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心臓と宝玉 ①

 朝霧に紛れ、森を歩く。


 冷たい空気が独特な匂いを鼻孔を刺激し、清涼な空気が喉を通って肺に溜まる。


 暫く進み、森を抜けると舗装された道に出たサレナとアイン、リーネと少女達一行は道に沿って歩みを進め、高い壁に囲まれた町に辿り着く。


 クエースの町、過去は魔石採掘業で名を馳せた地下炭鉱街。クエースは朝霧に包まれ、眠るように静まり返っていた。町の喧騒も、人の営みの音も、全てが沈黙した町。一行は巨大な門に辿り着くと、門番と思われる酒に酔った二人の衛兵に話しかけた。


 「朝方に申し訳ありません、私達は旅の者なのですが、クエースの町は門を開いているでしょうか?」


 紅潮し、半分閉じた眼をサレナに向けた兵は、瓶に入った酒を一口呷り、酒臭い息を吐きながら笑う。


 「あーあー、魔族警戒中だからよ、門は閉じてる。ん? いやいや、嬢ちゃん、いや、嬢ちゃん達なら構わねえ。だが」


 後ろの剣士はダメだ。アインを指差した兵はゲラゲラと笑う。


 「女子供は通ってよーし、だが男はダメだ」


 「何故ですか?」


 「何故って? 男を通す理由があるのか? 嬢ちゃんが俺達の相手をしてくれるなら考えてやらんでもないがね」


 「相手とは?」


 「酒を注いで俺達を楽しませろ、剣士さんはその間どっか行っててくれや。なーに、事が済んだら帰してやる」


 色欲に染まった目で少女達を舐めるように見た兵は、酔いどれながら立ち上がるとサレナに手を伸ばすが、その手は黒い鋼に握られ悲鳴を上げる。


 「いで! いででで!!」


 兵の手首の骨を小枝を折るが如く簡単に圧し折り、痛みに悶える兵の後頭部を殴り、意識を奪ったアインは剣を抜いたもう一人の兵を首を鷲掴みにする。


 「か―――あ」


 「門を開けろ、開ければ命までは奪わん。だが」


 門を開かず仲間に知らせてみろ、他の肉塊諸共殺してやる。徐々に力を込め、骨が軋んだところで一度力を緩め、空気を吸わせ、もう一度首を絞める。


 「―――」


 「言葉に出来んか、なら頭を振って答えろ。門を開けろ、いいな?」


 兵は必死に頷く。酸素が回らなくなった頭で、余計な事は一切考えずに答える。


 「よし」


 アインの手が首を離し、地面に倒れ、激しく咳き込む兵は剣を握り剣士に斬りかかる。しかし、兵の剣は甲冑に僅かな傷を付けるだけに終わり、刀身の方が折れる。


 「は?」


 再び首を掴まれ宙吊りにされる。今度は不規則な首の絞め方であり、地上で溺れるような感覚が兵を襲う。意識を奪われそうになれば、その寸前で酸素が脳に回るよう力が緩められ、その瞬間また首を絞められる。拷問道具を必要としない簡単な拷問。アインの籠手をガリガリと爪で引っ掻き、爪が剥がれようと掻き毟る。手が血だらけになり、痛みが痒みに変わる。


 「門を開けろ」


 朧気になる意識の中で、頷く。身体が放り投げられ、息をしているのか、していないのか有耶無耶になる。手が痛み、両手を見ると鮮血に濡れていた。血が、流れ出ていた。


 「大丈夫ですか? いま治療します」


 両手が握られ、温かい光が溢れる。サレナの術は兵の傷を癒し、血を止める。


 「申し訳ありません、私の騎士が暴力を働いた事に謝罪します。お願いします。門を開いて下さい。私達はクエースの町に入りたいだけなのです」


 「何で、俺を、治した」


 「私の騎士の不始末は私がつけます。それに、痛そうでしたから」


 「……」


 魅入ってしまう程に美しい金色の瞳だった。


 その瞳には一切の穢れが含まれておらず、濁りの無い聖火のような意思が見えた。己が無くした意思を想起させる純粋な瞳。美しく、綺麗な瞳。


 「……おい嬢ちゃん」


 「何でしょう?」


 「町には入るな、これは忠告だ。此処は、アンタみたいな娘が来ていい場所じゃない」


 「町の惨状は逃げ出した少女達から聞いています」


 「なら尚更駄目だ、俺は、アンタが酷い目にあう姿を、見たくない」


 「……それでも行きます。行かなきゃいけないんです。それに、大丈夫です」


 「何でそう断言できる? 見ただろ? もう一人の粘っこい目を、欲に塗れた業突張りの目を。何が大丈夫だ、何が行かなきゃいけないだ、アンタは何も知らないからそう言えるんだ。駄目だ、行かせない」


 立ち上がり、折れた剣を握る。


 何時からだろう、兵士に志願した理由を忘れたのは。何時からだろう、あの意思を絶やしたのは。何故、守りたいと願った筈なのに、強くなりたいと祈った筈なのに、堕落してしまったのだろう。

 ああ、その理由がよく分かる。


 唯一絶対の強者を目の当たりにし、自分がちっぽけで矮小な存在だと思ったからだ。有象無象の砂粒と己を断じてしまったが故に、その群れの一部であろうと思ってしまったから諦めた。努力を止め、歩き方を忘れてしまった。


 恐怖を押し殺し、息を整える。


 剣の柄を握る手は情けなく震え、強大な剣士へ立ち向かう意思は幼子の竦んでいる。だが、立ち向かう。剣を振り上げ、恐怖を断ち切るために、足を進める。


 残った剣の刃がいとも容易く握られ、砕かれた。だが、それでも進む。己の手は生きている、己の足は地を蹴っている。だから、まだ戦える。どれだけ矮小で脆弱な存在でも、折れた意思を紡ぎ、拳を握る。


 「もういい」


 「……ッツ!!」


 「貴様は門を開け、此処から先は俺が彼女達を守る。退け」


 剣士の瞳が向けられただけで冷や汗が吹き出し、熱という熱が奪われたかのような感覚を覚える。


 「何で、何でアンタらは進めるんだよ、怖くないのか? 恐れていないのか? 町の惨状を知っていて、何で……」


 「恐れてばかりでは進めません、怖がってばかりでは歩けません。けど、未来を、希望を掴むのなら、進むしかないのです。それに、立ち止まっている方がもっと恐ろしい」


 長く立ち止まれば、歩き方を忘れてしまう。恐れ、怖がってしまえば、その先の未来には辿り着けない。だから、進まなければならない。希望を掴み取る為に。


 「……なぁ、俺も、いや、ちょっと待ってくれ」


 水瓶を取り、中の水を頭から被る。


 冷えた水の冷たさと共に、頭に回った酒を抜く。そうだ、進まなければならない。此処で燻ってなんていられない。堕落と欲望に身を任せてはならない。己も、歩き出さねばならない。その為の意思だ、その為の命だ。


 両手で頬を叩き、一発力の限り頬を殴る。ケジメをつけねばなるまい。兵は真剣な面持ちで人類統合軍の敬礼を一行に示すと、門を開くための装置を引き、開けた。


 「通って良し!! だが、条件がある!! 聞いて欲しい!!」


 「何でしょう?」


 「俺も、同行させてくれ!! 一般兵であるが、中で動くのなら監視役の人間が必要だ。だから、俺を貴方達と共に動く許可をくれ!! それが条件だ!!」


 「えっと、少し待って下さいね」


 敬礼の姿勢から微動だにしない兵を他所に、サレナの視線はアインと少女達へ向けられた。


 一人は興味が無さそうに小さく首を縦に振り、四人は懐疑に満ちた視線を兵に送る。


 「兵士さんは何故そんな、心変りを? それに、あなたの名前は」


 「我が名はディーン!! 人類統合軍所属、聖都ウルサ・マヨルの者!! 道を見つける為、同行したい!!」


 「ディーンさん、私の名はサレナと申します。その、大変嬉しい申し出なのですが、他の兵に話をしなくても大丈夫なのですか?」


 「構わない。裏切り者と誹られようと、臆病者と非難されようと、もう止まりたくない。俺は、二度も俺を殺したくないんだ」


 そうだ、俺は俺自身を殺したくない。もう二度と、立ち止まりたくないから剣を握るんだ。


 「町の中は堕落した兵で溢れている。俺が貴方達の身の安全を保証し、行動できるように動く。だから、今だけは信用して欲しい。エルファンの娘も、どうか、頼む」


 ディーンは頭を垂れ、背を直角に曲げるとサレナの答えを待つ。信用されず、信頼も得られなくとも構わない。己は己の目を覚まさせてくれた者を信じ、仕えるだけ。


 剣を、意思を、この者に。

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