目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
胸に祈りを、意思に願いを、奇跡を己に

 魔女は多くを語るが、真に迫る言葉は決して話さない。


 虚言を吐かず、真実も吐かず、言葉にするは混迷とした霧と晴れた空のような、そんな曖昧な言葉の羅列。千年前に結んだ誓約の鎖は、魔女の喉を硫酸で焼くように、脳を麻酔薬で麻痺させるように、その英知を内に縛り、虚ろな希望と影のような絶望を代償として与え続ける。


 曖昧で混迷とした霧に包まれるような助言。知っているからこそ教えるし、知っているからこそ惑わそう。迷い、挫け、立ち上がり、また進め。その先にある希望を自らの手で掴み取り、己が真実を見つけ出せ。絶望を越えた先に在る未来を、希望を、光を手にして欲しい。魔女自身が手放し、託した未来を見つけて欲しい。


 カロンは言葉に祈りを込め、その者の意思に願っているのだ。歪みを正し、過去の過ちを清算できる能力を、力を求めているのだ。


 「……騎士殿、名は何という」


 「アイン、サレナがくれた名だ」


 「……聖女殿、名はなんという」


 「サレナ、母がくれた名です」


 「アイン、サレナ。うん、確かに覚えた。実に覚えやすい名だ」


 ああ、だから私はこの二人にを重ねたのか。


 運命とは唾棄すべき事柄であるが、その運命が奇跡を成したのならば、今だけは愛してやろう。カロンは優し気な目で二人を見つめると、指を鳴らしメイドを呼ぶ。


 「サレナ殿、先ほどは貴公とアイン殿を惑わすような発言をした。謝罪しよう。安心なされよ、その甲冑は既にアイン殿に屈し、従属しているようだ。暴力的な殺意と灼熱の憤怒、溶けた鋼鉄のような憎悪は甲冑の許容量を遥かに超え、漏れ出している。故に、ノスラトゥは屈服し、恐れている。それに」


 「……それに?」


 「アイン殿は貴公と共に歩むと誓っている。剣のような男が戦場よりもたった一人の少女の為に誓いを結んだのだ。それは、とてもロマンチックな事じゃないか」


 狂戦士ならば愛を求めず戦場を求める、殺人鬼ならば愛を求めず血を求める。ならばこそ、アインは無自覚に愛を求め、サレナを求めたのだ。彼の剣士は沈黙し、興味が無さそうな態度で微動だにしないが、カロンの言葉の意味を理解したサレナは顔を紅潮させ、指先を忙しなく動かす。


 「実に愛い奴だな、サレナ殿。貴公らであれば、本当に奇跡を成してしまうかも知れぬな。餞別をやろう、良い時間を過ごせたせめてもの礼だ」


 見事な金装飾が施された小箱をカロンはメイドから受け取り、開く。


 小箱の中に入っていた物は、神秘的な力を放つタリスマンと星々を象ったネックレス、古びた子杖。どれも一級品の魔導具だと一目見れば理解できる程に、組み込まれた術式も使用された素材も、全てが優れた物だった。


 「全てサレナ殿に授けよう。私の手製の品だ、ずっと手渡したかった」


 「ずっとって……その、こんな良い物は、受け取れません」


 「受け取ってくれ、全て私の我が儘だ。優れた道具は、正しき者の手に渡ってこそ意味がある。この道具等も、此処で燻ぶっているには惜しい品々故、貰ってくれると助かる」


 受け取らなければ魔女は決して納得しないだろう。サレナは小箱を受け取り、魔道具を手に取る。


 「タリスマンは魔族から身を守り、隠す効果を秘めている。上級魔族の牙をも防ぐ特別製だ。ネックレス、これは非常に重要な品でな、貴公は溢れ出る自身の魔力の制御を心得ていないと見える。故に、ネックレスは魔力の管理、補助、貯蔵を目的とし無限循環機構を備えてみた。そして、杖は魔力の増強と術の高速構築。貴公の特異な体質に合わせ、全ての魔法を扱える杖。名はそうだな……オムニスと名付けよう」


 有り余る神秘を内包した三つの魔導具は、サレナ魔力を読み取り同調すると、スッと手に馴染むような感覚を与え、新たな所有者を認めた。


 「サレナ殿、君に助言を与えよう。なに、老いぼれの独り言と思って貰っても構わん。……一人で歩む道は険しく、行く先は不明瞭なものだ。一人の力には限りがあり、困難な問題も数多に立ちはだかる。故に君、友を得よ。意思を交わせ。数多の願いと祈りを束ね、未来を見つけよ。それが、私の助言だ」


 切なく、哀愁が漂うカロンの言葉。その言葉はかつての自分を言い表した言葉か、若人への忠告か。淀んだ瞳が宙を撫で、火種が消えた煙管の葉へ、再び火を点けた魔女は、煙を吸い込み吐き出した。


 「……カロン様、二つ程聞いても宜しいでしょうか?」


 「随分と欲張るじゃないか、構わんよ」


 「ありがとうございます。先ず、何故私達良くして下さるのでしょうか? 私達と貴方様は今日初めて会った他人の筈です。貴重な品と情報を与えて下さる理由が知りたい」


 「簡単な事さ。私は貴公等に興味があり、個人的な我が儘を押し付けたいだけ。未来を得たい若者に道を示すのが私の京楽であり、暇潰し。それだけさね」


 「……分かりました。次に、アインについてです。彼の記憶の手掛かりを知りたいのですが、カロン様はご存知ですか?」


 「勿論知っている。彼の騎士殿の正体も、何故人外染みた強さを持っているのかも、全て知っている。だが、私は話さない。言葉にした処でその言葉は意味を成さず、意味を喪失させる。故に、アイン殿は己を自らの意志で確立させ、知らねばならぬ」


 自らの姿と心は、己が意思を以て見つけねばならぬ。それが絶望に繋がる道であろうと、進む意思を絶やすべからず。神妙な面持ちでそう言い放ったカロンに、サレナは言葉を失い、気圧される。


 この魔女は本気で考えているのだ、全て知っていて、真実を話しながらも不穏な影を落とす。生命は己の意志を以て探求し、その果てで願いと祈りを胸に抱く、と。


 「他に無いのかね?」


 「……これ以上の質問はありません。私の見てきた世界では、貴女へ聞ける話は余りにも少なく、意味を成さない話ばかりです。だから」


 椅子から立ち上がったサレナは、アインを一瞥すると、カロンへ真っ直ぐで曇りのない金色の瞳を向け。


 「旅をして、世界を知る覚悟が決まりました。私は何も知らない一人の人間で、貴女と話をする立場と土台には立てていない。だから、多くを知り、自分の目で世界を見なければならない。カロン様、もし、また会える時が来ましたら、私自身の口から話させて下さい。お願いします」


 純粋で、美しく、穢れを知らない綺麗な瞳。と全く同じ見た目をした少女は、同じ声で己の決意と、の話を口にした。


 真っ直ぐで感情豊かな見た目をした麗しい少女。このは未熟な果実であり、その未熟さ故、中身は無限大の可能性を秘めているのだ。選択により味を変え、成長と共に見た目を変える。だから愛しく、世話を焼きたくなる、試したくなる、見ていたくなる。故に、真実に辿り着いた少女、サレナがどんな選択をするのか、知りたくなるのだ。


 「……良かろう、その時が来たら真剣に言葉を交わそうではないか、サレナ殿。嗚呼、また楽しみが増えた。良い、良い、実に良い! うむ、満足した!」


 一人で納得した様子のカロンは、興奮混じりの笑い声をあげ、手を叩く。


 「旅をして、人と会って、言葉を交わす。足を進め、未来を目指し、生命は輝く。あぁ、そうだな、そうしなければ希望は枯れ、絶望が溢れる」


 胸に祈りを、意志に願いを、希望を己に。


 かつて、その言葉を意志に汲み、世界へ歯向かった者達がいたような気がした。遠い過去の、擦り切れた朧気な存在。覚えているが、忘れた記憶の欠片。


 この少女と剣士はよく似ている。似ているからこそ、託し、希望の欠片を与え、絶望の種を植え込んだ。それが、魔女としての役目であり、賢者としての矜持であるように。


 どうか、この二人の旅路に、救いがあらんことを。言葉無き祈りを、カロンは願ったのだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?