肉、肉、肉。
黒い刀身を持つ剣が肉を断ち、骨を断つ。
生温かい鮮血が黒甲冑の装甲を濡らし、血の雫がバイザーから滴り落ちる。
男は剣を振るう。黒の剣は魔族の翼を断ち切り、鎧で覆われた胴体を一閃し、両断せしめる。臓物が、血が、雨のように降り注ぎ大地を穢す。男は荒い息を吐くと剣を構え、闇の中にひしめく無数の魔族を見据えた。
男が一際大きく吠えると剣はそれに応えるかのように黒い輝きを発する。黒の輝きは夜闇を飲み込み、形無き生物のように魔族へ襲い掛かり黒の刃を形成すると一瞬にして首を断ち、四肢を飛ばす。
一騎当千の無双の剣士。剣一本で無数の命を刈り取る全身黒甲冑の男。鮮血と肉片、分断された四肢と首が散らばる森の中、男の力に恐怖し退却した魔族の一人に強烈な殺気が放たれ、運悪く背後を振り向いてしまう。見なければよかったと後悔したところでもう遅い。
黒の剣を突き出し、驚異的な速さで突っ込んでくる男の凶剣は容易く魔族の両足を斬り飛ばす。黒い装甲で覆われた手指は草を引っこ抜くようにして安々と魔族の翼を捥ぎ取ると地に叩き落とした。
「き、貴様、一体、何者だ!? たった一人に、我々が―――」
恐怖と驚きが入り混じった声をあげた魔族の口を冷たい鋼が掴み上げる。ジッと――バイザーの隙間から辛うじて見える真紅の双眼には鮮烈な殺意と、煮え滾るような憎悪が入り混じった狂気的な色を帯び、その目を見つめてしまった魔族は暫し呼吸することさえ忘れ男の狂気に飲み込まれてしまう。
「貴様、俺を知っているのか?」
「―――!?」
「知っているのかと聞いている!!」
魔族の口を塞ぐ鋼に力が込められ顎を粉砕する。吹き出した血が口腔内より食道を通り抜け、胃に溜まる。男は鼻血と血涙を流す魔族に剣を突き立て命を絶つ。
三日三晩、眠らずに剣を振るい続けた男の精神は摩耗されていた。
自分の名前も、出自も、何故身に纏う甲冑が外せないのかも男には分からなかった。何故剣を持っているのか、何故狙われるのか男には分からない。男には一切の記憶が無かったのだ。
自身の過去と経歴を失っていた男が唯一分かるものは黒い刀身を持つ剣、黒の剣の使い方と身に纏う甲冑の性能のみ。それ以外男には何も無い。目覚めた瞬間から男は全てを失っていたのだ。
歩けば魔族が男へ魔法を放ち、禍々しい黒甲冑を着込んだ男へ人間は恐怖に満ちた目と武器を向ける。何故攻撃されるのか理解できない男はそれら全てを剣で薙ぎ払い、断ち切り、殺し尽くしてきた。目覚めてから三日間、男が歩んできた道程には人間と魔族の死体が無数に積み重なり、見て来た景色は血と臓物で溢れ返っていた。
この世界で男が学んだ事実は一つ。戦いは避けられない普遍的な事柄であり、生物は皆戦いを欲している。戦わなければ自分を守れない。剣を振らなければ生き残れない。絶え間ない殺意と憎悪を燃やし続けなければ世界に、人に、魔族に、飲み込まれて自分が無くなってしまう。戦わなければ生きられない。それが男が学んだ世界の理であった。
絶え間ない戦闘で肉体と精神は休息を渇望していた。甲冑は血と臓物で穢れ、剣は斬り殺した魔族の血肉に濡れていた。男は剣を背負うと疲労に喘ぐ肉体を引き摺り森の奥へ足を踏み入れる。暗い、闇の中へ、世界に対する呪詛を撒き散らしながら闇夜の中へ姿を消したのだった。