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捨てて、拾い上げたもの ①

 「そうか」


 「あの、その、話が!」


 「俺に言うな、サレナに言え」


 突き放すような冷たい言葉を投げ着けたアインは、リーネの横を通り過ぎ、土の上に胡坐を掻いて座った。


 「アイン、そんな言い方をしなくても」


 「意思があるなら自ずと歩みを進めるだろう。俺はお前の為なら幾らでも剣を触れる。だが、知りもしない他人の為に剣を振るなんざ真っ平御免だ。それに、俺とお前は旅の途中だろう? こんな場所で寄り道をしている暇は無い筈だ」


 「旅の途中、確かにそうですね。ですが、話を聞く暇くらいならある筈ですよ? えっと、リーネさん、此方にいらっしゃって下さい。ご飯でも食べながらお話をしましょう?」


 椀に汁物を入れ、差し出したサレナはリーネを刺激しないよう顔に笑顔を浮かべ、食事の席に招き入れる。


 「お口に合うか分かりませんが、腕を振るったつもりです。おかわりもありますから、遠慮なさらずに食べて下さい」


 剣士が言った少女、サレナ。白銀の美しい髪と、剣士と同じ紋章が刻まれた左目。金色の瞳はリーネを映し、焚火の炎を宿していた。


 この少女と自分の年齢はそう変わらないだろう。年相応の幼さと成長過程を踏む大人の色が混ざり合った顔、身体は小柄であるが、全く成長していないわけではなく、服の上からでも確かな膨らみが見受けられる。少女と女の境界線に居るサレナへ視線を向けたリーネは、彼女から椀を受け取ると膝を折って地面に座った。


 「……ありがとうございます、人間、様」


 「サレナ」


 「え?」


 「私の名はサレナと言います。人間様ではありません」


 「し、しかし、そう言わないと、人間様は」


 「……あなた方がどういった環境で過ごしてきた私には分かりませんし、どのような扱いを受けて来たかわかりません。ですが、名を呼ぶ行為は人を人とたらしめるものです。人の名を呼び、言葉を交わす。私はあなたに名を呼んで貰いたい、あなたの言葉を聞きたい。だから、私の名を呼び、あなたの名を教えてください」


 こんな事を言う人間を見たのは、初めてだった。名と言葉に意味を求め、互いに言葉を交わしたいと話す人間はサレナが初めてだった。


 リーネの知る人間は支配と欲望を隠さない獣のような存在だった。媚び、へつらい、支配者へ行動を示さない町のエルファンをの人と思わなぬ無法の輩。意思と自由を禁じ、圧政と弾圧を敷く者達。彼女が知る人間とは、悪を良しとし、悪を利用するものだった。


 「サレナ、様」


 「サレナで十分ですよ?」


 「サレナ、さん、私の名は、リーネと申します。この森の近く、クエースの町に住む、者です。その、お話をしても、宜しいでしょうか?」


 「ええ、構いません。宜しくお願いします、リーネさん」


 「……単刀直入に、言います。サレナさん、私たちの、クエースの町を、助けて下さい」


 「助ける? それは、あなた方を追っていた者達と何か関係があるのですか?」


 言葉を並べろ、思考を回せ、此処で選択肢を誤ってはならない。落ち着け、冷静になれ。


 「私達の町は、十年間、無法の悪に囚われています。悪に反逆し、剣を持った者達は、全員死に、残された女子供は、常に支配者に蹂躙されています」


 「悪、とは?」


 「悪、それは、人間。人間の軍隊が、町を支配しています」


 「人間の軍隊が? 何故人間の軍が同じ人間領の者を支配しているのですか? それに、同族殺しの制約がある中でどうやって殺しを?」


 「四肢を切断しての、自然死。薬を用いての、自死の強要。人間は、殺しの知識に長け、熟知していました。装備も、練度も、人員も、何もかもが相手が勝り、私達は、奪われ続けています」


 ありありと浮かび上がる死体の臭い、両親の死体を埋める自分を嘲笑う人間達の姿、狩りと称して死なない程度に弓を射る人間の姿、家に押し入り凌辱と恥辱の限りを尽くす醜悪な姿。怒りと憎しみ、悲しみと痛み。身体を弄ぶ手指の感触が、異物が入り込む感覚が、拒絶と苦痛が、精神を蝕む。


 「私達が持つ情報を、全てお話します、あなたが望む分だけの報酬をお渡しします!だから、どうか、私達を、町を、お助け下さい!」


 それは心からの叫びであり、救いを求める者の声だった。


 抑圧され、弾圧された者が、精神を縛る鎖を引き千切らんとする意思の芽生え。手を伸ばし、僅かな希望を掴み取らんと必死に藻掻く様は、尚も美しい。


 「リーネさん」


 「……はい」


 「町は、人間は、あなたが言う悪は、私一人の力では変える事が出来ないでしょう。私は何かを変えるにはあまりも無力であり、小さい存在です」


 「……」


 「人は何かを変えるには意思を持たなくてはなりません。どんな意思でも構わない、変える意思を持つ事が重要だと思います。

 希望を求め歩む意思、救いを求め手を伸ばす意思、絶望を払わんとする力を求める意思、それは未来の為に必要なものなのです。

 私の個人的な感情と意思はリーネさんと町を救いたい。ですが、私一人では救えません。みんなが、あなた方一人一人が立ち上がり、立ち向かわねばならないのです。

 本当の救いと希望は、一人の人間が与えるのではありません。みんなが自分で変える意思を持ち、手に入れるべきだと思います」


 優しい声色で語ったサレナは、リーネと少女達を真っ直ぐに見つめる。


 「リーネさん、あなたの身に降り掛かった恐怖と絶望を私は知りません。知りもしないのに、勇気を振り絞って話してくれた言葉を蔑ろにするつもりはありません。私は、あなたが踏み出した勇気に敬意を表します。恐怖を踏み越え、逃げずに助けを求めたあなたの意思に応えたい。応えたいからこそ、あなたは周りの者にも示さなければならない。自らの意思と希望を、未来の為に」


 リーネは視界に少女達を映す。


 怯える者、恐怖する者、憎む者。三者三葉の感情がを映した瞳が己を見つめていた。


 誰だって恐れている。心に刻まれた恐怖を拭えずに、足を止めている。


 誰だって怖がっている。敗北し、奪われ失っている事実に、慣れてしまっている。


 誰だって憎んでいる。蹂躙と凌辱に、耐え難い屈辱に囚われている。


 自分だって足を止め、感情を殺し、暴虐に慣れてしまっていた。思考を止め、枯れ木のように生きているのかも、死んでいるのかも分からない状態に陥っていた。だが、それでも、生きていたい、死にたくないと思ってしまう。命が希望を渇望して止まないのだ、未来に進むための意思が死んでくれない。

 「……みんな、少しだけ、話を聞いてもらってもいい?」


 話さねばならない、思いを言葉にし、みんなが立ち上がるために。


 「みんな、人間、ううん。町の支配者に、酷い事をされたよね? 温かい生活も、安らかな日々も、無くしちゃったよね? 抵抗する意思も、抗う意思も、全部、無くしちゃった? 違う、違うんだよ、無くしたんじゃない、自分たちで捨てたんだ。無くした、奪われた、そんな風に思い込んで捨てたんだ」


 「馬鹿言わないでよ! アイツらが、人間が、私達から奪ったんだ! だから私達は失ったんだ! そうでしょう!?」


 「……違うんだよ」


 「何が違うっていうの? そうでしょう?」


 「……じゃあ、何でみんなは逃げ出したの? 奪われたのに、失ったのに、何でみんなは逃げ出そうとしたの? 違うんだ、みんな奪われていないんだよ、自分から捨てて、また拾い上げたから逃げ出したんだよ」

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