元で囁く。己の存在を、敵にとっての