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意思と力 ①

 開きっぱなしの書物と調合用の素材が所狭しと散らばった一室。真っ白く、汚れ一つ無いクロスが敷かれたテーブルを囲むアイン、サレナ、カロンの三人の間には様々な感情が入り混じった奇妙な空気が漂っていた。


 「いやあ、聖女よ君は実に可愛らしい。うん、初代にそっくりだよ君は」


 「そうですか」


 「固くならなくてもよい。私は君とその黒甲冑の騎士に興味がある。して、騎士殿は何処かで会った事があるかね? いやなに、君の剣と鎧は何時の時代かの剣士を思い出す故、既知の記憶と同一視してしまう」


 愉快そうに、古い友と語るように、嫌味な笑みを称えたカロンはメイドの一人へ茶と菓子を用意するよう伝え、頬杖をついて言葉を紡ぐ。


 「聖女よ、君の瞳に刻まれた紋章は騎士の誓約のものだね? この時代、そんな古風な誓いを立てるとは随分と洒落ているじゃないか」


 「あの、あなたは本当に賢者カロン様でいらっしゃるのですか?」


 「如何にも。過去は賢者と呼ばれていたが、今は魔女と蔑まれる者が私さ」


 「では、カロンの書を記したのもあなたで間違いありませんか?」


 「うむ。それは初代殿に差し上げた魔導媒体であるが、現在まで残っているとは実に感慨深い。少し貸してくれぬか?」


 サレナは鞄から古びた書物を取り出し、カロンへ手渡す。


 「久しく手に取ったが中の術式は正常に稼働しているようだね。書が使われた形跡も確認できる。ふむ、ほお、ほお!!」


 「ど、どうしたんですか?」


 「君、その剣呑な騎士の過去を見たがったようだね、ああ、言わずとも分かる。騎士殿、貴公は何故この世界に産まれたか、何故《記憶が無い》にも関わらずを保有しているか、知っているかね?」


 「知らん」


 「そうだろう、そうだろう、失った故に有るのか、有る故に失ったのか。実に面白い、長生きはしてみるものだ。聖女とその従者よ、君達は世界をどう見るかね? なに、これは私の個人的な質問故、感じたままに話してくれても構わん」


 メイドが用意した紅茶を啜り、目を細めたカロンは微笑を崩さぬままアインとサレナを見つめる。


 この世界をどう見るか。広い視野を持ち、この人魔闘争世界の現状を正直に述べるべきか。それとも、微かに感じていた違和感を述べるべきか―――。顎に指を当て、どういった風に言葉を述べるか考慮していたサレナよりも先に、アインが口を開いた。


 「歪だろう、歪んでいるから気持ちが悪い。人の形をした、人語を解する肉塊同士がただ種族が違うからと云う理由で殺し合う。不気味で、醜悪で、吐き気を催す地獄だろう? 同族を殺す事が禁忌だと? 異種族同士で変わらずに戦争を続ける事が、制約に盲従する傀儡が跋扈する世界が、俺は」


 狂おしい程に殺したい。凍てついた言葉に、サレナの背に鳥肌が立つ。


 そうだ、この剣士は一貫して己の殺意と憎悪の感情で突き動く者なのだ。人を人として見られぬ故に、肉塊と称して命を絶つ。この剣士にとって人間も魔族も変わりない殺意の対象であり、その命が制約という縛りに盲従し、変わらぬ戦争を続けている様は傀儡の地獄。憎悪する世界の細胞であるのだ。


 「俺の中で爆発する意思が叫んでいるんだ。殺せ、殺せ、全てを殺せってな。殺せば殺す程殺意は鋭利な刃となって研ぎ澄まされ、憎悪と憤怒は肉塊を燃やし尽くす。地獄の中で炎に巻かれながら剣を振るっている気分だった。意思を持たない肉塊を斬り殺し、屍を積み上げ、血の河を渡る。だがな、そんな世界で人間と出会った」


 サレナへ視線を向けたアインは紋章が刻まれた瞳をジッと見つめ、くぐもった笑い声をあげた。


 「俺を見た人間や魔族は剣を向け、魔法を放った。けどサレナは違った。血だらけで剣を向けた俺を癒したんだ。

 普通あり得るか? 手負いの獣を癒す人間なんてあり得ないだろ? けどな、サレナは俺を人として見て、名前をくれた。……その時だ、世界は狂っていて、歪んでいるが、正しい心を持った人間も生きている世界だと、そう認識した。

 魔女よ、俺は俺の意思で剣を振るい、敵を殺していた。しかし、今の俺の剣はサレナの剣であり、俺の剣でもある。彼女を守る為なら俺は命さえ惜しいと思わない。彼女の笑顔の為なら俺は何処までも強くなれる。

 世界がサレナを認めないなら、俺は世界全てを敵に回したって構わない。これで満足か? 魔女」


 シン―――と三人の間に沈黙が流れる。


 カロンは腹を抱えながら笑いを堪え、サレナは顔を真っ赤に染めて俯き、この状況を作り出した当の本人のアインは腕を組んで微動だにしない。


 「き、騎士殿、クク、貴公は自身の感情にお気付きか?」


 「さぁな」


 「だそうだ聖女よ! ククク、いやあ実に面白いよ君たちは!」


 「わ、笑わないで下さい! アインも、その、もう!」


 遂に腹を抱えて笑い転げ始めたカロンを他所に、サレナはメイドから紅茶を受け取ると一口だけ飲み込み、小さく咳払いをした。


 「……カロン様、彼は記憶を失って日が浅いだけで、多分、その、経験を積めば自分の感情に気が付く筈です。それに、私の話がまだですので、落ち着いて椅子に座って下さい」


 「ああ! ああ! 話を聞かせてくれないか? 聖女よ!」


 浅く、低く、目を閉じ深呼吸をする。


 世界をどう見ているか。少女は自分の目で世界を見た事が無かった。カロンの書を通し、世界を見ていた彼女は何故人類と魔族が戦いを続けるのか分からないし、何故変わらずに永遠と互いを殺し合うのか知り得る術も持たなかった。


 世界を知るには幼かった。世界を語るには何も知らない子供だった。世界を見るには己の視野は狭すぎた。故に、身の丈にあった言葉で魔女の質問に答えよう。世界がどのように見え、感じるのか。今の自分でも話せる言葉と知見で、語るだけだ。


 「世界は、人類は、魔族は、迷っている途中なのだと思います。勇者と魔王の戦いの結果で勝敗が分かれ、負けた種族は強大な力を得て、勝った種族は劣勢に追い込まれ、次の勇者と魔王の戦いに希望を掛ける。

 同族を殺せない制約は戦争の駒を減らさない為に存在し、個人の魔力量の制約は決戦存在を越えない為にある制約。云わば勇者と魔王は人類と魔族の代表者であり、戦闘を行う兵は駒として認識すべきでしょう。

 戦うために存在する駒に意思など存在しない。世界を盤面と捉え、双方の代表者が戦う為に盤面を整える。

 アインはこの世界を傀儡の地獄と称しましたが、意思を持たず、制約に何の疑問を持たずに、ただ盲従する者達にとってはこの世界は楽園と云えるでしょう」

 そうだ、勝敗が決まるまで戦いが終わらないよう常に争い続ける世界。変わらずに、永遠に、殺し合う。同族殺しの制約はバランスを保つ為に存在し、前回の決戦で負けた種族は数が少ない故に力を得る。ならば、現在の戦況は人類が勝利を収めた後の世界情勢であり、魔族は敗北した側なのだ。

 「変わらずに戦い続け、変わらないルールの中で憎み合う。悲しく、痛みを伴う世界。変わらなければ、変わるという意思を持ち、未来へ歩む為の意思を力としなければ、世界は変わらない。変わらなければ、悲しみも、痛みも、憎しみも、永遠に消えません」


 そう、変わる意思を持たなければ未来へ進めない。世界を変えたければ、自分自身の意思を確立させ、示さなければならない。


 悲しみも、痛みも、世界が命に苦痛を強いるのならば、命が世界に立ち向かい、自分たちの手で未来を掴まなければならないのだ。未来と意思を力に変えて、進まなければならない。


 「変わらなければ、未来に進めぬ……か。まさか君もそんな言葉を吐くとは、面白いものだな」


 自嘲したように笑い、遠い過去を見つめるように虚空へ視線を這わせたカロン。


 「力を持たなければ世界と戦うなんぞ夢のまた夢だ。昔、千年前に貴公らと同じ言葉を吐いた馬鹿な男女も世界に呑まれ、二十年前に訪れた女とその仲間達も世界の真実に触れ、絶望した」


 聞き入れるも、拒むのも、貴公らの自由だ。


 カロンは指を組み、目を閉じると小さく息を吐き、また口を開く。

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