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魔女の呼び声 ②

 剣を構え、闇に濡れた森を見渡す。


 空を見上げ、太陽の位置を確認すると青空の中に太陽は存在していた。ならばこの現象は局地的な魔法と解釈しても良いだろう。地と環境を闇に染める魔法。並みの人間や魔族では成し得ない大魔法。この森にはそれ程までに危険な存在がおり、自分たちに危害を加えようとしているのか?


 「アイン、これは」


 「俺から離れるな、サレナ」


 剣が振るわれ、闇に蠢く存在を斬り捨てる。


 腐った血肉と蛆が飛び散り、悪臭を放ちながら息絶える存在。死生者ゾンビは地面から次々と湧き出し、その醜悪極まりない姿で、アインとサレナを囲む。


 「死生者―――!」


 「何だそれは」


 「死して尚呪法で蘇らされた屍です! 書で見た事があります!」


 「蘇った死体だろうと何だろうと」


 殺せるのならば脅威にはならん。剣士は襲い掛かる死生者を一太刀で斬り捨て、サレナを抱えると無限に湧き出す敵を斬り裂きながら駆ける。


 血と腐肉が飛び散り、臓物が木々に叩きつけられる。刃は死生者の血肉で赤黒く染まり、幾重もの返り血で黒甲冑の装甲は屍血で染まる。


 アインの腕に抱えられ、彼の戦闘を間近で見ていた少女に血の一滴も飛び散る事は無い。その白き肌と旅の服、白銀の髪は暴力的な戦いの最中である筈なのに、未だ美しさが保たれており、剣士の戦闘技術の高さが伺える。


 嵐のような剣戟と無残に砕ける死生者の群れ、死体が積み重なり、山となって血が河のように流れ出る。剣を振り続け、這い寄る死生者を踏み躙り、踏み潰し、蹴り飛ばすアインに抱えられたサレナは、一方的な戦闘の最中、ハッキリとした声を聞く。


 こっちへ、こっちへ来なさい、聖女の末裔よ。


 それは落ち着いた口調の女性の声だった。


 視線を巡らせ、周囲を探る。湧き出し、襲い来る死生者の間から、黒いローブを羽織った女の姿を見る。


 そう、こっちへ、黒鉄の剣士と共に、此方へ。


 白く、細い手が差し出される。


 信じて良いのだろうか? これは罠だろうか? この死生者の群れの中、何故あの女性は襲われずに生きていられる? 逡巡する思考の中、数々の疑問が頭の中に浮かび上がり答えを求めるが、サレナにはその疑問に答えられる解を出す事は出来ない。だが、この戦闘の合間にも下すべき決断が迫っている事は確かだった。


 声に従うか、否か。単純な二択であるが、選択を下すには重い決断。


 剣が振るわれ、森を駆けるアインに疲労の色は見られない。彼はただひたすらに死生者を斬り捨て、駆ける事のみに集中しているようで、女性の姿は見えていないようだった。ならば、自分が決断を下すべきだ。この剣士と自分の命を天秤に掛け、言葉を発する。


 「アイン! 右へ、そのまま死生者を斬りながら走って下さい!」


 グン、とサレナの指示に従い、走る方向を変えアインは深淵を思わせる闇へ突撃する。闇の中へ、影の中へ、全てが黒に染まった森の中を駆ける途中、ふと気が付くものがある。


 朽ちた木々の間を通る獣道と、黒い枝葉が有る木々の間の林道。よくよく見て見ると林道は確かに整地され、歩きやすい道となっているが、その先は月明かりの無い闇夜のように暗く、果てしない黒が広がっている。


 獣道は確かに足場が悪く、荒涼とした木々と風に晒された岩肌が広がる森の中とは言い難い風景が広がっており、その先に進む事も躊躇ってしまう。だが、何故か獣道の先に光が見えたような気がした。淡い、心許ない光が、此方を見つめているような気がしたのだ。


 「獣道を通って下さい!」


 「ああ」


 アインが跳躍し、岩場に飛び乗る。乾いた土の臭いと焦げた木の臭い。荒涼とした荒地のような道を再び駆け出す。


 「……アイン」


 「何だ?」


 「気が付いていますか?」


 「ああ」


 「すみません、森の事なら任せてと言ったのに、こんな事になってしまって」


 「構わん、俺はサレナを信じているし、お前の意思が間違っているとは欠片も思っていない。だがな」


 「だが?」


 「あの嫌な気配が近づいてきている、何とも嫌な臭いだ」


 岩から岩へ飛び移り、獣道を駆けるアインと、彼の腕に抱かれるようにして進むサレナの前に、一つの奇妙な建物が現れる。


 その建物は、朽ちかけているのに荘厳な雰囲気を醸し出す館であった。壁には無数の蔦が絡まり、窓の多くは割れていたり罅が刻まれ、屋根の煉瓦の大部分は剥げ落ちている。一見してみれば放棄された廃墟であるが、何故か館からは度を越した魔力が溢れ出し、建物自体が生きているかのような錯覚すら覚えた。


 「これは、館のようですね、えっと」


 入るか、入らざるか。サレナが迷っている間にも、館の扉が開きメイド服を着た女性が現れる。生気の無い瞳と青白い死人のような肌。魂が抜けたような雰囲気を晒す女性は、アインとサレナを瞳に映すと、スカートの端を指で摘み、礼をするように頭を下げる。


 「お待ちしておりました、聖女殿。我が主人がお待ちです、どうぞ中へ」


 「聖女? いえ、私は巫女ですが……」


 「貴女の持つ主が記したカロンの書。その書を持ち、記録を読み解く力を持つ者は聖女の末裔。或いは本人にしか出来ぬ御業で御座います。どうぞ、お入り下さいませ」


 カロンの書。賢者カロンが記した書の存在を知っている。それを記したカロン本人がこの館に住んでいるというのだろうか? 驚きと戸惑いが入り混じった表情を浮かべたサレナは、アインの腕から降りると彼を連れて館の前へ足を進ませる。


 「ご心配なく。館と主、我々は貴女とその従者に危害を加える気はありません」


 「それは本当ですか?」


 「真実か偽りか、それは貴女の騎士が刃を収めている事が証明となりましょう。騎士殿、違いありませんね?」


 真紅の瞳がメイドを睨み、狩り殺すような殺意が放出され続けているが、アインは剣を振るわない。殺すという意思はあるが、殺害にまで至らない極限の心理状態。殺さないが、何時でも殺せる状態にあるアインは忌々しいと言った様子で小さく舌打ちすると、剣を握ったままメイドから視線を外した。


 「……」


 息を呑み、扉の向こう側を見据える。ぽっかりと開いた先に見えるは黒。闇の坩堝るつぼを思わせる館へ、一歩、一歩、と足を進ませる。


 二人が完全に館に入ると、突然扉が大きな音を立てて閉まった。光が閉ざされた暗闇の中、パニックになりかけたサレナの身体を自身の方へ抱き寄せたアインの瞳が、周囲の状況を把握する。


 闇の中でも彼の瞳は夜目を獲得したかのように館の内部を映し出す。


 何者かの古びた肖像画。天井から吊るされた豪勢なシャンデリア。外観は朽ちていると云うのに中は綺麗に掃除され、埃一つも見当たらない奇妙な様相。


 「あぁやっと来たかね、いやはや驚かせて申し訳ない」


 女性の声に合わせ、蝋燭の火が灯る。


 「どうかその殺気を沈めて欲しい、君の殺意は私には毒だ」


 黒いローブを着た妖艶な空気を纏う金髪の美女は、淀んだ緋色の瞳をアインとサレナへ向けると指を鳴らす。


 「お初にお目に掛かろう。聖女とその騎士よ。私の名はカロン、この森に封じられた魔女さ」


 シャンデリアが一斉に灯り、闇が払われ魔女とメイド達が姿を現す。


 「少しばかりお話をしよう、良い経験になると思うよ? 私の話は」


 そう言ったカロンは手を差し出し、愉快そうに笑ったのだった。

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